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初めて陽菜を抱いた明け方、ベッドで二人で抱きあって短い仮眠を取った。
「・・・プロジェクト始まる前から、天野さんのことずっと好きだったんだ。 でも、天野さん、仕事の鬼っていうか、ちっとも周りに気づかないよね。 ほかにも天野さんのこと好きな人いるんだよ・・・。」
「冗談! オレなんかのどこがいいってんだ。 お前は・・・その・・・後悔とか・・・してない?」
7時半に起きだした二人はそのまま起き上がることなく会話を交わす。
至近距離で陽菜の目をまっすぐに見つめて話す亮一のセリフに、陽菜の目が一気に潤んだ。
「・・・何聞いてたの、天野さん! 私、天野さんのことずっと好きだった、って言ったとこでしょ! なんで後悔するって思うの!」
勢いよく叫びながら涙をこぼす陽菜の姿に亮一は慌てた。
「ごめん、そういう・・・泣かせるつもりじゃなくって・・・。 オレも自分の気持ちになかなか気づかなかったけど・・・昨日、横山が松田んちに行くって聞いて認められたんだよ。 ・・・好きだ、横山。 順番間違ったような気もするけど・・・オレとつきあって?」
慌てた顔の亮一のセリフに、陽菜は耐え切れず吹きだした。
・・・初めて二人で会ったその夜に抱きあって、裸で朝を迎えたその時のセリフが「オレとつきあって」だなんて、めちゃくちゃだよ、天野さん!
くすくす笑い続ける陽菜が亮一を見ると、亮一は照れたような怒ったような複雑な表情を浮かべて、それでも穏やかなまなざしでじっと陽菜を見ていた。
「天野さん、今私たち裸だよね! 順番間違うにもほどがあるよ!」
そういうと陽菜がごそごそ動いて亮一の胸板にぴったりと顔をつけて呟いた。
「うん・・・よろしくお願いします。」
亮一が陽菜を抱きしめた。
すぐに二人の交際はメンバーの知るところとなったが、秘かに人気の高かった亮一と明るい陽菜のカップル宣言に泣いた人たちは多かった。
それでも、二人のイヤミのない性格と仕事中のけじめあるつき合い方は周囲に好意的に取られ、二人の仲は順調に深まって行った。
そんな中、ずっとくすぶり続けていた亮一の中の何かがはっきりと形を成してくる。
・・・毎日自宅に帰れるともしれないこの仕事。
仕事は楽しいことも多いけど、やはりなんだか空しいものを感じる。
・・・どうせ徹夜が多いというのなら、いっそ自分でバーを経営してみたらどうだろう。
帰宅は毎日深夜になるけれど、それでも徹夜なんてない。
同じ深夜の仕事なら、オレはバーをやってみたい。
昔から料理が好きで、母親の台所の手伝いも進んでよくした。
大学でバーテンダーのバイトをしたのも、時給がよかったのと純粋に興味があったからだった。
マスターは高校教師を辞めて店をオープンした人で、社会人経験のあるマスターは客の話や愚痴もよく理解できており、店は繁盛していた。
あの頃・・・自分の作ったカクテルで失恋の痛みを癒した女の子。
転勤の通達に落ち込んでロックグラスを片手に片思いの子への思いを吐きだした常連のサラリーマン。
プロポーズしたいんだ、と、オリジナルカクテルの相談に来たマジメそうな青年。
・・・転職、しようかな。
亮一がそう決心したのは、陽菜と2年つきあった頃だった。
仕事を辞めてバーを経営したい、という亮一の相談に陽菜は全く驚いた様子を見せなかった。
それどころか、亮一が驚くようなことを笑ってさらっと返してくる。
「じゃあ、お昼は私の趣味が中心のカフェにしていい? 私、ジュニアだけど、ティーインストラクターの資格持ってんの。 美味しい紅茶出すお店にするね、スコーンとかも得意だし。」
亮一は陽菜のセリフに頭がついてこない。
「待て・・・ちょっと待て、陽菜。 ・・・お前も仕事辞める気か?」
今度は陽菜がぽかんとした顔をする。
「え、なんで? 自分だけ辞める気だったの? ちょっとはお誘いとかないわけ、お前にも手伝ってほしいんだ、とか? まあ、言われなくても勝手に手伝うけど、私。」
まだ固まったままの亮一に、陽菜がそっと抱きついた。
「一緒にやっていきたいよ。 SEの仕事もキライじゃなかったけど、亮一がバーの仕事して、私がこのままSE続けてたら、物理的な問題で会えないよ? 私はそれはいや。 亮一の夢に乗っかりたい。 ・・・私じゃダメかな、その夢手伝うの?」
亮一は陽菜を抱きしめ返して、一筋涙を流した。
「陽菜・・・大好きだ・・・。」
陽菜はそんな亮一の頭をそっと撫でて、そして自分も涙を浮かべた。
「亮一の人生に・・・ずっと私を置いておいて。」
亮一が大きな決心をした夜だった。