ここでは無い何処かへ・5
……モグモグモグ……
……シャクシャク……
俺は今、異世界?らしい所に来ている。
ある日突然、天使だか悪魔だか分からない存在に呼ばれて、不思議な力を手に入れて、異世界に来た。
こういう場合、初日か二日目には何かしら運命的な出逢いがあるものだ。何故だか超絶美形だが、それをあまり自己認識してないヒロインと仲良くなったり、とてつもなく悪い奴に屈辱的な敗北を喫したり、はたまた世界一の大賢者から気に入られて弟子になったりだ。
その出逢いを通して、この世界の常識や世界観、次に取るべき選択肢の方向性を決めていくものだと思う。多分。
……モグモグシャクシャク……
うん、やっぱりちゃんと熟したのが甘くて旨いけど、熟しきってない黄色いのも青リンゴみたいな風味で美味しいな。
……モグモグシャクシャクゴクゴク……
「ぷはー、うん、青臭いね」
誰に言うでもなく、独り呟く。
あ、渋みがメッチャ来た。口の中がエライ事になってる。
これなんだよねー、熟し具合間違えると渋みで大変な目に逢うんだ。タンニンさんいい仕事してるなぁ。
だけど何て言うの?茶色になりきってない赤と黄色の注意中間位の熟し初めの実が、フルーティーで一番旨いんだよね。
口の中がをスッキリさせる為に、手元に置いてあった樹液のジュースを口に流し込む。若干青臭いが、少しだけ甘味が付いた川の水の様な風味で飲めなくは無い。因みにコップは葉を癒着させて作った。まだ力の加減に馴れて無いからか形は歪だが、これが無いと幹に口をつけて飲むしかないので我慢するべきだろう。
「痛っ。」
背中辺りにあった尖った部分がまだ残っていたようで風が吹いて揺れた拍子に背中に刺さったらしい。
何故風が吹いたら揺れるかっていうと、それは俺が空中にぶら下がっているからで。
何にぶら下がっているかと言うと、ナツメヤシの葉を二つ合わせたハンモックに、である。
一応、葉柄の根本部分はリグニンの層を厚めにして補強した上に、果柄を細く伸ばしてヨリをかけ、縄状にしたものを幹に数ヶ所くくりつけて補強しているので、強度の面は問題ない。
が、まだ細かいコントロールが上手く出来ないせいで、歯先のトゲが残っていて動く度に尻に刺さる刺さる。
それでも、びしょ濡れになった地面で溺死の恐怖に怯えながら休むよりはましだろう。
腰は超痛いけども。
ただ、疲労と空腹のせいで失念していたが、よく考えれば例のヒグラシモドキの様な生き物がいるのだ。寝てる間に捕食されていた恐れは多分にあった。毎日無事に朝を迎えられてるのは単純に幸運といって良いと思う。
ま、夜目が効かなかった可能性もあるが。
とにもかくにも、変化も何もないサバイバルを淡々と続けている。
あの行き倒れ寸前になった日から、もう随分と経つが、毎朝こうやってナツメヤシの樹液と実を食べては四時間ほど辺りを散策する毎日だ。
幸い、ワジがあるのでそれに沿っていけば迷う事は無い。
両側は切り立った崖になっているが、所々に人工的な階段の様なものがある。ただ、途中で崩れてるのが殆んどで崖の上迄いける通路はまだ見つかっていない。
見つかっていないが、それなりの高さ迄は登れたお陰で分かった事がある。この辺りは古い遺跡の様な所らしい。
両側の崖が長く連なった台形の小山だということは分かっていたが、その台形の上面一つ一つが恐らく住居だろうか?白い石で組み上げられた構造物になっていた。
実際に中に入っていないし、あくまで確認出来たのは小山の中でも低めのものだけなので断言出来ないが。
人は住んでいないと思う、多分。
どうしてかと言うと、構造物に屋根が残っていないからだ。自然に壊れたのか人為的に破壊されたのか分からないが、結構な壊れ方をしている。
住居跡だとしたら、何かしら使える物が残っている可能性があるから、どうにかして入り込みたいものだ。
「さて、行きますかね」
誰に言うでも無く、呟く。
それと同時に乗っていたナツメヤシのベッドから飛び降りる。
「よっと」
それなりの高さからスムーズに着地を決める。
靴の中に砂が入って来て若干不快な所以外、特に問題の無い着地だ。
こればっかりは仕方が無いが、ペラペラの革靴で砂漠を渡るのは正直しんどい。
あと、背広とYシャツにスラックスもだ。
アラブのビジネスマンがターバン巻いて、ゆったりした全身を覆う服を来ている理由が分かるわ。
日差しが痛い。キツイじゃなくて痛い。
なのに、汗は不自然な程出ていない。日本と違い乾燥した気候みたいだ。
出ていない、というより直ぐに乾いてしまうのだろう。葉っぱのクチクラ質を厚めにして作った水筒に入った水っぽい樹液を一口飲む。脱水症状には気を付けないといけないだろう。
軽く伸びをして、体をほぐす。首を回してから腕を後で組んで胸を拡げる。軽く屈伸をして最後に足首を回して柔軟終了っと。
体調は日に日に良くなって来ている。こちらに来た当初の半病人の様な状態とは大違いだ。
軽くステップを踏んでみる。革靴のせいで足指に力が乗りにくいが、サイドステップ、ステップインと腰から下の動きはスムーズだ。あまり激しくすると靴が脱げそうになるから、本気でやるときは裸足になった方が良いかも知れない。
下半身の動きを確認した後は、軽くシャドウをして上半身の動きも確かめてみる。単発のハンドスピードは問題ない、何故か。ブランクは年単位であるはずなのに。続いて連打を打っていく。ワン、ツー。からの右のダブル…………、あれ?まだいけるな。そこからステップインしてボディーへの左右のフックから上段へ左右ののショートストレート迄を一息でこなす。これをやるときは、未だにジムの会長の「ワン、ツーワンツッ おらっ!ガード下げんじゃねぇ!」という声が聴こえてくる。何百、何千と繰り返したコンビネーションは、身体に染み着いていて最後の右を放った直後に飛んでくるパンチングミットのタイミング迄正確に覚えている。疲れてきて左のガードが下がっていると、ヘットギア越しでも結構な衝撃が来たもんだ。
しかし……
「何で息が切れてないんだろう?」
そう、毎日練習が出来ていた頃ならともかく今の俺は相当なブランクがあるのだ。
昨日も妙に身体が軽いな、と思っていたがこれは明らかにおかしい。
「異世界の不思議パワーとかそんなんだろうか……」
これなら、崖の頂上迄登れるかも知れない。そうなれば、周りの地形もより広く把握出来るだろう。ひょっとしたら「町」みたいな物も見つかる可能性もある。とりあえず情報が必要なのだ。
このまま、この岩砂漠に閉じ込められてゲームオーバーってのは勘弁願いたいし、何よりも出会いが必要なのだ。
異世界?に来たからには美少女との出会い、すんごい魔法使いや金持ちとかに見初められて、とかのご都合主義的展開が必要だ。
それが無いとしても、そろそろ人恋しいのだ。
こちらに来てから既に5日が経過している。それまでは毎日職場と家庭で常に誰かしらと会話を交わしていたので、これだけ他人とコミュニケーションをとっていないと辛くなってくる。
「独り言も増えるってもんだよな」
よし、とりあえず今日は一番高い崖を登るとしよう。その為には長めのロープと滑り止めが要るな。ロープはナツメヤシの外皮をよって作った物を使えば良いとして、滑り止めはどうすっかな。
炭酸マグネシウム……は無いとして、松脂……駄目だ、目に見える限りナツメヤシ以外は生えてない。だとしたら、ナツメヤシから取れる物でベタつく物か……。
樹液の濃度を多少濃い目にしたらどうだろう。体操の選手は蜂蜜やらを滑り止めにしてるらしいし、何も付けないよりはマシだろう。
「先ずは葉のクチクラ質を肥大させてっと」
手をナツメヤシの幹に当ててイメージを膨らませる。
想像するのは底の広い円柱型のコップだ。元から硬質な葉を更に分厚くして、成長点を誘導して形を整えていく。
体の中のエネルギーが消費されるが、微々たるものだし高カロリーのナツメヤシの実を好きなだけ摂取出来る俺にはさした問題ではない。
携帯しやすい様に縁の部分の片方から繊維状の外皮を長く伸ばしていく。
これを腰に巻けば簡易なチョークバックの完成だ。
更に続けて高濃度樹液の作成の為に葉の気孔から大量の水分を飛ばす。
暫く待って幹に穴を開けると、トロリとした粘度の高い樹液が出てくる。
「本当は蜂蜜並に濃くしたいけど、そこまで水分飛ばすと枯れちゃいそうだしな」
樹液をチョークバックに入れて腰に縛り付ける。
動く度に溢れるのはご愛嬌だろう。
革靴は脱いだ方が良いか。靴下も脱いで裸足になろう。
軽く屈伸をして、上を見上げる。
5メートル程先にある踊り場の様な所まで行ければ、後は階段があるからそれを登って行けばいい。
ザッザッ
素足での感触を確かめてみる。
少し熱い。それに砂の粒子が細かいな。サラサラしてる。
ここを登って現在地を特定出来れば、やっと先の行動の指針が持てるな。頑張りますかね。