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旅先から

やっと本編始まります

その年の春、俺は僅かばかりの臨時ボーナスを手に、


ここ何週間かで溜まった、澱の様な疲れを取るべく琵琶湖の畔にある地方都市へと向かっていた。


普段、仕事終わりに乗り込むのとは逆方向の電車だ。



目的地に近づくにつれ、景色から人工物が消えていく。



都会特有の雰囲気の悪さから解放され、ホッとした気分になった辺りで、瞬間的にガラの悪さが復活する、それが目的地だ。


別に、この堅田という町の微妙な治安の悪さを楽しみに来た訳では無い。


ただ単に久方ぶりの連休を満喫するには旅館に泊まって温泉に入って、というだけでは物足りなかった。


だから敢えて、特に考えもせずに琵琶湖岸を二駅程歩こうか

、と思っただけだ。



ビールを片手にバイパス沿いをしばらく進む。


平日の昼間にスーツ姿で飲みながら歩いてると、何故か悪い事をしている気がする。この罪悪感が社畜の証かもしれない。


気がつくと、周りに大きな建物は無くなっていて、左手には水鳥と葦が浮かぶ琵琶湖の風景が広がっていた。


「これで雁でも翔んでたら堅田落雁の完成だな」


浮御堂の場所も知らないが、何となく呟いてみた。


そう言えば、せっかく来たのに名所やらを何も調べて無かったな。


チェックインの時間は夕方だ。少し足を伸ばしてみよう。


この辺りも探せば歴史的な名跡何かがありそうだけど、今から調べるのも面倒だ。


それに……。


右手をガンガン走るトラックに出す排気ガスが折角の琵琶湖の景観を上手い具合に台無しにしてくれる。


取り敢えず、タクシーにでも乗って最寄りの駅にでも行くか。


いつの間にか随分歩いて来た様だから、今更元の駅に戻るのも何だし駅に着くまでの間、運転手に手軽に旅気分に浸れる名所を聞くのも良いだろう。









タクシーが通らない……。


俺はいつの間にかタクシーが無い国に迷い混んだのか。


探しはじめてもう一時間は経っている。


歩きながら待っているから既に一駅分は進んでしまって、もう目的の旅館の側に来てしまった。


そう言えば、途中で見かけたバス停のダイヤは新品のノートの様に真っ白だった。


車の通りは結構多いのに、何故だ。


大阪のタクシーが滋賀に来たら大儲け出来そうだな、と一瞬思ったが道中に歩行者が殆ど無かった事を思い出す。


そこから考えるに、ここの人は移動は自家用車を使うのがデフォルトなのだろう。



「こうなったら意地でも歩いて何処かの駅に行ってやる。」


何だろう、疲れを癒す為に来たのに俺はマゾなのか。


そこから更に一時間歩いて、ようやく小さな私鉄の駅にたどり着いた。


勿論、目的の旅館は通りすぎている。


パンパンになったふくらはぎを擦り、若干では無い後悔をしながら何故か俺は電車に乗っていた。


駅員からの情報によると、終点に有名な観光名所があるらしい。


ここからそこまで遠くないらしく、今から行っても4時には十分帰ってこれるとの事。誂えた様に丁度良い。



それにしても小さな電車だ。


走るスピードも車より遅く自転車より早いって感じかな?


車窓から見える景色も如何にも牧歌的で、何だかホッとする。


これだ。こんな癒しを求めて俺は来たんだ。


途中で飲んだビールの酔いもあるんだろう、何だか眠くなってきた。


それに共に、身体の芯の芯迄まとわりついた疲れとも固形化した怒りとも言えない物が溶けていく。


そう、こんな物は二、三日何もかも忘れて、馬鹿になって消さないといけない。


そんな事を考えながら、俺の意識は急速に沈んでいった。




‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐





「はい、黒岩警備保証、管制室でございます。」



その日も電話はひっきりなしにかかってくる。


現場の隊員からの相談、客先からのクレーム、1日4回の定時連絡×150の現場。


何か問題が起これば、その対応もこなさなくてはならない。


俺一人が。



だってここには今現在、俺一人しかいないのだからしょうがない。



勿論、中堅の警備会社にギリギリ仲間入りする規模を誇る会社の本部だから、昼間は社長やら専務やら部長やらが割りと沢山いる。


いるにはいるが、手伝っては貰えない。


朝から夕方まで世間話をするか新聞を広げて難しい顔をして、たまに接待ゴルフと言う名の古巣との同窓会をすれば俺の倍では効かない給料が貰える素晴らしい仕事だ。


俺はもう、警察24時的な番組をまともに観れないな。犯罪者達を応援してしまいそうだ。観る暇なんてないが。



電話の応対をしながら作成している報告書の山を見ながら、明日の帰宅を諦めた。


24時間勤務で残業が12時間帯越えるから36時間勤務か……。


いつもの事だ。


相番の滝本はまだ新人だから、どうせ半日はフォローに回らないといけないしな。


時計を見ながら、今夜はせめて二時間は仮眠時間を確保させてくれと心から祈る。どうせ夜中に緊急対応で起こされるんだろうけど。


そんな事を考えながら、また機械的に受話器を取る


非通知設定?クレームか?


「いつもお世話になっております、黒岩警備保証、原田が承ります。」



「…………」


あれ?いたずら電話か?頼むから、もっと暇な所にかけてくれよ。


もう俺の睡眠時間デッドライン越えてんだよ。アレだったらこの電話が最後の一押しになって天に召されるかもなんだぞ。


「……相変わらず、声だけはいつも元気そうだな……」


色々悩んでたら、聞き慣れたら声が受話器から聴こえてきた。


というか、今日の昼迄俺の前のデスクで始末書書いてたじゃんか。


「え~っと、山梨?こんな時間に起きてて良いのかよ」


明日の朝には仮眠無しの30時間勤務が始まるぞ?俺と交代で。


「つか、こんな忙しい時間に電話するな。殺す気か。」


少し本気で抗議すると、いつもの荒みきった感じとは違う、憑き物が落ちたような優しい口調で謝罪してきた。


「悪いな、こんな時間にかけたら迷惑だろうとは思ったんだけどさ、要件的に早目に言わなきゃお前が朝大変かな?って思ってさ」


何だろう、ひょっとして風邪ひいちゃったから休ませてくれってか?


それだけは駄目だぞ?俺か滝本が死んじゃうぞ?そもそも


わが社の休んで良いボーダーラインは41℃だ。


どう考えても、そんな重病人の声じゃないだろ。部長辺りにチクって、その程度の策の甘い仮病は消し飛ばすよ?


「実はさ、明日からは会社に出れなくなったんだ。俺達。」


「そんなこったろーと思ったよ、そんな分かりやすいズル休みが通用すると…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………明日……"から"?俺……"達"?………………………………………………………………………………えっ何?どう言う事?」


まさかの辞めます宣言か?その気持ちは痛い程分かるし、正しい選択だと思うけども。


「すいません、そこからは僕が……。」


またまた良く聞き慣れた若い声がした。


「……滝本が何でいるの?」


俺をハブっての飲み会でもやってるのか?で、俺を二人してからかってると。


多少悲しいが、そんなオチなら百歩譲って納得しよう。



「原田さんにはご迷惑お掛けしますが、実は僕達今から……。」



なんだなんだ。"僕達今から会社を訴えます"か?それなら是非ハブらずに俺も一口噛ませてくれよ。もう裁判所も閉まってるだろうし、何だったら明日の朝一で皆でトゥギャザーしようぜ。




「新婚旅行に行ってきます!」


「は?」


「滝ちゃん、それだけじゃ分かりにくいだろう?」


山梨に電話が代わった。そうだ、俺に解るように説明してくれ。


「悪いな、こいつ興奮しちゃっててさ。お前も時間が無いだろうから分かりやすく、簡潔に言うとだな。」


興……奮? そうか、滝本の奴、あんな大人しい顔して先輩を弄って興奮するドSだったのか。いや~、同僚の意外な一面が垣間見えておじさんビックリしちゃっ…………。


「俺達、今東尋坊にいてさ。今から二人で心中して、天国で夫婦になるんだよ。」




‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐






そこからが地獄の始まりだった。


必死で思い止まらせようと、言葉を尽くしていた俺の受話器の向こうから聴こえた、何か重たい物が潰れたような爆音。


それからは、いくらかけても電話は繋がらなかった。




その後の警察の調べによると、二人は同じ部署になってすぐに恋仲になったらしい。


二人とも既婚者だったんだが。つか、男同士なんだが。



で、激務から来る鬱が引き金になって、"この世では愛する人と一緒になれないし、仕事も限界だし、いっそ来世で幸せになろーぜっ"って超理論が産まれたらしい。



道理で二人のデスクに宗教関係の本が増えてた訳だ。



ま、それは良いとして。



三人しかいない部署で二人いなくなったらどうなるか?



……俺は三週間、睡眠時間ほぼゼロで会社に缶詰めになった。



通常業務に加えて、遺族への対応、警察からの聴取。


しばらくすると、マスコミが騒ぎ始めた。


"違法な長時間勤務が、社員二人を自殺に追い込んだんだと。


俺からすれば、もっと面白いネタがそこには隠れているんだよ?って言いたい所だけど、残った家族をこれ以上苦しめる訳にはいかなかった。


マスコミが騒ぎ始めて直ぐに、社長から直々に話があると言われて別室に案内された。


「君にやって欲しい事がある。」


俺がソファーに座るのを待たずに、社長は要件を切り出し始めた。


要は、タイムカードやシフト表等々の改竄をしろ、ということらしい。睡眠不足の極みにあった俺は、その身勝手過ぎる話にぶちギレそうになりつつ、何とか穏やかな口調で抗議した。


「何勝手抜かしてやがる、このクソジジイ。人員が決定的に足りない現状で、んな事に割ける時間なんてある訳ねぇだろボケ。俺が何日間寝てねえと思ってんだオイ。ひょっとして俺ら一般入社組の事超人か何かと勘違いしてんじゃねーか?だいたいあの二人だって、こんな頭おかしい労働環境じゃ無かったらあんな事にゃならなかったんだ。そうだな、俺も頭おかしくなっちまったから辞めよっかな。あ、俺ら3人の勤務実績の原本とかをマスコミに売り付けたら退職後の暮らしの足しになりそーだよなぁ?」


うん。穏やかではいられなかったね。


言ってしまったからにはしょうないので、『たまたま』ポケットに入っていた辞表を、目が点になっている禿げ頭にそっと叩きつけた。


丁寧に置いたつもりが、中々良い破裂音がしてしまった。



目の前の社長という名のハゲは、予想もしていなかった俺の反抗にどう対応すれば良いのか分からない様で、


「きっ君はこんな事をして良いと……、いや、そもそも今我が社がどんな状況だと……」



とか、訳の分からない事を言っている。


今のうちに逃げとこう。良く考えたら、このハゲは柔道4段のバリバリの武闘派さんだ。


肉体言語使われたら、俺、死んじゃうだろうし。


そう思い、過労死寸前とは思えないスピードで華麗に職場を脱出した俺だが、エントランスを出る直前で捕まってしまった。


肩を掴まれただけなので、普段の俺なら振り返らずに前にダッシュするだけで振り払えたのだが、悲しいかな今の俺は小学生にも負ける程度のライフしか残っていない。というか、このまま屋外で30分位紫外線を浴びてるだけでも逝けそうだ。


滝本……山梨……今そっちに行くぜ。あ、でも仲間には入れてくれないで結構だよ。ソッチには行かないからね、天国に行くって意味だからね。


そんな事を考えていると、背後から意外な声が聞こえてきた。


「ち、ちょっと待つんだ。原田くん。頼むから短気は起こさんでくれ。社長やら部長は何にも分かって無いんだ。君達にどれだけ無理がいっていた事も、君が辞めたら会社が回らなくなる事も……。そもそも、今の自分達の立場も良く分かって無いと思う。今でさえ、新規の契約は次々にキャンセルになってるっていうのに、君がマスコミに実際の勤務実態をデータ付で渡しでもしたら、それこそ既存の顧客も契約継続には難色を示すだろう。その上、君が居なくなれば現場が大混乱するのは目にみえてる。」


声をかけて来たのは本部では俺と並んで唯一の一般入社組である、畠中営業次長補佐だ。


次長補佐なんて肩書きだが、実質我が社の外回りの営業はこの人で持ってる。補佐される次長がそもそも出社しないし顔見たことないし。


因みに、入社30年の会社一番の古株でもある。そんなベテランが仕事出来ない訳でも無いのに、外回りやらされてるだけでもこの会社はおかしいんだが。



「しかしですね、自分はもう決めたんです。それに辞表も出しましたし。」



俺はもうあのオフィスに戻る気は更々無かった。


真面目な話、後2日もあそこにいたら俺もおかしくなってしまう。


その確信があったから俺は前もって辞表を用意していたのだ。



「…………そうだよな。辞めちまうのが正常だよな。ハハハ、なにやってんだ、俺は。この会社に毒され過ぎちまったのかな?」


そう言って笑ってる畠中さんの眼にも濃い隈が浮かんでいる。濃すぎてパンダみたいだ。そう言えば畠中さんも、この騒動が起きてから関西中の現場で、頭を下げに駆けずり回っている。


仕方が無いのだ。営業部長も課長も係長も、仕事をしないのだから。以前はそのサポートに回っていた、若手三人も、一人はそんな暇が無くて会社を辞めようとしているし、残りの二人は長い長い新婚旅行に出掛けたきり帰って来ない。


本来は、元々の創業者だったジイサンとその後継者であった息子が何とか会社の実務を回していたらしいのだが、天下り連中との派閥争いに敗れ、今年の始めに田舎に引っ込んでしまったのだ。

その時から、この会社が破綻するのは時間の問題だったのだろう。


「そういや俺も定年になっても良い歳だよな……。このまま務めあげても大した退職金貰える訳でも無いし、そもそもこのままじゃ会社潰れちまうしな……」


畠中さんがぶつくさと独り言を始めた。


あれ?過労で早めの痴呆来ちゃったかな?


「なぁ、もし毎日家に帰れて、残業代もキチンと貰えて、人員も倍になって一般入社組もある程度、上の役職になれる様になっても辞める決意は変わらんか?」


そんな失礼な事を考えてたら、畠中さんは夢の様な事を言い出した。


やっぱりボケちゃったかな?


「いえ……。そりゃそんな待遇になれば辞める必要は無くなりますが……。」


「なに、クビを覚悟して交渉するさ。ついでに一週間位の休みも貰っといてやるよ。その代わり、今日1日だけ帰るのは我慢してくれよ?最低限の引き継ぎをしてもらうからな。」


そう言って畠中さんはオフィスに引き返していった。


あれ?俺まだちゃんと返事してないんだけど……。


何だか良くわからんが、今すぐ帰れなくなった事だけは寝不足の頭でも理解できた。



「とりあえず、限界なんで寝ますね……。」



そう誰に言うでも無く呟いて、俺は夢の世界へ旅立つ事にした。








‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐



久しぶりのマトモな睡眠をエントランスのソファーで楽しんでいた俺の元に交渉の結果が伝えられたのは、その日の夕方になってからだった。




詳しい経緯は分からないが、畠中さんが言っていた条件を会社は全て飲んだらしい。


その代わり、畠中さんは退職。予定していたよりも大幅に金額アップした退職金を持っての早期退職らしい。何でも今回の事以外にも会社として表に出せない事をぶら下げての、半ば脅迫だった様だ。


で、何故か責任を取らされた形で営業部長、総務部長が懲戒免職になった。


あくまで、この二人が独断で、俺らや畠中さんに業務を集中させ、結果、会社に損害を与えた、という事らしい。


見事なトカゲの尻尾切りである。ざまあみろとしか思えないが。



そして残りの若手キャリア組には今晩泊まりがけで、俺が仕事の引き継ぎをする、と。


何と俺一人の仕事を5人でやるらしい。「皆さん、普段やってるお仕事は良いんですか?」って聞いたら何故か乾いた笑いを返してきたよ。そりゃそうだよな。普段は1日ソーシャルゲームに勤しんだり、最近は何だっけ?そうそう、フットサルの練習で忙しくしてるんだもんね。


ま、幾らなんでも一晩で普段遊び呆けてる兄ちゃんが使い物になるはずも無いわけで、あくまでも彼らにはマニュアルを見て何とか対応出来る仕事をやってもらうだけである。


実際の実務は、その道のスペシャリストに2週間程来て貰いやりくりするらしい。


何でも、天下り組の古巣の方が今回の件に戦々恐々としているらしく、形振り構わず事態の収拾に動いた様だ。




何はともあれ、その次の日の朝から俺は久しぶりの長期休暇にありつく事になったのだった。



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