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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

パラソルレイン

焼きそばパン争奪戦

作者: 京元緋呂

 学校の売店はいつも混んでて、数の限られた調理パンを買おうとすると、中休みに走って行かないと手に入らない。それは結構な争奪戦で、人と競争するのが苦手な僕は日ごろ、弁当を持ってくるか、登校途中で買って来るようにしている。

 でも今日は母が寝坊して、弁当を作って貰えなかった。ついでに僕もバスに乗り遅れて、コンビニに寄る時間がなかった。そんなわけで僕は今、一番前の窓際の席で五百円玉を握りしめて、二時間目が終わるのを今か今かと待ってるわけだ。


「――でー、この時期にぃ、藤原家は戦に勝ちー」


 間延びした教師の声に、二時間目終了のチャイムがかぶった。途端にクラス全員が授業の終了を催促するみたいに、音をたてて教科書やノートを閉じる。僕も皆と同じように、少し乱暴に教科書を閉じて机の中に放り込んだ。


「ここ、一学期の期末に出すから、ちゃーんと復習しとけよー」

「起立、礼!」


 まだ終わりたくない素振りの教師に対し、日直から強引に声がかかる。それを合図に、数人の男子がダッシュで教室を出て行った。朝練のある野球部やサッカー部、陸上部や柔道部の連中だ。そしてその中には多分、秋山も加わっているはず。

 確認するように振り向くとやっぱり、真ん中の一番後ろの席に彼の姿はない。その代わりに、秋山の右隣に座っている成田と目が合った。


「……何?」

「え、いや……何でもない」


 ただ静かに、ストレートに訊かれて、何だかバツが悪かった。

 成田は勉強もスポーツも出来て、しかも学力は学年で五本の指に入る。眼鏡を外すと意外とイケメンで、背も秋山と同じくらい高い。わりに無口だし無愛想なくせに、何故か人気があって、秋山とはまた違う方向で別世界のヒトだ。何度か話したことがあるけど、そのたびに僕の顔をじっと見てくる。それが彼のクセなのかも知れないけど、目線が睨んでるみたいに鋭くて、僕の中の色んなことを見透かされそうで怖い。いや、もしかしたら嫌われてるのかもしれない。僕の思う限り、僕がクラスで一番睨まれてる気がする。

 そんなことより、早く売店に行かなきゃ。じゃないとパンが売り切れて、昼飯はカロリー何とかみたいなモノになっちゃう。僕は慌てて教室を出て、これから売店に向かう女子をかわしながら階段を下りた。


 僕のいる二年一組の教室は二階で、売店は地下一階にある。中央階段を急いで降りて行くと、案の定、売店のショーケースの前はすでに黒山の人だかりだった。しかも前列はほぼ運動部で、一年生らしき坊主頭の群れがパンの買い占めを行っている。少し後ろにはガタイのいい二年や三年らしき先輩が待っていて、種類や数をあれこれ叫んでいた。


「うっ、しまった……今日、焼きそばパンの日か」


 調理パンは日によって種類が決まっていて、中でも焼きそばパンはコロッケパンと一、二を争う人気商品だ。ああ最悪、これじゃどう頑張ったって、僕ごときに買えるわけがない。

 並ぶ努力すら放棄して呆然としていると、人波に弾き出された。そしてそのうちに、売店のおばちゃんが高らかに「パン売り切れ」を宣言した。


「終わった……」


 目の前の人だかりが引き、スカスカになったショーケースに、栄養補助食品のカラフルなパッケージが並べられた。僕みたいな争奪戦の敗者が、疲れた顔をしてそれを買って行く。あんなもので腹がふくれるのは女子の一部だけだ。それでも買わなきゃ、午後は確実に地獄を見る。いつ買うの? 今でしょ、って、さびしく自問自答した矢先だった。


「何ぼーっとしてんだよ、ミチル」

「……秋山」


 気付くと、彼は僕の後ろに仁王立ちして、戦利品の焼きそばパンを持っていた。巻かれたラップ材を器用にはがし、豪快に大きくかぶりついて、はみ出た焼きそばをすする。悔しいけど、口の端についたマヨネーズを指先で拭う仕草すら格好良く見えちゃうなんて、僕もどうかしている。

 あの、パンに挟まった紅ショウガになりたい。いや、唇の端にくっついてるマヨネーズになりたい。秋山の唇に、触れたい――そんな馬鹿なことを考えたのは、僕が朝ご飯すら食べてないからだ。きっとそうだ。

 妄想に流されて遠くへ行きかけた僕を見て、秋山は眉を寄せた。


「大丈夫か? 何だか、目の焦点合ってなさ気だけど」

「あー……大丈夫、大丈夫」

「マジに?」


 秋山が心配そうに顔を近づけて来る。そんなに近づかれたら、どこに視線を向ければ良いんだろう。どうしようもなくなって、秋山の右手にある焼きそばパンを見た。途端に香ばしいソースが匂って来て、思わずお腹が鳴った。


「あ、もしかして、パン買いに来た?」

「うん、まあね」

「ふーん。珍しいな、お前がこの時間に売店来るの。つうか買えて……ないよな」


 秋山は僕が手ぶらなのを見て苦笑いした。そしていきなり、かじりかけの焼きそばパンを僕に差し出した。


「コレで良かったら、食う?」

「……え?」

「ミチル、相当腹減ってんだろ? さっきからガン見してるし。俺、実はもう一個、後輩パワーでゲットしてるから、やるよ」


 ――嘘だろ?

 こんな展開、ありえない。何て言って良いか判らなくなってると、秋山はあっ、と小さく叫んでから、失敗したと顔をしかめた。


「ゴメン。いくら友達だからって、他人の食いかけってイヤだよな。俺、部活のノリで、自分の食ってるモンとかすぐ人に勧めちゃって。ちょ、巧……」

「ま、待って、こっちで良いよ!」


 秋山が後輩を呼び付けようとするのを、僕は慌てて遮った。

 こっちが食べたい。ぜひ食べたい。秋山の食べかけなら風邪引いてたって全然気にしないし、例え僕の嫌いな物でも絶対美味しいに決まってる。お腹が感情を代弁するみたいに、再びぐぅ、と大きく鳴る。いつ貰うの? ってあの先生の声が響いて、今しかないでしょ、って心の中で応えた。


「あの、僕もそういうの、気にしないから。それに、ぶっちゃけ今朝ちゃんと食べてなくって、昼もまだ買ってないから、半分貰えたらマジ助かる」


 出来るだけ、こういうことって日常茶飯事でしょ、って感じを出してみる。本当は他人のかじった物なんてイヤだ。でも秋山のは特別で、食べものだけでなく飲みものや、それこそアメとかガムだって、美味しく食べられる自信がある。でもそこまでやったらただの変態だ。いや、同性を好きになっちゃうあたり、もう既に手遅れだろう。

 笑顔の裏でそんなことを考えていると、秋山が心配そうに眉を寄せた。


「でも、新しいのじゃなくてホントに良いのか?」

「うん。むしろ半分払うから、コッチ売って」

「いや、カネは良いって」

「でも、それじゃあ悪いよ」

「ぜーんぜん。つうか、そんな細かいこと気にすんなよ」

「……ありがと」

 

 小さく告げると、秋山はニカッと笑ってから焼きそばパンをくれた。


「今度、朝飯食いっぱぐれたら俺に言えよ。ついでに買っとくから」

「え、イイの?」

「もちろん。ただし一個しか買えなかった時は、半分こな」

「うん」


 秋山の笑顔に、ドキドキした。

 本当に友達だと思われてるんだ。そして僕は秋山の中で、部活の連中と同じくくらいの位置にいるんだ。それって、ちょっと前までの僕にとって、ものすごい奇跡だ。


「おーい、アキぃ!」

「あ、じゃあ俺、先行くわ」

「うん。じゃあ」


 いつも一緒にいる部活の連中に呼ばれて、秋山が離れて行く。僕はその背中を見ながら嬉しさを噛み締める反面、寂しさを感じた。

 これ以上、僕と秋山の距離が縮まることはないだろう。

 僕の想いを知らせる気はない。むしろ知られてはいけない。絶対引かれる、間違いなく嫌われる。だから友達として近くにいられるだけで良いんだ。

 手にした焼きそばパンに、指の形の凹みがうっすら残っている。あの日焼けしてて、でも意外にきれいな形の指が、このパンに触れていたと思うと何だか緊張した。それを消さないようにしながら、更にラップを剥がした。焼きそばを挟み込むようにパンを押さえながら、これって間接キスだってふと思いついて、パンに残されたキレイな歯型をまじまじとながめた。


「……しっかりしろよ、僕」


 高校生にもなって、間接キスにドキドキするなんて、僕はドーテーですってバラしてるみたいじゃないか。

そっと周囲を窺って、僕を見ている視線がないことを確認してから、何食わぬ様子で秋山の歯型をかじり取った。


「うあ……」


 お腹がぺこぺこだったせいか、秋山と間接キスしたせいか、唸りたくなるほど美味しい。噛むほどに、柔らかいパンに絡むジューシーな焼きそばと、マヨネーズのコクが口いっぱいに広がって、飲み込んだあとに紅ショウガの辛さが爽やかに残る。ぶっちゃけ今なら二個でも、三個でもペロッとイケる。

 秋山は、どんな風に味わったんだろう。

 たかが焼きそばパンを共有しただけ。そんな些細なことなのに、やたら感動してる自分がいて、つい苦笑いした。だって、秋山は普段からこのパンを食べてるんだ。この美味しさも当たり前のことで、そして時々友達に食べさせることだって、ごく当たり前のことだ。

 ――ああ、そうだよね。

 別に、秋山にとっては特別なことじゃない。そして、友達の分をついでに引き受けることも、数が足りなかったら分けあうことも、彼にとっては普通のことなんだ。

 期待しちゃだめだ。自分が辛くなるだけだから。僕が秋山の特別になることは、決してない。

 ――そろそろ、教室に戻らなきゃ。

 パンを急いで頬ばり、喉の奥にこみ上げてくる塩辛いものを強引に引っ込める。歩きながら最後の欠片を噛み砕いて、大急ぎで飲み込んだ。それから二階まで戻り、教室の手前にある水飲み場に寄った。蛇口を天に向けてコックを捻り、溢れ出た冷たい水を飲む。ついでに顔を洗ってから、尻ポケットを探ってようやく気付いた。

 ハンカチ、忘れて来た。

 とりあえず水を止め、ズボンの各ポケットを指先で探ってみるけど、ティッシュすら入ってない。どうしよう。いっそシャツの裾を引っ張り出して拭こうかと思った矢先、横から紺色のハンカチが差し出された。

「使えば?」

 驚いて顔を上げると、隣に成田がいた。仏頂面で僕を見ている。何て応えて良いのか思い付かないでいると、中休み終了を知らせるチャイムが響いた。すると成田は呆れたように溜息を吐いて、僕の手にハンカチを押し付けた。

「俺、もう一枚あるから」

 それだけ残して、ヤツはさっさと教室に戻って行った。

一体、どういうつもりなんだろう。ハンカチを強引に貸さなきゃならないくらい、僕は情けなく見えたんだろうか。それとも、もしかして僕が泣きそうになってたのに気付いたんだろうか。

いや多分、大丈夫だ。

 売店ではヤツの姿を見かけていないし、きっと、僕が困ってるところをたまたま見つけただけだ。そしてたまたまハンカチを二枚持ってたから、少しだけ同情してくれたんだ。きっとそうだ。

 自分なりに納得してから、貸してくれたハンカチを広げて顔を拭いた。ちゃんとアイロンがかかってて、ふんわりと石けんの匂いがする。自分のシャツで拭くより遥かに快適だ。ただ、僕がさっぱりした代わりに、ハンカチは色が濃く変わるほど濡れてしまった。これは洗って返さないと、さすがに失礼だろう。

 三時間目を予告するチャイムが響き、廊下に出ていた生徒達が教室に戻り始める。これが鳴り終わったら、通常の場合、五分もしないうちに教師がやってくる。

 僕も急いで戻って、授業の用意しなきゃ。でもその前に、成田にお礼を言った方が良いのかな。それとも明日、ハンカチ返す時で良いのかな。いや待てよ、秋山、ヤツの隣だろ。焼きそばパン美味かったって、先に伝えた方が良いのかも。授業始まる前に、それぞれと話す時間あるかな。しかも、先にどっちへ話し掛けたら良いんだろう――

 濡らしてしまったハンカチをたたみながら、ぐるぐる悩む。教室までのほんの数メートルが、やけに長い気がした。



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