妃
次の日目が覚めると、日はとても高くて、隣にイサヤが眠っていた。お互いに上布団しか着ていない状態で、イサヤは美月をしっかりと腕に抱いていた。美月は昨夜を思い出して急に恥ずかしくなり、襦袢を探してモゾモゾと動いた。すると、それに気付いてイサヤが目を開いた。
「美月…?何をしてる。」
美月は真っ赤になりながら言った。
「あの…襦袢を探してるの…。」
イサヤはフッと笑った。
「なんだ、ガキの頃は一緒に風呂に入ると聞かなかったくせに。オレはあのとき、どれほど驚いたか。」
美月は更に赤くなりながら否定した。
「違うでしょ!あれはほんとに子供の頃なの!」
イサヤは首を振った。
「オレの体は子供だったが、中身は今と変わらねぇぞ?だから、なんてこと言うんだと驚いたんだからな。結局折れて、一緒に入ったじゃねぇか。」と、美月を引き寄せた。「もう一回いいか…?」
美月はじたばたした。
「でも、学校に遅れるわ!今何時?」
イサヤは美月に唇を寄せた。
「今日は二時限だけじゃねぇか。休んだって大丈夫だよ。」
美月はあまりに恥ずかしくて何とかしようとしたが、無駄だった。イサヤは、再び美月を愛して、やっと満足して起き上がったのは、昼も過ぎてからだった。
急いで着替えて昼食を済ませると、結局その日の講義には間に合わず、真っ直ぐに屋敷の方へ戻った。
屋敷の前では、ちょうどイスリークが出て行こうとしている所だった。
「どこかへ出掛けるのか。」
イサヤが言うと、イスリークはちらと振り返って言った。
「我の屋敷の準備が出来た。いつまでも主に世話になっている場合ではないであろう?美月を迎えることも出来ぬのでな。」
イサヤは眉を寄せた。
「あのな。美月はもう…、」
イスリークは軽く手を上げてそれを制した。
「知っておるわ。主の企みぐらいはの。でなければ、我が一週間分の政務に追われている時にわざわざ出て行ったりはせぬだろうが。明日から学校とやらに行くのなら、我がそれを済まさねばならぬのは、主には分かっておったであろう。我は王であるから、主のように身軽ではないゆえの。」
イサヤは押し黙った。確かにそうだったからだ。こんな公式の訪問でもない外出を、長期に渡ってするとなると、その負担は計り知れない。まだ王子であるから、イサヤ自身はこれほど身軽でいられるのだ。
美月はイサヤを見て、イスリークの言った通りだったことを知った。イサヤは、もしかしてイスリーク様とのことを知って、最初からそのつもりであそこへ行ったのかも…。
イスリークは美月を見た。
「美月、我は焦らぬ。主にとり、まだ会ったばかりである我が、そのように重要な位置に座れるはずもないことは、先刻承知であったゆえな。主らが何度共に夜を過ごそうと、正式に妃に迎えた訳でもないのに、たかが王子のこと、我は構わぬわ。我は王。そやつとは、同い年の従兄弟であろうと立場と地位が違う。主も追々知って参るであろうがの。」
美月はイスリークの言っていることが分からなかったが、頭を下げた。イスリークには、そうさせる何かがある。8歳という幼い時から王にされ、こうして生きて来たのだ…すっかり威厳が身についていても、おかしくはない。
イサヤは、何も言わない。きっと言った通りなのだろうと、美月は思った。イスリークはイサヤに歩み寄ると、その髪に触れた。それからギリシュが開けた車のドアを見た。
「では、参る。大義であったの、ミリオナの王子よ。」
イスリークがわざとそんな風に言ったのがわかった。イサヤは、姿勢を正して軽く頭を下げた。イスリークはそれを振り返りもせず車に乗り込むと、ギリシュが運転する車で去って行った。
イサヤが、その車を睨みつけてライナに言った。
「…部屋へ戻る!」
そしてクルリと踵を返すと、部屋の中へ入って行ったのだった。
ため息を付いて自分の家に帰った美月は、玄関先で両親に迎えられ、驚いた。イサヤと出掛けると、泊りになっても何も言わなかったのに、どうしたのかしら。
「…どうしたの?お父さん、仕事じゃないの?」
父は首を振った。
「それどころじゃない。お前が留守の間に、誰が来たと思ってるんだ。」
怒っているというより、狼狽しているような感じだ。美月は靴を脱いで家に上がりながら、言った。
「え、誰が来たの?」
母の美雪が、気遣わしげに言った。
「とにかく、中へ。ここじゃゆっくり話せないから。」
美月は頷いて、リビングのほうへと歩いた。家は決して狭いほうではなかったが、あの別荘やお屋敷で過ごした後は、決まって狭く感じた。ソファに座ると、父と母は並んで前に座った。父が言った。
「お父さんも初めて知ったんだが、北にミリオナと並んで、ラミエナって王国があるんだってな。」
美月は頷いた。
「ええ。イサヤの従兄弟が王様の国なの。」
父と母は顔を見合わせた。
「その、ラミエナの重臣のかたが、昨日王の使者として、お前を正式に妃に迎え入れたいと言って、ここへ来られたんだ。」と、綺麗な塗りの黒い箱を出した。「これに、その王の書状が入ってる。」
美月は恐る恐るその箱を開けた。中には、綺麗に梳かれた紙に、美しい行書で文字がしたためられていた。最後に横文字でルーク・イスリーク・ラミエと署名してある。内容は、達筆過ぎて読めないが、美雪が言った。
「読み上げてくださったし、私は少しは行書が読めるから分かるけど、あなたをラミエナの王妃として迎えたいと書いてあるの。大学を卒業する、二年後に。」
美月は驚いてその書状を見た。イスリークは、正式に話を持って来たのだ。父は言った。
「お前はイサヤ君と結婚するんだとばかり思って来たが、思えば向こうから正式に話が来たことはない。王様がこうやって筋を通して来たからには、オレ達も断れなくて…。」
美月は仰天した。
「え、受けると言ったの?!」
美雪が首を振った。
「受ける受けないじゃないのよ。向こうは、あなたの同意も得ていると言うの。だから、私達には通告みたいなものね。」と、隣のリビングと繋がっている和室の戸を開けた。「こうやって、とりあえずの挨拶の品っていうのを、困ると言ったのに、置いて行ったの。」
そこには、着物や反物、簪や頚連、それにラミエナ特産のダイヤモンドと金が、それぞれ綺麗に箱に詰められて並んでいた。和室がその品々でいっぱいになっている。美月は呆然としてそれを手に取った。偶然手にしたそれには、横文字でMIDUKIと彫ってあった。
「イスラーク様…本気でいらしたの…。」
美月が呟くと、父が言った。
「やっぱり、知ってるんだな?お前、結婚するって言ったのか?」
美月は慌てて首を振った。
「確かに言ったけど、5歳の時なの!最近まで忘れていて…イサヤと結婚するつもりでいたし、イスリーク様のことは、最近まで本当に会ってもいなかったのだもの!」
父と母は顔を見合わせた。
「美月…あなた、イサヤ君のこと知ってるでしょう?子供の頃から、子供じゃなかったわ。ラミエ王だって、きっとそうなのよ。だったら、それを約束だって思っていても、仕方がないこと…。」
美月は青くなった。確かに…確かにそうだけど…。
「ちょっと、イサヤに会って来る!」
美月はリビングを飛び出した。
どうしよう。確かに筋を通すのは、大切なこと。イサヤはそれをうちの両親にしてはくれていないし、あれからお母様の美奈さんにも会っていない。イサヤが結婚しようと言ってくれているだけで、お父様の王がいいと言っているのかも分からない。国から正式に話が来ている訳じゃないからだ。
だけど、イスリーク様はそれをしたのだ。王だから…。イスリーク様は、イサヤをたかが王子と言った。きっと、王様の命令は絶対で、王子ですら逆らえないんだ…。だって、あのイサヤが小さくとはいえ、頭を下げたんだもの…。