イスリーク
イサヤは、やっと美月の気を見付けて必死にライナと共に飛んでいた。二人の男が見える…一人は、腕に美月を抱いて歩いていた。イサヤは無我夢中でその前に舞い降りた。
「美月!美月を返せ!」
相手は、見覚えのある顔でイサヤを見てフッと笑った。
「おお、遅かったの。」と、傍らの男を見た。「だが、ライナよりギリシュの方が速かったようぞ。美月を気取って危ないと申すから、我が助けに参った。主では間に合わぬところだったわ。」
ライナが、膝を付いている。イサヤは、その顔を睨み付けた。
「…イスリーク。」
イスリークは、美月を見た。
「薬を嗅がされたようよ。先ほど少し気付いたが、安心したのか寝てしもうたわ。警察にはギリシュが届けた。どうする?主、己の妃にするとか言うておいて、それを己で守れぬとはな。」
「我の責でありまする。」ライナが慌てて横から言った。「我が気取れなかったばかりに…。」
イサヤは、首を振った。
「いや、オレのせいだ。今回は助かった。すまない、イスリーク。だが、なぜにお前がここに居る?」
イスリークは、また歩き出した。
「車の中で話そうぞ。人目があって、美月を抱いたまま飛べぬだろう。」
イサヤが、横から美月を抱き取ろうとした。
「いつまでも抱いてるな。オレが運ぶ。」
イスリークは、美月を抱く手に力を入れた。
「そうは行かぬ。我とてただこやつを助けたのではないぞ?」と、ギリシュがドアを開ける、その辺に無造作に停められたリムジンに、美月を抱いたまま乗り込んだ。「主も乗れ。主の屋敷に滞在させてもらおう。」
イサヤはイスリークを睨み付けたが、何も言わずにリムジンに乗り込んだ。
そして、リムジンはイサヤの屋敷に向けて進み出した。
気が付くと、見慣れたイサヤの屋敷の居間だった。美月が起き上がると、イサヤがその肩を抱いた。
「美月…良かった。心配したぞ。」
美月はイサヤの顔を見ると、ホッとして涙が出て来た。
「イサヤ…。」
イサヤは、そんな美月を抱き締めた。
「もう大丈夫だ。どこか痛むか?」
美月は、着せられた男物の上着を見た。
「大丈夫…助けてくださったの。イサヤの親戚のかた。王だと言っておられたけど、まだ若い…、」
すると、横から声がした。
「我よ。」美月は驚いて横を見た。相手は微笑んだ。「我は主らと同い年であるから、若いも道理よの。」
美月は慌てて頭を下げた。
「まあ、ありがとうございます。助けていただいて…。」
イサヤが苦々しげに言った。
「イスリークは、オレの母上の、妹の子。隣の国の王だ。」
じゃあ従兄弟じゃないの!美月は思って二人を見た。でも、あまり似ていない。確かに不思議な力を持っているのは同じだけど…。
「イスリーク様…。」
美月は我知らず呟いた。イスリークは、頷いた。
「やはりの…。」イスリークは、残念そうな顔をした。「美月。よろしく頼むぞ。我は主らの大学に留学することになったのだ。イサヤがこれほど長く帰って来ぬこちらが、どれ程のものか見てやろうと思うての。」
イサヤはふんと横を向いた。
「王が国を出てていいのか。」
イスリークは、同じようにふんと鼻を鳴らした。
「我は主とは違い、父が死んで8歳から王位に就いた。少しぐらい外の世界を見ても良いわ。主こそ年に一度戻って来るだけで、どれほど己の国を学べるというのか。イエン殿とて、もうお歳であるのに、主に譲位したくてならぬと言うておったわ。」
美月は口を押さえた。譲位?譲位って…イサヤ、ただのお金持ちの息子じゃないの?
「イサヤ…イエン様って、お父上様って、まさか、王様なの?」
イサヤは口をつぐんでいる。ライナが気遣わしげにイサヤを見た。イスリークが、その様子にイサヤを見て言った。
「主、まさか己の身分を言うておらぬのか。」
イサヤは、頷いた。
「…帰る間際に言えばいいかと思ってたんでな。」
イスリークが、眉を寄せた。
「何を考えておる。妃になるのだろうが。」と、美月を見た。「イサヤは、我の隣の国ミリオナの第一王子。唯一の王子ぞ。次代の王ぞ。」
美月は驚いてイサヤを見た。王子…イサヤが王子…次の王様…。って、私、王妃になるの?!む、無理でしょ!国では何語話してるのかも知らないのに!
「そ、そんな…」美月は、やっと声を出した。「そんなこと、知らなかった。イサヤ、王子様だったなんて。どうして言ってくれなかったの?私、私イサヤの国の事何も知らない。何語を話してるのかも知らないのに!」
イサヤは、美月を抱く手に力を入れた。
「美月…いつか言おうと思っていたんだ。だが、お前は何も知らないから…一緒に来ないと言い出すかもと…。」
「何も知らないのは、イサヤが教えてくれなかったからじゃない!」美月の涙を流しながら言った。「未来の夫の事も知らなかったなんて!」
美月はそこを飛び出した。
「美月!」
イサヤの声が呼んだが、美月は混乱して、答える事が出来ずに、その部屋を飛び出した。イサヤが追おうとするのを、イスリークが厳しい声で止めた。
「我が行く。」と、立ち上がった。「やはり主などに任せられぬわ。」
イサヤはイスリークを睨んだ。
「さっきからなんだ?美月はオレの許嫁だぞ!」
イスリークは踵を返しながら言った。
「何を言っておる。我が本人と約したのが先ぞ。覚えておらぬだけ。思い出させれば済むことよ。」
イサヤが言葉に詰まると、イスリークはさっさと部屋を出て美月を追って行った。
美月は、玄関から門までの広さを恨んだ。
この屋敷の敷地は大き過ぎて、屋敷を出てからもかなりの距離を歩かなければならない。いつもはカートで送り届けてもらうが、今日は歩いているので時間が掛かっていた。見えているのに遠い門に、美月は苛々とした。
靴が、いつの間にかなかったので、裸足なのも影響していた。どうしてこんな想いをしなきゃならないの。美月が腹を立てながら歩いていると、後ろからイスリークが追い付いて来た。
「美月。」
美月はイスリークを振り返って、その姿にやはりどうも見覚えがあるような気がした。初めて目にした時も思ったが、どこで見たのだろう。
「イスリーク様…。」
イスリークは手を差し出した。
「少し話そうぞ。こちらへ。」
美月はためらいがちにその手を取った。本当に、覚えがある。こうして手を取られた覚えもある。イサヤかと思ったが、どうもそうではないような気がする…。
イスリークはそんな美月の気持ちを知ってか知らずか、薄く微笑むと、美月の手を引いて庭の方へと歩いて行った。
勝手知ったる様子で庭のベンチに座ると、イスリークは突然、話し出した。
「約したこと、遂げるために参った。」
美月は驚いてイスリークの整った顔を見上げた。イスリークはとても深い青い瞳でこちらを見ている。
「約束ですか…?でも、本日初めてお会いしたのでは…。」
イスリークは悲しげに首を振った。
「主にとって、その程度のことであったのか。我は、忘れたことなどなかった。この15年余り、我は王座に就かされて国を出ることが出来なかったゆえ、ここへは来れなかったが…。」と、イスリークは足元の雑草に咲く花を摘んだ。「ではこれを、美月。」
美月はそれを受取ろうとした。イスリークがそれを渡す時に触れた手を引いて、美月に口付けた。美月は驚いたが、その動きに、覚えがあった。これは…幼稚園の頃のこと。一人の綺麗な黒髪に青い瞳の子と、一日だけ遊んだ記憶…。