王と王子
屋敷の前の車止めに、大きな車が停まっていて、それが去ったのが遠目に見えた。誰かお客様かしら?美月が考えながら門を開けて中へ入ると、ライナが慌てて出て来て言った。
「美月様!どうか、今は…」
「え、どうしたの?」
驚きながらも、外へ出ようとすると、背後から声が飛んだ。
「待て。」低く響く、思わずこちらが委縮してしまうような声だ。「ちょうど良い、そやつか?」
ライナが、振り返って頭を下げる。美月は訳が分からず、そちらを見ると、そこには、イサヤに良く似た、60代ぐらいの体格の良い男性が立っていた。
相手は、値踏みするように美月を見た。
「ふむ、悪くはないな。」相手はそういうと、こちらへ向かって手を差し出した。「我はミリオナの王、イエン。イサヤの父ぞ。こちらへ来い。」
隣で、イサヤが黙って立っている。美月はためらいがちに進み出ると、その手を取った。
「…気は、申し分ない。おそらく美奈と同じであるな。」イエンは、イサヤに言った。「まあ良い、主が気に入ったと申すなら、妃の一人にしても良いであろうて。いつ飽きるのかと思うておったが、この歳まで言うておるのだから、間違いはないであろう。だがの、王とはそう簡単なものではないぞ。我は主の歳ではもう3人の臣下の決めた妃が居った。我の力も限界ぞ。これ以上は臣下を抑えて置けぬ。それもこれも、主がこっちへ来たままであちらへ帰らないからぞ。妃が居れば帰って来るであろうと言い出しおった。そろそろ潮時であるな。次の便でこちらへ参る女を妃にせよ。さすれば、もう少しは時間が稼げようぞ。」
美月がびっくりしていると、イサヤが焦ったように言った。
「父上、我はそんなつもりはありませぬ!どうか、そのことは無かったことに…」
イエンは、首を振った。
「ならぬ。ここまで我がままを許しておったであろう。このままでは、主を次代の王にすることに反論する輩も出て参る。それを抑えるためぞ。なに、一人や二人、放って置いても良い。一度通えば済む。我も、美奈に会うまではそうして来たのだ。ゆえ、主しか子は居らぬであろうが。美奈にしか通わぬからの。」
イサヤが黙っている。きっと、王の命令は絶対なんだ…。美月が黙って震えていると、それに気付いたイエンが言った。
「主も、王子に嫁ぐと決めたのならば、それぐらいの気構えはあるであろう。何を震えておる。」
イサヤが、ハッとしたように美月を見た。美月は震えながら、言った。
「あ、あの…伝えなきゃと思って来たの。イスリーク様が、両親に正式に王妃に迎えたいと臣下のかたをうちに寄越したの。書状と、品物を持って…。」
イサヤが、雷に打たれたような顔をした。これにはイエンも驚いたようで、しばらく考え込んでいたが、眉を寄せた。
「…そうか、後手に回ってしもうたの。外交に関わって来るゆえ、こちらからはイスリーク殿がそれを取り下げねば申し出ることが出来ぬ。」と、イサヤを見た。「すまぬな。我が主の言うことをまともに聞いておったなら、おそらく誰より早かったであろうに。正式に申し出られでは、主では手は出せぬ。我が娶るとでもいうなら話は別であるがの。」
美月は驚いて手を引いた。イエンはそれを見て笑った。
「何を怯えておる。息子の妃を取る気などないわ。」と、イサヤを見た。「とにかく、主は妃を娶れ。明日、来るであろう。名は…なんと言ったか?セレス。」
傍に控える、イサヤにとってのライナのような存在の男が言った。
「アイダ・リーナ様でありまする。」
イエンは頷いた。
「そうそう、アイダ。大層美しいらしい。心を通わせる必要などないゆえ、見目が良ければまあいいであろうて。こちらのことは、また考えよ。」と、踵を返した。「セレス、部屋へ。」
「はい、王よ。」
イエンは、階段を上って行く。
「美月…」
イサヤが美月に声を掛けて、美月はビクッとした。イサヤ…イサヤが、誰かを妃に迎える。明日。
美月は、いきなりイサヤに背を向けると、駆け出した。
「美月!」
イサヤの声が、力なく呼ぶ。美月には分かっていた。王と王子の違い。きっと、イサヤは父上には逆らえない。父上がそう決められたのだから、逆らえない。
涙で前が見えなかった。昨日、イサヤとあんなに仲良く過ごしたのに。全て、無かったことになるの?私は、イサヤが他の人も奥さんにするなんて耐えられない。どうしたらいいのか分からない…。
ライナが、美月に追い付いて来て、言った。
「美月様、どうかお待ちくださいませ!どうか、お許しを。イサヤ様は、近々王になられまする。さすれば、このようなことも無くなり、美月様を正式に妃に迎える通達も、ご自分の権限ですることが出来まする。イサヤ様は、ずっと父王に言っておられたのに、父王が意に介さなかったばかりにこのようなことに…今回は、正式に通達する前にと、王自らここまで来られたのでありまする。なのに、イスリーク様のほうが一歩早く…。妃のことも、王が決められたのなら従わぬわけには行きませぬ。しかしながら、王になられれば、そのようなことも無くなりまするゆえ。どうか、どうかこの度はお許しください…!」
美月は、いつもは冷静で取り澄ましたライナの、必死に懇願する姿に、逆にこれがどうしようもないことなのだと思い知らされた。
「…何を許すと言うの?」美月は、涙を流したまま言った。「私には、何の権限もない…立場だって、何もないわ!その人がイサヤの、最初の妃になられるんだもの!やっぱり私には、高貴な人との結婚なんて無理なのよ!」
美月はライナにそう言い放って走り去った。言ってもどうしようもないのは分かってる。でも、理解出来ない。分かるけど、でも、そんなこと分かりたくない…!
イサヤが、それを聞いてうなだれているのを、ライナが力なく膝を付いて見守っていた。
美月は、わざと朝早くに家を出て、電車で大学へ行った。
イスリークは留学生として確かに大学に来ていて、その騒がれようは大変なものだった。その端正な顔立ちに洗練された物腰、どう見ても一般人ではない話し方。
回りに女子の人垣が出来たが、イスリークが眉を寄せたのを見たギリシュが、すぐに皆を追い払い、それからは遠巻きに見ている女子で、半径10メートルぐらい離れた場所はごった返していた。
美月がそれを知らずに食堂に入って行って、食券を買おうとしていると、すっと手が伸びて、販売機の中にお金が入った。びっくりして横を見ると、ギリシュが頭を下げていた。
「美月。」
イスリークが、立ち上がって向こうのテーブルから呼ぶ。ギリシュが言った。
「何をご所望でしょうか。」
美月はためらいがちに言った。
「あの、日替わりランチを。でも、自分で払います。」
ギリシュは、首を振った。
「そのようなこと、我が王にお咎めを受けまする。どうぞあちらでお待ちを。」
美月が戸惑っていると、ギリシュはさっさと食券を買って、トレーを手に歩いて行った。
美月が仕方なくイスリークの方へ歩いて行くと、イスリークは微笑んだ。
「ギリシュの言う通りであったか。広い校内をどうやって探そうかと言ったら、ここにこの時間居れば、大概の学生は来ると申すのでな。手間が省けた。」
美月は頷いた。ギリシュとは、かなり優秀な執事らしい。
「とても優秀な執事ですのね…。」
美月が言うと、イスリークは首を振った。
「執事と?いや、そうではない。幼い頃は世話係などと言われるが、あやつらは軍神。王子に付き、王になっても筆頭軍神として付き続ける。全てにおいて優秀で、力の源である「気」も強い。」
美月は聞き返した。
「軍人?」
「軍神。」イスリークは言いかえた。「我ら、神であるから、当然であろう?」
「ええ!?」
美月は思わず立ち上がった。ギリシュがトレーを持って来ている所だったが、スッとそれを避けてひっくり返さずに、何事もなかったかのように無事テーブルへ置いた。
神…神って言った?…だから空を飛べるの?だから、あんな力が使えるの…。
美月のその様子を見て、イスリークはため息を付いた。
「…そうか。あやつはまだそんなことすら主に言うておらなんだか。」と、目の前のランチを指した。「早く食すが良い。場を変えて、我が話そう。我らのことを。」
美月は頷いて、早く食べなければと思ったが、いきなり知った事実と、回りの異様な視線と雰囲気の中、なかなか箸が進まず、結局半分以上残してしまって、そこを後にしたのだった。