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おとぎ話の国

清々しい気、澄んだ空気…。体は少し気だるいが、これまで生きて来てこれほどに気持ちの良い朝は初めてだった。まるで、地の果てにあると昔父におとぎ話として聞いた、楽園のような、清々しい気に満ち、誰にも破れぬ結界に守られた、月の宮のよう…。

エレーナは、目を開けた。見慣れない天がいの寝台…何て明るい部屋なの。

同じ寝台に、穏やかな気を感じてそちらを見ると、そこには黒髪の大きな気をまとう男が眠っていた。着物は着ていない…驚いて、自分を見ると、自分も何も着ていなかった。呆然としていると、その男はゆっくりと目を開けた。その目に、エレーナは覚えがあった。突然に部屋に来て、共に参れと言った、あの…。

「…目覚めたか。」その男は言った。「我を覚えておるか?」

エレーナは、シーツを手繰り寄せて、頷いた。

「はい…月の宮の王、蒼様…?」

蒼は、頷いた。

「その通りよ。我はもう、千年以上もここの王で居る。今は独り身…だが、主が昨夜我の妃になったゆえの。」

エレーナは、ぼんやりと記憶にのぼって来る昨夜の事を思い出した。あれは、夢ではなかった。そして、本当にここは月の宮なの…?

「蒼様…こちらは、本当に月の宮でありますか?」

蒼は頷いた。

「そうだ。だが、主は知らぬであろう?」

エレーナは、首を振った。

「おとぎ話の国だと思うておりました。いつも父が、我が幼い頃話してくれた。そこは、何の邪気もなく、何もかもが清浄で、月に守られ、気は豊富で清々しい場所…。選ばれた者しか、入ることは叶わぬ地だと。」

蒼は、驚いたように眉を上げた。

「ほう?おとぎ話とな。さもあろうの。遠い昔に誰とも接することなく結界を閉じてしもうておったゆえ。」と、エレーナを見た。「主は、我の妃になって嫌ではないのか。落ち着いておるゆえ、驚いたの。てっきり取り乱すかと思うておったのに。」

エレーナは、そう言われて自分でも驚いた。確かにそうだ…ここが月の宮だと聞いて、信じられなくて…。

「蒼様…我はこちらへ入ることを許されたのでありまするね。」

蒼は、頷いた。

「全ては世のため。主にしては不本意やもしれぬが、我は妃を粗末にはせぬ。我が妃としてここに留まるが良い。」

エレーナは、涙を浮かべた。月の宮の、妃…。お父様の、憧れの地だと言っていた場所。まるで、あのおとぎ話がそのままに叶ったような…。

「私で、よろしいのならば。」エレーナは、言った。「父に知らせてやれるものならば…。」

蒼は、微笑んでエレーナを抱き寄せた。

「主の同意が得られるのなら、良かったことよ。では正式に布告しようぞ。そのおとぎ話とやらに、感謝せねばならぬ。主の父は?」

エレーナは、涙を流した。

「父は、我がさらわれたことで心労で倒れ、寝込んだ事までは…。ですが決して里帰りを許されなったので、恐らくは、もう…。」

蒼は、頷いた。

「…そうか。これからはこちらで心安く過ごすが良い。」

そして、エレーナは蒼の妃として神の世に告示された。


「母上が!」

シンタは、必死に母の行方を探していて、ミリオナの方ばかりを探らせていた。美奈も、共に居なくなっていたからだ。しかし、ミリオナは知らぬの一点張り、美奈はまだ婚姻が成っておらぬので、取り返しただけと返答され、使者もミリオナの宮でエレーナの気を見つける事は出来なかった。

そこへ、月の降りる宮、月の宮から布告がなされた。エレーナは、月の宮の王、蒼の妃としてめとられたと言うのだ。

「月の宮…月の宮と!あれは、今のイサヤ王子の宮と聞いている。イサヤが月になったというのは、本当だったのか!蒼という王、我は見たこともないのに!」

臣下が、進み出た。

「王、月の宮は理想郷と言われる恵まれた宮で、あちらの地におるときは伝説の地だと言われて語り継がれていた場所。エレーナ様は、決してご不幸ではないかと思われまする。」

シンタは、臣下を睨み付けた。

「どういうことだ?」

その言葉と共に、下がっていた他の臣下達も進み出て来た。

「王、月の宮は、この地で1200年前にあった戦の折、たった一つだけ無傷で残った宮だと聞いておりまする。そして長く、月の宮の王ただ一人の力で結界を張り、月の宮と龍の宮を守って来たのです。それほどの力を持つ神は、龍王の他にありませぬ。つまりは、龍王と渡り合えるたった一つの力、それが月の力なのでございます。その月の宮と繋がり、我がマーラスは月と縁戚になった。これよりは、月の庇護がありまする。よほどのことをしでかさない限り、我らは他の神に侵攻されることもなく、安泰に暮らせるのでございます。」

シンタは、憤って言った。

「何を言っておる!そのような発展のないこと…」

臣下達は首を振った。

「王、お考えくださいませ。我ら、滅びかけてこちらへこの地を与えられ、助けられたのでございます。これからは、こちらで生きて行くため、他の宮とも交流を深めて、他からはぐれてしまわぬようにし、この地に根を付けねばなりませぬ。それが、まずは第一でございます。他の宮の王は、もう既にそれに気付いてどんどんと交流を始めている。今は、どうか他の宮に侵攻するなどということはお考えにならず、まずは落ち着くことをお考えください。エレーナ様が、月の宮へ嫁いでくださったのです。それを無駄になされてはいけませぬ。」

シンタは、呆然とした。いつの間にか、軍神達も傍に控えて膝を付いている。シンタは、スーラを見た。

「…主らも、そのような考えなのか。」

スーラは、顔を上げた。

「はい。王、こちらに始めから居った神達は、戦の愚かさを知っておりまする。そして、命の大切さもまた知っておりまする。我らも、我が国の民達、王に従う者達を守るため、今は他の宮と足並みをそろえ、とにかく落ち着くことをと望んでおりまする。」

次席軍神の、シザルが言った。

「我も、そのように思いまする。こちらの神は、皆穏やかな気を持っている。我らは、まるで野蛮な祟り神になった心持ちになりました。王、どうか、この国を落ち着かせることをお命じ下さいませ。」

シンタは、じっと黙った。母も、同じようなことを言っていた。父は、民のことを考えて行動する神だったと…。自分は、まだ若い。神の世では、成人していない歳だ。これから、他の神の王から学ばねばならぬのか。がむしゃらに、自分の考えだけで動いてはならぬ。自分の命令一つで、軍神達も命を散らしている。もっと、命じる重さを知らねば…。

「…わかった。」シンタは、言った。「まずは、蒼殿にまずはめでたいとの挨拶を。」

臣下達は、一斉に頭を下げた。

「ははー!」

シンタは、窓から空を見上げた。月の宮の神にも、会わねばならぬ。そして、話しを聞かなければ…。


龍の宮では、維心がその報告を、炎嘉と維月と共に聞いた。

「そうか。」維心は、洪に言った。「シンタも、少しは成長したかの。それとも、仕方なく臣下達の言いなりになっただけか。今は分からぬが、そのうちに会って話そうぞ。我も、あれには借りがあるしの。ま、イスリークとしての我は、まだたったの20歳ほどであったしの。若かったわ。あの記憶が消えた訳でも、イスリークでなくなった訳でもないが、混ざった感じよの。あの時十六夜が言ったことが分かるわ。」

炎嘉が維心の前の椅子で言った。

「そうであるの。我とて、ルイとしての記憶がなくなった訳ではないしの。だが、炎嘉としての記憶があったなら、イエンは死なずに済んだと思うし、もっとうまくやれたのではないかと悔やまれる。こちらに戻るにあたって、恐らく炎嘉でなければならなんだのだろう。あれでは、またこちらを滅ぼしてしまうからの。」

炎嘉は、遠い目をした。維心は頷いた。

「我らの使命は、ここを再び繁栄させることであろう。それが終わるまで、死ねぬだろうの。また長い生であろうて。」と、維月を見た。「だが、維月が居れば我はどこでも良いのだ。必ず使命を果たして見せる。のう維月よ。」

維月は、微笑んだ。

「はい、維心様。」

炎嘉は、真面目な顔をして維心を見た。

「維心、真面目な話ぞ。維月が大事なのは分かるが、まずは神の世のことを考えよ。これからどうする?何か策はあるか。」

維心は炎嘉を見た。

「そうよの、まずはあの時毎月開いておった、王の会合を復活させようぞ。あんなもの面倒なだけだと昔から思うておったが、顔合わせにはあれが良かったわ。皆の考えも分かるし、何より気の乱れでそやつの企みも気取れる。一石二鳥よな。」

炎嘉は、面倒そうにため息を付いた。

「ああ、あれか。確かにあれは古くからあったゆえ、我も面倒だと思うておったが、あれがあったからこそ、皆の顔を知っておったし、頻繁に交流があったものよな。主のように引きこもりの王であれば、あんな時でなければ出てこなんだしの。」

維心は眉を寄せた。

「誰が引きこもりぞ。」と、洪を見た。「洪、さっそく手配せよ。月一回は面倒であるし、二か月に一回から始めようぞ。」

洪は、頭を下げた。

「は!さっそく手配を致しまする。」

炎嘉は、出て行く洪を見送った。

「二か月に一回か…何か楽しみよな。初回はどこでする?やはりここであろうの。」

維心はため息を付いた。

「騒がしいのは嫌いであるがな。仕方がないの。皆が迷わず到達できる場でなければならぬしな。」

炎嘉と維心は、見慣れた龍の宮の庭を眺めた。王の会合…懐かしい。

珍しく穏やかに語り合う二人を、維月は微笑ましく見守っていたのだった。

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