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「ただいま。」
聡美はそう言ってドアを閉めた。
誰もいない自宅に帰る時も、聡美は必ずそう言って家に入る。
・・・こんなに経つのに、まだ毎日お母さんが出かけてるだけで、私に続けて帰ってきそうな気がするってのもねえ・・・。
いい加減、この静けさに慣れなくちゃ。
リビングの端に飾った母親の写真に手を合わせると、聡美は観るともなしにテレビをつけて自分の部屋に服を着替えに上がった。
時計を見るとまだ六時半で、重たい雲に月は隠されていたもののなんとか天気はもっていた。
・・・降りませんように。
夜の雨は小雨であっても、やはりあまりいい気分になれない。
聡美は冷蔵庫を開けると、得意料理であるチキンのトマト煮を作り始めた。
一人の食事にはさすがに慣れてきたけれど、あっという間に終わってしまう。
帰宅してから料理を始めても八時前には食事を終えたので、観たくもないテレビを睨んでソファに体を投げる。
ふと思い立ってビールを持って来て缶から直接口にすると、もう一度ソファに体を沈めた。
・・・あの日も雷が鳴っていて、ひどい雨が降っていた。
思い出したくないのに、この天気がそうさせるのか母親が事故にあった日のことがまた一気に甦ってきた。
聡美が務めるのは中堅の機械メーカーで、英語が得意な聡美は入社2年目にして海外営業部のアシスタントとして重宝されていた。
その日は、翌週に控えた海外からの役員を含むグループ会社スタッフの来日に関しての社内ミーティングに参加していた。
会議が始まってすぐ母から着信があったが、会議中なので無視した。
それでもすぐにもう一度かかってきたので、上司に断って席を立って応答すると、市内の病院の看護師からだった。
それから先のことは、あまり覚えていない。
母が交通事故で運ばれたということを聞いて目の前が真っ暗になったこと、気づけば人事の女性部長に連れられてタクシーに乗っていたことがぼんやりと記憶に残っている。
タクシーに乗った頃には小雨だったのが、病院に着いた時には本降りとなっていた。
風もきつく、時折雷も鳴った。
病院で母親はもう白い布をかぶって横たわっており、しばらくするとなぜか圭輔と圭輔の母親がかけつけてくれた。
驚いた聡美が声も出ずに座ったまま固まっていたら、聡美の母親の携帯のリダイヤルの2番目に圭輔の母親の番号があったので、病院から連絡が行ったらしかった。
聡美は二度目の着信で出たつもりが、よくみたらそれ以前にも2回着信があったのだった。
たまたま休みを取っていた圭輔の車でかけつけてくれた圭輔の母親が、涙も流すことなく呆然としている聡美に飛びついてきて、周りがびっくりするくらい泣いた。
聡美に抱きつくようにして声を上げて泣く圭輔の母の体を抱きしめ返した時、やっと聡美の目から涙がこぼれた。
黙って涙を流す聡美の肩を包むように、圭輔が聡美のことを包んでくれた。
それから夜遅くに遠くに住む叔母夫婦が来るまで、圭輔と圭輔の母親はずっと聡美に付き添っていた。
父親は海外出張中だったので、翌朝成田着のフライトで戻ることになっていた。
圭輔の母と叔母夫婦が医師や看護師ともう一度話をしている間、圭輔は黙って泣き続ける聡美の隣に座って時折背中をポンポンと叩いてくれた。
泣きつかれた聡美は遠慮なく圭輔にもたれて、それでも何度も涙を拭いた。
圭輔は何を言うわけでもなく、それでも夜中に一度帰宅するまでずっと一緒にいてくれた。
待合から見える中庭に面した窓には吹きつける雨が音を立てており、夜が更けてもまだ雷が鳴っていた。
・・・夜の雨も雷もキライ。
あの日のいろんなことを、いろんな感情をイヤでも思い出す。
軽く頭を振った聡美がビールを一気に飲み干したところで、外から大きな音が聞こえてきた。
「あ・・・降ってきた・・・。」
思わず声を上げると、叩きつけるような激しい雨が降り始めた。
・・・あ、ダメだ、このタイミング・・・。
聡美は急いで玄関のカギを開けると、ひざ掛けを掴んでソファにうずくまり、テレビのボリュームを上げる。
「・・・大丈夫、私はもう大丈夫。 雨なんて降ってない、雷なんて鳴らない・・・。」
自分に言い聞かせるため声に出してそう呟くと同時に、閉めたカーテンの間からもはっきりわかる稲光が部屋に届いた。
「いや・・・。」
何、このデジャヴ感・・・。
聡美がギュッと目をつぶって耳をふさぐ。
・・・大丈夫、大丈夫。
段々と呼吸が苦しくなる中、これまで圭輔が来てくれたことを必死で思い出していた。
「怖いか。 ツラいよな。 でも大丈夫。 これから雨降ったら、オレ来るからさ、一緒にあそぼ。 雨の日はオレと楽しく遊ぶ日だ、って、お前の頭の中の記憶塗り替えてやるから。」
初めてケイちゃんが来てくれた日、そんなこと言ったっけ。
・・・そう、今日は雨降り。
ケイちゃんと楽しく遊ぶ日なんだ・・・。
なんとか呼吸を整えようとするけれど、あまりに「あの日」に似た雨模様に聡美の呼吸は乱れる一方で頭がクラクラしてきた。
「聡美!」
その時、玄関から圭輔の声がした。
・・・そう、今日はケイちゃんが来てくれる日。
少し薄れる意識の中、聡美は一人で小さく笑った。




