策謀
次の日は、朝からさっさと家を後にして、イサヤと顔を合わせないようにした。
なぜなら、部屋に篭っていても、イサヤは飛んで簡単に二階の美月の部屋の窓まで来てしまうからだ。昨日の言い争いの後で、顔を合わす気にはならなかった。
ぶらぶらとショッピングをして、カラオケボックスで一人カラオケに興じてお昼を食べ、うるさいボックスでうとうととして、ハッと気づくと、もう5時だった。
慌ててそこを出た美月は、電車に乗って、片道一時間は掛かる距離を、大学近くの集合場所へと向かった。
駅に着いたところで、結奈に会った。
「時間とおりね、美月。」
結奈が嬉しそうに寄って来る。美月は微笑み掛けた。
「それが危なかったの。一人カラオケしてたら寝てしまって、もう少しで遅れるところだったわ。」
結奈は笑った。
「美月らしいよ。」
なんだか、今日の結奈は嬉しそうだ。今までこんなに楽しげな結奈を見たことはないんじゃないだろうか。
前向きになると、こんなに変わるのかと、美月は自分まで嬉しくなった。
待ち合わせ場所の居酒屋では、物凄い数の人が溢れていた。今日は貸切なのだという。普通の飲み会なら10~20人にぐらいまでしか知らない美月は、ただただ驚いた。きっと、50人ぐらいは居る…これなら、イサヤも心配することないわね。
美月は思って、結奈と共に決められた席へと座った。
田端に誘われたと聞いていたが、結奈に寄って来たのは三島だった。美月が驚いていると、結奈は小さな声で言った。
「あのね、田端さん、遅れるみたいなんだ。それで、三島さんが気を使ってくれてるの。」
案外にいい人なのね。
美月は思って、三島と二人で結奈を挟む形で座って、グラスを傾けた。
始まって三時間ほど経った頃、隣に座った同じ学部の女子と楽しく話していると、結奈の向こうから三島の声が美月を呼んだ。
「美月ちゃん。」
あまり気が進まなかったが振り返ると、結奈の様子がおかしい。
「結奈?どうしたの、具合悪い?」
結奈は見るからに顔色が悪かった。あまり飲めないと聞いているのに。きっと、気を使って三島に勧められるまま飲んだのだろう。思った通り、三島が言った。
「大丈夫大丈夫と言うから、おすすめカクテルを何杯か頼んで、飲んでたんだけど。もしかして、結奈ちゃんは、酒に弱いの?」
美月は頷いた。
「あまり飲めないと聞いてます。」美月は、結奈に話し掛けた。「結奈?大丈夫?」
結奈は、口に手を当てた。
「気持ち悪い…。」
困った美月は、回りを見た。皆それぞれに楽しんでいて、こちらに気付く者も居ない。よく見ると、挨拶をして帰って行く人達もいる。自分も、そろそろ終電があるし、結奈を介抱しながら帰ろうかな。
「三島さん、私、結奈を連れて帰りますわ。終電もあるし、ちょうどいいので。」
三島は見るからに残念そうな顔をした。
「そうか。じゃあ、田端には言っておくよ。とにかく、トイレに行ってから帰ったら?このままだと、結奈ちゃんはヤバイだろう。」
見ると、本当に今にも吐きそうな顔をしている。美月は慌てて立ち上がった。
「本当!ほら、結奈、立って。お手洗い行こう?」美月は結奈を抱きかかえるようにして、頭を下げた。「では、ありがとうございました。」
三島は手を振った。
「うん、またね。」
美月は、結奈を連れて、店の奥のトイレに歩いて行った。三島はそれを、本当に嬉しそうに眺めていた。
奥まった所にあるそこは、とてもきれいな和風の趣のトイレだった。美月は結奈の履物をそこにあった下駄に履き替えさせると、自分も靴を脱いで下駄に履き替え、結奈を個室へ誘導した。
「さあ、ここよ。吐いたらスッキリするから、そうしたら帰ろうね。」
すると、結奈がとてもしっかりとした目で美月を見た。
「うん。私は帰るけど、美月は泊って行けば?」
「え?」
後ろから、何かツンとするような臭いのする布を押し当てられて、美月はもがいたが、そのままそこに力なく倒れた。
結奈は冷たい目でそれを見降ろして、三島が美月を抱き上げてそっとそこを出て行った。
その少し前、イサヤは携帯の着信を見て驚いた。田端…今、飲み会の最中か。なら、オレを呼ぶつもりかもしれない。美月が心配でならなかったイサヤは、その電話に慌てて出た。
「田端?」
「おう、黎貴。」電話の向こうは、思ったより静かだった。「この間はありがとな。お前はやっぱり最強だ。で、次の試合の誘いなんだが…」
イサヤは、訝しんだ。
「おい、今飲み会じゃねぇのか。」
田端は素っ頓狂な声を出した。
「はあ?ああそういや、公式の飲み会じゃないが、三島達のグループがやってるのが今日だったな。オレ達の勧誘の飲み会は、来週だ。黎貴、来てくれるのか?」
イサヤは、叫んだ。
「ライナ!オレは出る!お前も来い!」
イサヤは窓からすごい勢いで飛び立った。ライナもそれに続く。
椅子の上では、放り出された携帯が、田端の声を伝えていた。
「え、おい!黎貴?!どうしたんだよ!」
イサヤは必死に飛んでいた。美月から出ている、あの慕わしい命の「気」を読み、場所を探りながら。
着いた先は、大学近くの居酒屋だった。イサヤの姿を見た女子が、飲んでいる酒の力も手伝って、叫び声を上げた。
「きゃー黎貴さんよ!」
皆が我も我もとその声に、イサヤのほうへ寄って来る。イサヤはそれどころではなく、言った。
「美月は?美月はどこだ?!」
「ええー彼女迎えに来たの?」残念そうに言ったその女は、続けた。「だったら一歩遅かったわ。さっき三島さんが持ち上げて、結奈って子が付き添って、出て行ったわよ?具合が悪くなったんですって。」
イサヤは、青くなった。意識を失ったのか…だから、途中で気が読み取りにくくなったのだ。
背後のライナが言った。
「イサヤ様、急がれたほうが!」
イサヤは頷いた。
美月!美月、どこへ行った!無事で居ろ!
「体が軽いねえ、美月ちゃんは。」
三島が言いながら、暗く広い倉庫の中で言った。そこの台の上に美月をさも大事そうに降ろすと、結奈がスマートフォンを構えて言った。
「さっさとやっちゃって。終電が行っちゃうでしょ?」
三島は顔をしかめた。
「そんな慌ただしいのは嫌だな。こんな美人なんて滅多に居ないのに。」
結奈は、どうでもいいかのように手を振った。
「私は写真さえ撮れたらいいのよ。一回終わったら、私は帰るし、後は好きにして。」
「じゃあ、遠慮なく。」
三島は、唇を奪うことも忘れて、気を失った美月の胸元を押し開いた。ボタンが千切れて飛び、下着が露わになる。その下着に手を掛けて引き下げようとしている所を、後ろから結奈が写メに撮っていた。
「…まだまだ。これからよ。」
結奈がニタリと笑うと、後ろから、聞いたことのない声がした。
「悪趣味だな。」
「誰?!」
慌てて振り返ると、そこには、見たこともないほど美しい顔立ちの、背の高い男が立っていた。歳は同じぐらいか少し上…だが、その瞳はとても濃い青色だった。
三島が結奈の声に振り返って見ている。その男は黙って手を上げた。その左手の指の、銀色の指輪が街灯に反射して光った。
「…我の大切なものを傷つけることは許さぬ。」
結奈の手のスマートフォンが飛び、一瞬にして燃え上がり、蒸発するように消えた。結奈が呆然としていると、男は三島のほうを見た。
「離せ。」
男はまた、手を上げた。すると三島の体は宙を飛び、地面に叩き付けられた…それでも逃げようと必死に立ち上がろうとする三島を、男は蔑んだように見降ろした。
「…しぶといの。殺してもいいが、それでは主は己の罪を背負えぬしな。」と、ニッと笑った。「だが、少しは恐怖せよ。」
三島は、何の力か分からないものに、何度の持ち上げられては地面に叩き付けられた。加減をしているようで、一向に気を失うまでには至らない。その顔は、痛みと恐怖にゆがめられていた。
結奈がじりじりと後ずさっていると、振り返りもせずにその男は言った。
「なんだ、逃げられるとでも思うておるのか。」まるでからかうような口調だ。「主も少し、遊んでやっても良いの。」
結奈も持ち上げられたかと思うと宙へ舞い上がり、三島の横の空中に浮いた。
「きゃあああ!」
結奈は悲鳴を上げる。男は険しい顔をした。
「悲鳴を上げることも出来ぬ女も居るのであるぞ?主はそんな事を友にしたのであろうて。思い知るが良いわ。」
「待って!」思わぬ方向から、声が飛んだ。その男が見ると、美月が目を覚まして、胸元を抑えて叫んでいた。「どうかやめてください!理由があるのです…どうか!」
男はじっと美月を見ていたが、もう一度結奈を見ると、結奈と三島に向かって何かの力を軽く放った。二人はそれを受けて、まるで当身でもくらったかのような顔をしたかと思うと、気を失った。
そして、二人を下へ降ろすと、男は美月に歩み寄った。
「…美月。こんな目に合わされて、それでもこんな女を庇うか。」
美月は、そのイサヤにも似た、どこかで見たような凛々しい顔を見上げた。
「あの、私が悪いのです。隙を作ったのも私。だから、こんなことに…」
男は、自分の上着を脱いで、美月に掛けた。
「そら、足元がしっかりせぬだろう。抱いて行こうぞ。」
美月は、首を振った。
「大丈夫です。歩けますから。」
しかし、膝が力が無い。男はため息を付いて、呟いた。
「そうか、覚えておらぬか。」と、美月を見た。「我の名は、ルーク・イスリーク・ラミエ。ラミエナの王。主のことは、報告を受けて知っている。イサヤを知っておろう。」
美月は王と言った、その男を見上げた。
「イサヤの、ご友人ですか?」
相手は首を振った。
「何と申せば良いかの。縁者かの。」と、美月を抱き上げた。「ゆえに主に何かすることはないわ。」
美月は驚いて体を固くしながらも、間近に見えるその美しい顔に赤くなった。イサヤの…。
そこから助け出されて急に力が抜けた美月は、気を失うように眠ってしまった。
外へ出ると、別の男が膝を付いて頭を下げている。ルーク・イスリークと名乗ったその男は、その男に頷き掛け、そんな美月を見てフッと笑うと、唇を寄せた。
「…久しいの、美月。」
そして、美月を抱いたまま夜道を歩いた。