炎嘉
皆の移動が終わるまで、それからひと月掛かった。
それぞれの宮の清掃にかなりの時間を使い、どの宮の臣下達も疲れ切っていた。しかし、あちらの宮より数段に古く、しかし頑強で美しい宮々に、どの国の王も満足げであった。
移住を決めた国々が全てひと月で移動を終えたのは、奇跡に近かった。神の力とは、やはりすごいと蒼は思った。
そんな中、一番最初に移住を終えて、やっと落ち着いたらしいドミナスの王、ルイ・エンタ・ドミナが、蒼に挨拶のためと月の宮を訪れた。思いも掛けず賑やかになって来た宮に、昔の神の世を思い出しながら、蒼は謁見の間でルイを待った。
気が付くと、横にイサヤが立っていた。蒼は、イサヤを見上げた。
「十六夜?この王は危ないのか?」
イサヤは首を振った。
「いいや。本来力は強いが変なことを考えるようなヤツじゃねぇ。今回は、民達のために挙兵して、オレの父だったイエンを殺害したんだ。戦ってのはそんなものだし、今のように和平を約した後、敵対する気はねぇよ。オレは、最近会ってなかったんだ…あの戦の時、久しぶりに会ったのさ。」
蒼は頷いた。少し構えて待っていると、扉が開き、堂々とした風格の、美しい顔立ち、明るい茶色の髪に、赤い茶色の瞳の鳥の気を持つ神が入って来た。
「初めてお目にかかる、月の宮の王、蒼殿。ここは、なんと懐かしい香りのする宮よ…ここまでの道、戸惑うたわ。」
蒼は、絶句してルイを見つめた。この顔…この気。間違うはずはない。
「炎嘉か。」イサヤが言った。「記憶が戻って初めて会うんだ。こいつは炎嘉の気がする。」
ルイは、眉を寄せた。
「イサヤ殿。我はルイ・エンタ・ドミナ。主は知っておろう。」
イサヤは、頷いた。
「ああ、知ってるよ。だがな、お前は炎嘉だ。オレは、前世の記憶が戻った…十六夜という名に、覚えはないか?」
ルイはさらに眉を寄せた。
「十六夜…」しばらく黙った。「…覚えがある。それを言うなら、蒼殿の名にも覚えがある。それよりもっと驚いたのは、割り当てられた我の今の南の領地、あの場所があまりに懐かしくて始めて参った時涙が出た。我が臣下のうち、何人かも同じだった。これは、前世が関係しておると申すか。」
蒼は、頷いた。
「その通りよ。1200年前の戦のことは聞き及んでおろう。主はの、それを生き延びて、我と共にこの地を守って寿命を迎えて逝った、炎嘉というあの地の王であった神の生まれ変わりであろうと思う。姿もそうだが、何よりその気…。我も、なんと懐かしいものかと思う。」
ルイは、蒼をじっと見つめた。
「…蒼…しかしの、何か違和感があるの。我の記憶の奥底で、主が違うと申しておるような。いや、感じが違うと言うべきか。」
蒼は苦笑した。
「それはそうであろうよ。我もあれから、この地をたった一人で守らねばならなんだ。ゆえ、主らのような話し方を覚え、主らのような考え方を学び、それを手本にして治めて参ったゆえな。昔は、元は人であったゆえ、もっと人に近かったからの。」
ルイは、黙って頷いた。蒼は立ち上がった。
「立ち話もなんであるゆえ、我の居間へ参ろう。案内する。」
ルイは、黙って頷いて、蒼とイサヤについて蒼の居間へと入って行った。
ルイは、勧められるまま椅子に座り、感慨深げに回りを見回した。
「おお、何もかもが覚えのあることぞ。何と懐かしいことか。」
蒼が微笑んで口を開き掛けると、横から声がした。
「蒼様?イサヤはこちらですか。」
皆が一斉に振り返った。
そこには、美月が立っていた。イサヤが、美月に歩み寄った。
「どうした?何か用か?」
美月は頷いた。
「あの…イスリーク様が、そろそろあちらへ来るようにと言って来られたの。明日にでも迎えに来るとおっしゃって。」
イサヤは苦笑した。
「全くよぉ、さすがは維心だな。準備が出来たら即、呼び寄せるってことか。わかった。お前も準備するといい。」
美月が頷くと、後ろで蒼が慌てたような声を出した。
「炎嘉様?!」
イサヤも、慌てて振り返った。ルイが、頭を押さえてうずくまっている。イサヤも急いでルイに駆け寄った。
「ルイ殿、どうしたのだ。」
ルイは、つぶっていた目を開いた。
「…あれは、維月か。」ルイは、絞り出すような声で言った。「我は、戻ったのか。蒼と約した。必ず再び、記憶を留めてここへ戻り、蒼を助けて地を守ると。」
蒼は、ルイの顔を覗き込んだ。
「そうです、炎嘉様。オレは、ずっと待っていた。炎嘉様が戻られるのを。」
ルイは、頷いた。
「ああ。我はすぐに転生しようと思うたのだ。しかし、記憶をどう留めたら良いのか分からず、手間取った。うまくやったつもりでおったのに…今の今まで、忘れておったことよ。」
イサヤが、ため息を付いた。
「なんでぇ、それで維月を見て記憶を戻すってどういうことだ?お前も維心も、維月命だったからな。まったく。」
ルイは目を上げた。
「十六夜、主と維月が居るということは、維心も戻っておるのだな?」
イサヤは頷いた。
「ああ。龍の宮に居る。だがな、維月も維心もまだ前世の記憶が戻って居ないんだ。オレだって、親父が頭をいじらなきゃまだ思い出さなかっただろうよ。」
ルイは驚いた顔をした。
「碧黎が戻っておるのか。」
蒼が頷いた。
「記憶のない母さんに、呼ぶように言ったのです。母さんの呼ぶ声には、すぐに反応して碧黎も陽蘭も飛んで来た。」
ルイは顔を上げた。
「…この地は、再生するやもの。」と、戸惑っている美月を見た。「維月…なんと懐かしい姿ぞ。我は黄泉へ逝っても主を探し求めておったわ。しかし、主らの魂はもっと上に逝ってしまっておって…会うこと叶わなんだ。」
美月は、もう維月と呼ばれることには慣れていたが、このどうも覚えのある神のことも、やはり記憶に上って来なかった。
「あの…炎嘉様。私は、維月だったことは皆に教えられて分かっておりまする。ですが、まだ思い出さぬのです。」
ルイは、頷いた。
「そうであろうの。我とて今の今まで全く覚えがなかったのだ。ただ懐かしく、見覚えがあるだけでの。」と、立ち上がって美月の手を取った。「遠回りしてしもうた。しかし、こうして主に会えた。それだけで満足よ。そのうちに、何かあれば我のように思い出す時が来よう。その時、昔語りでもしようぞ。」
美月は、赤くなった。昔炎嘉であったというこの神は、驚くほど美しい顔立ちだったからだ。華やかで明るい美しさ…。イスリークのどこか影のあるような冷たい美しさとはまた違ったものだった。イサヤが言った。
「こら美月。お前なあ、昔から綺麗な男が好きだったのは分かるが、炎嘉を見てその反応はないだろうが。維心が記憶を戻したら憤死するぞ。ま、今のイスリークのままでも相当に怒るだろうがな。」
美月は慌てて言った。
「ちょっとイサヤ!そうじゃないの、あの、だって神様って綺麗なかたが多くって…慣れなくて…。」
ルイはフッと笑った。
「おお、主は我のことをそのように思うておったのか。ここに至って知ることになるとはの。良い、見た目だけでも主が好むと申すならな。存分に我を見ておるが良いぞ。」
美月はますます赤くなった。ルイは楽しげに笑った。
そんな姿を見て、蒼は目頭を熱くした。ああ、戻って来る。たった一人だったこの地に、昔共に歩んだ神達が、ここを共に再生させようと戻って来る…。
太陽さえも、蒼の気持ちを知っているように、暖かく感じた。




