神
午後の授業も終わり、イスリークが美月を連れて来たのは、今自分が住んでいる屋敷だった。
イサヤの屋敷が洋風なら、こちらは和風、木造の平屋で、とても大きな敷地に広々と建っていた。
庭も広く、きれいに刈り込まれた庭木が美しい。畳の部屋に座ると、身が引き締まる感じがした。イスリークが言った。
「元々あったものを手入れさせたのだ。なので少し古いが、落ち着いていて静かで我にはあっておる。ギリシュが探して参ったのであるがな。あやつはほんに頼りになるのだ。」
ギリシュは軍神…神…。
美月は、イスリークを見上げた。
「イスリーク様、お話を聞かせてくださいませ。」
イスリークは、目の前の座布団の上で脇息にもたれ、頷いた。
「気になるよの。美月、我らは神。あの北の王国は、我らが人の世と関わるのに必要であるから姿を見せておる場。我らは、皆神であるのよ。イサヤは違うが、我やギリシュは龍。龍神よ。」
美月は、ためらいながら頷いた。
「だから、飛べるし、全てにおいて優れているのですね。」
イスリークはまた頷いた。
「我らはなので、あまり人の世に干渉はせぬ。人の世においては、中立を守っておるだろう。神の世では、いろいろと小競り合いがあるがの。本当なら、人には神の子が産めぬので、主をめとることは叶わぬのだが、主は稀に生まれる人でありながら神の気を持つ女。なので、我らも主を妃にと申しておるのだ。イサヤの母も、我の母も主と同じ、人でありながら神の気を持ち、ついに神格化したもの達であるのだ。ただ我の母は我を産んで死んだがの。」
美月は同情した。ということは、イスリークは幼くして両親を亡くしたことになる。
「…イスリーク様…。」
イスリークは、美月の手を取った。
「我とて、主にどれほど会いに来たかったか。いつも日本の方角の空を見て、主を想っておった。しかし、幼い王だと近隣の王達に侮られてはならぬ。臣下達を不安にさせるわけにもいかなんだ。なので、簡単には国を離れる事が出来なかったのだ。そうしてここまで来て、やっとここへ来る事が出来るようになった。…既にイサヤのものであろうとも、我は良かった。とにかく、諦めるにしろ、主に今一度会いたいと望んだのだ。」
美月は、小さなイスリークが、どれほどに一人、必死に王であったのかと思うと、いたたまれなかった。きっと大変だっただろうに。
「イスリーク様…それほどに…。」
イスリークは頷いた。
「主の事を思うと、頑張れたのだ。早くおさめて主を迎えにと、そればかりであった。主が居ってくれたからこそぞ。美月…礼を申す。」
美月は涙ぐんだ。私が、気まぐれに言ったあの一言で、イスリーク様は救われていたと言うの…。
「それなのに…私は最初覚えてもいなくて…。」
イスリークは苦笑した。
「良いのだ。人はそんなものよの。しかし思い出してくれたではないか。それで良いのだ。」
美月は下を向いた。外が暗くなって来ている…そろそろ帰らなければならないが、イサヤは今夜、結婚するはず。そんな事がわかっているのに、その隣の家に帰るのが、気が重くてならなかった。
美月が暗い顔をしたので、イスリークは顔を覗き込んだ。
「…どうした?何かあったのか。」
美月は、涙ぐんだままイスリークを見上げた。
「イサヤのお父上様、イエン様が来て、今日妃を迎えるようにとイサヤに命じらました。今頃は…。」
イスリークは、それを聞いて少し黙ったが、すぐに美月を見て、言った。
「あやつは王子。我が言った意味がわかったようだの。我は王。誰にも指図されることはない。早くから王座に就いて、主には会えなかったが、我には誰も命じられなかった。イサヤは主と傍におれたが、王に命じられる立場。自由にならぬ。」
美月は泣きながら頷いた。ずっと傍に居てくれたイサヤ…だからこそ、初めて体を重ねるのもイサヤでないとと思った。だから愛し合った。でも、イサヤは他の人ともああして過ごすんだ…。
イスリークが、急に立ち上がると美月を抱き上げて歩いた。美月はびっくりして、涙に濡れた顔でイスリークを見た。
「イスリーク様?」
イスリークは、奥の部屋に入って言った。
「主は我の妃にと取り決めた。王子などには我に太刀打ち出来ぬ。主がそのように、あやつの事で泣くなど許さぬ。もはや関係のない男ぞ。」と、寝台に美月を下ろした。「今夜はここで過ごすが良い…戻りたくないのであろう?」
美月は悟って、起き上がろうとした。
「イスリーク様…だめです!私は…」
「否とは言わせぬ。」イスリークは美月を押さえ付けて言った。「我らは婚姻を約した仲。何がいけないことがあるというのか…。筋も通さず主を我が物にした、あやつのほうが罪は深いであろうぞ。」
イスリークは、美月の首筋に顔を埋めた。美月は叫んだ。
「お止めくださ…!」
イスリークの唇が、美月の口を塞ぐ。
茫然としている美月に、イスリークは言った。
「この日を待ちかねた…。主は我の妃になる。」
イスリークは、美月に深く口付けながら、その服をゆっくりと脱いだ。
美月に成す術はなかった。
イサヤは、不機嫌な顔でアイダを迎えていた。確かに美しい女。だが、興味もない女。
イサヤは父王の監視の元、どこにも行けない身を呪った。美月はどうしたのだ。今日も、自分は大学には行けなかった。様子を探りに行ったライナはどうした?
イサヤは、そんな事ばかり考えていた。こんな女を妃にするなど考えられなかった。美月を抱いたばかりであったのに。イサヤには美月が恋しくてならなかった。どうしても、美月に会いたい…。
ふと見ると、アイダと父王が話している向こうで、ライナがこちらを必死に見てもいる。イサヤは、何かわかったのかと、気が立ち上がった。
父王が、イサヤを見る。
「…なんぞ?」
イサヤは、くるりと踵を返した。
「部屋に戻ります。」
父王は眉を寄せた。
「何を言う。まだ満足に話もしておらぬのに。」
イサヤは首を振った。
「父上はもう少しお話ください。我は部屋へ。」
イサヤが断固として聞かないので、イエンは頷いた。
「…ま、良いわ。後での。」
イサヤは頭を下げると、すぐに部屋へと戻った。そこへ、まるで転がるようにライナが駆け込んだ。
「美月様が、ラミナ王に」ライナは必死に言う。「ラミナ王のお屋敷に…おそらく、妃になさるおつもりかと。」
イサヤは、窓を見た。父の結界が張られ、外へ出さぬようにされてる。美月…。
「ライナ、オレは行く!」イサヤは言った。「もう、父上の言う通りになど出来ぬわ!」
イサヤは、自分の精一杯の力を結界に向けて放った。美月…!待っていろ!
父の結界が光り輝き、イサヤの力を跳ね返そうとする。敵うはずはない…だが、行かねばならない!
「くそおおお!」
イサヤが叫んだ。異変に気付いた父王が、駆け付けて来る。
「何をしている、イサヤ!無駄ぞ!」
「知ったことか!そんな女、オレは要らねぇ!」
昨日、イスリークに触れられた髪がチリチリと痛んだ。と、思うと、そこから力が補填され、一気に結界は破壊された。
「なんと!」
父王がその衝撃で後ろへよろける。イサヤは言った。
「ライナ!」
「は!イサヤ様!」
二人はそこから飛び出し、一瞬にして姿は消えた。イエンは、空を見上げた。
「…やりおったの。我が息子だけあるわ。」
セレスが、気遣わしげにイエンを見上げた。
「王…。」
イエンは笑った。
「いや、もはやあやつが王ぞ。」と、歩き出した。「参るぞ、セレス。譲位の準備をする。アイダは帰せ。」
「は!」
セレスは、イエンの後を歩いて行った。




