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第五話

 朱色に染まった空、黄金色に輝く海、夕陽に照らされながら、朱に染まろうとはしない、白い砂浜……。黄昏海岸は、陽が沈む夕刻が、最も美しいと言われている。

 その美しい黄昏海岸の波打ち際で、真人と向日葵は、手を取り合ったまま、夕陽を見ていた。

「最後に、もう一度ここに来たかったんです……」

 嬉しそうだが、どこか哀しそうな……複雑な表情で、向日葵は言った。

「どうして?」

「ここにも、真人様との想い出が、沢山あるんです。黄昏動物公園よりも、沢山の……」

 過去の出来事を、思い出しているかの様に、向日葵は遠い目をする。

「初めてキスしたのも、この海岸でしたし……。真人様が、七歳の時でしたね」

「あれは……人工呼吸だよ!」

「そうでしたっけ?」

 からかう様に、真人に微笑むと、ミユール風の靴を履いたまま、向日葵は海に足を踏み入れる。小さな波が、向日葵の足を洗う。

「でしたら、本当のファーストキスをしたのは、何時、何処でだったのか、覚えてます?」

「ここで、十歳の時……。確か、映画か何かのキスシーンを見た後、自分でもしてみたくなっちゃって……向日葵に頼んだんだ」

 恥ずかしそうに呟く真人を見て、向日葵は素直に喜ぶ。

「ちゃんと、覚えててくれたんですね……」

「当たり前だよ」

「あの時も、今みたいな、夕暮れ時でした……」

「まだ、背が低かったから、向日葵にしゃがんで貰って、キスしたんだよな……」

 向日葵は、真人の背の高さを計る様に、真人の頭に触れる。

「大きくなりましたね……真人様。初めて会った時は、私の胸より低かったのに……」

「あと少しで、向日葵より大きくなれたんだ……」

 真人は向日葵を抱き締め、軽く唇を合わせる。そのまま、二人は見詰め合う。

「嬉しいです……。私は、使命を果たせました……。真人様を、育てるという使命を……」

「……嬉しい? 死ぬのに?」

「死ぬっていうより、機能が停止して解体されるんです。私は人間じゃなくて、機械ですから」

「機械でも、向日葵には心があるんだろ? だったら、人間と同じで、死ぬのは嫌な筈だし、怖い筈じゃないか! 何で、もうすぐ死ぬのに、嬉しいなんて言えるんだよ?」

「……私が今日、死ぬ事は、私が生まれた時から、決まっていた事です。だから、覚悟は出来ています」

 向日葵は、淡々とした口調で、続ける。

「死ぬまでに、私は使命を果たす事が出来ました……。だから、嬉しいんです。嬉しいと思ったまま、死んでいく事が出来ますから……」

「そんなの……変だよ! おかしいよ……」

 そう訴える真人を見て、向日葵の表情が、少し厳しい表情に変わる。

「……私達ロボットの寿命を、十年と決めたのは、真人様達……人間なんですよ」

「それは……」

「それなのに、人間の真人様が、変だとか……おかしいとか言う方が、変です……」

 向日葵の言う通りだと思い、真人は俯く。そんな真人を見て、向日葵は少し、戸惑う。

「……ごめんなさい。真人様が、アタラクシア7の掟を決めた訳でも、真人様に、掟を変える事が出来る訳でも無いのに、言い過ぎました」

 そう言うと、向日葵は再び、優しい顔に戻る。真人は複雑そうな表情で、向日葵を見つめる。

「私は、主人にも仲間にも恵まれましたし、楽しい想い出も、沢山出来ました……」

 向日葵は、真人を宥める様に、真人の身体を撫でる。

「こんなに素敵なラストデイトも、して貰えましたし……。ラストデイトをして貰えないロボットって、沢山いるんですよ……」

 そう言いながら、向日葵は真人に微笑んだ。その笑顔が、何処か真人には、哀し気に見えた。

「私は、幸せなロボットです……」

 向日葵は、真人のポケットに手を忍ばせ、懐中時計を取り出す。懐中時計の蓋を開くと、針は四時四十五分を示していた。

「もうすぐ、お別れですね……」

 淡々とした、向日葵の言葉を聞いた真人は、意を決する。突如、真人は向日葵の手を掴み、走り始める。突然の真人の行動に、向日葵は驚きの声を上げる。

「真人様?」

 向日葵は、真人が目指している方向を見る。そこには、橋があった。

「真人様、ダメです!」

 真人の意図を察した向日葵は、真人を制止する。

「何で? あの橋を渡れば、向日葵は助かるんだろ?」

「そうですけど……それでも、ダメなんです!」

 向日葵は、真人に思いとどまる様に訴えるが、真人は構わず、向日葵の手を引いて、橋に向って走り続けた。


 橋は、大型車両用の車線が、六車線は取れそうな程に大きく、作られてから、相当な年数が経過しているらしく、古めかしい。夕陽で朱に染まる、古くて大きな橋の姿は、まるで、写実主義の画風で描かれた、風景画のようである。

 外の世界へと繋がる、この巨大な橋の、海岸から一キロ程離れた地点には、大きな門がある。この門の外の世界へ、主人である人間と共に出れば、ロボットは十年という寿命から解放される。但し、一度でも外の世界に出た、人間とロボットは、二度とアタラクシア7には、戻る事が出来ない。

 真人は、向日葵の手を引いて、この橋の上を渡り始める。

「だから、渡っちゃダメなんです、この橋は!」

「僕が、いいって言ってるんだから、いいんだよ!」

「ダメです! 私の為に、真人様を辛い目に遭わせる事は、出来ません!」

 必死に制止する向日葵を説得する為に、真人は橋の入り口と門の中間地点で立ち止まり、向日葵を見つめて、語りかける。

「外の世界に出たら、僕は辛い目に遭うかもしれない。だけど、向日葵がいなくなっても、僕は辛いんだ! 同じ辛い目に遭うなら、向日葵がいる方がいい!」

「真人様……」

 向日葵は感極まった様に、嬉し涙を浮かべる。

「……一緒に、橋を渡ろう」

 誘いの言葉に、向日葵が返事を返す前に、門の方から、凛とした声が響いて来る。

「いけません、真人様!」

 真人と向日葵は、声が響いて来た、門の方を見る。門の前には、木蓮がいた。

「ひょっとしたら……真人様が、馬鹿な考えを起すかもしれないと思って、門の前で待っていたんですが……。どうやら、正解だったようですね」

 冷静な口調で、真人達に話し掛けながら、木蓮は歩み寄って来る。

「……見逃してくれ、木蓮!」

「駄目です! 真人様の命令でも、その命令には、従う事は出来ません」

 木蓮が命令を聞かない事を察した真人は、向日葵の手を引いたまま、木蓮の脇をすり抜け、強硬突破しようとする。しかし、木蓮は真人の行動を、許さなかった。木蓮は、拳銃の様な物を懐から取り出し、真人に向けて構える。取り出したのは、痲酔銃である。

「止まって下さい! それ以上、先に進んだら、麻酔銃で撃ってでも、真人様を止めます!」

 麻酔銃を向けられ、真人と向日葵は停止する。

「この橋を渡れば、二度と戻る事は、許されません!」

「分かってる、そんな事!」

「橋の向こうの世界は、人間が生きていける世界では無いんです! アタラクシア7とは、違い過ぎる世界なんですから!」

「……それも、覚悟してる!」

 分っていないとばかりに、木蓮は首を横に振る。

「真人様は、橋の向うの世界の事を、教えられていないから、そんな事が言えるんです!」

 木蓮は、向日葵の方を向き、訴える。

「向日葵! 貴女は知っている筈です、向う側の世界が、どんな世界だか!」

 向日葵は、頷く。

「それでも貴女は、真人様を向う側の世界に、連れて行くというのですか? 真人様が不幸になると、分かった上で!」

「違うよ、木蓮。僕が向日葵を、連れて行くって決めたんだ。向日葵は、僕に従っただけだよ」

「真人様……」

 木蓮は、困った様な目で、真人を見詰める。

「頼む、木蓮! 橋の向こうに、行かせてくれ!」

「……駄目です。真人様の頼みでも、それだけは……駄目です」

「だったら……一緒に、木蓮も一緒に、橋の向こうに行こう! 木蓮だって二年後には、向日葵と同じ事になるんだろ? だったら、一緒に橋の向こうに……」

 少しだけ躊躇してから、木蓮は首を横に振る。

「真人様……私達は、人間じゃないんです……。真人様達と同じ様に、心を持っていても、真人様が私達を人間の様に愛しても、私達は真人様の子孫を、残す事が出来ません……」

「子供なんか、作れなくてもいい! 向日葵も木蓮も、僕の大事な家族なんだ! 愛してるから……失いたくないんだ!」

 愛してると言われて、木蓮は驚いた様な顔をする。しかし、すぐに木蓮は、厳しい表情に戻り、真人を説得する様に、語りかける。

「……真人様が愛して、人生を供にするのは、私達ロボットでは無くて、人間の女性であるべきなんです……」

 続いて、木蓮は向日葵を見詰め、問いかける。

「私に、そう教えてくれたのは、貴女でしょう?」

 向日葵は、ゆっくりと頷く。

「同情と愛情は、違うんですよ、真人様……。今の真人様は、死を目の前にした向日葵に同情して、自分を見失ってしまっているんです!」

 奇しくも、誰かと同じ様な事を、木蓮は真人に言った。

「違う、同情なんかじゃ……」

 反論しようとする真人を、突然、向日葵が後ろから抱き締める。万感の思いを込める様に、優しく、強く。

「真人様は、この先、人間の女の子と恋をして、結婚して、子供を作るんです。人間という、滅びかけた種族の命を、未来に繋ぐという大事な使命を、果たす為に……」

 向日葵の行動と言葉から、意図が掴めず、真人は戸惑う。

「真人様の、私に対する感情が、愛情なのか同情なのか、私には分かりません。私が真人様を、愛していたという事は、分かるんですけど……。例え、それが私に施された、単なる設定だったのだとしても、その感情は、私にとって……何よりも大切なものでした」

 哀しそうな笑みを浮かべる、向日葵。

「……一緒に橋を渡ろうと言ってくれて、嬉しかったです……」

 そう言いながら、向日葵は、きつく真人を抱き締める。

「木蓮、お願い……」

 木蓮は、苦渋の表情を浮かべながら、頷く。

「向日葵?」

 真人は、向日葵と木蓮の意図を察し、向日葵の拘束を振り解こうとするが、向日葵の力は強く、振り解く事は不可能だった。

 銃声が夕空に響き渡り、麻酔弾は真人を直撃する。

「ひまわ……り……」

 途切れ途切れに呟きながら、向日葵の腕の中で、真人は意識を失う。向日葵は、眠りの世界に入った真人を、愛おしそうに抱き締めたまま、座り込む。

 木蓮は、向日葵の側まで歩いて来て、佇む。

「ありがとう、木蓮。私達を、止めてくれて……」

「……止めて、本当に良かったのか?」

 向日葵は、静かな笑みを浮かべて、頷いた。幸せそうに、真人を抱き締めたまま。

「真人様の事、お願いね……」

 木蓮は、しっかりと頷く。

「真人様……」

 愛おしむ様に、向日葵は真人の身体を撫で続ける。程なく、哀しい色合いのメロディが、何処からか流れて来る。アタラクシア7では、午後五時になると、ショパンの「別れの歌」という曲が、各所に設置されているスピーカーから、流れ始めるのだ。

 午後五時を告げる時報として、この数百年前に作られた名曲が、アタラクシア7の各所で流れ始めるのと同時に、アタラクシア7の中央タワーから、時間信号が発信される。午後五時の時報として流される曲が、「別れの歌」なのは、同時刻に発信される時間信号によって機能を停止する、十年目を迎えたロボット達を悼む為なのだと、言われている。

 その十年目の午後五時を迎え、時間信号を受信した向日葵は、動きを止めた。二度と、向日葵が目を覚まし、動き出す事は無い。

 夕陽で朱に染められた景色の中で、真人を抱き締めたまま、動かない向日葵の姿は、絵に描かれた恋人同士の様に美しく、哀しい。

 木蓮は独り、その哀しく美しい光景を、眺め続ける。眺め続けている間に、嗚咽が始まり、涙が頬を濡らし始める。

「……私達にも人間みたいに、魂があるのかと……。死後の世界……魂の行き着く世界に……行けるのかと、貴女は私に聞いたね……」

 嗚咽しながら、木蓮は続ける。

「私達にも……人間と同じ様に、魂があって、魂の行き着く世界に、行けるんだと思う……。そうでないと……そうでないと、私達は……」

 曲が終わった後、少しの間、自分を落ち着かせる様に黙り続けてから、木蓮は向日葵に、最後の言葉をかける。

「また、会えるよ……真人様にも私にも。二年後には、私も貴女の所に、行くのだから……」


 真っ暗な夜の闇を、光の行列が引き裂いて行く。夜の森の中を、モノレールが走っているのだ。黄昏動物公園前駅から乗り込んだ、真人と木蓮を乗せたモノレールが。

 車内はかなり空いているので、シートに真人が寝かされていても、誰も文句など言わない。それ程に、車内に人の姿は、疎らである。

 シートに寝かされている真人の頭は、木蓮の膝の上にある。シートに座っている木蓮は。眠っている真人に、膝枕をしているのだ。

 少し、麻酔薬が強すぎたのかな? 麻酔銃で撃たれて以来、そのまま眠り続けている真人の頭を撫でながら、木蓮は少しだけ、不安に思う。

 突如、真人が軽く呻き、目を開く。真人は意識を取り戻したのだ。真人と木蓮の目が合う。木蓮は、気まずい思いをする。真人が自分の事を、怒っていると思っていたのだ。

「木蓮……」

「先程は、失礼しました。非常時でしたので、あの方法しか、思い付きませんでした……」

 ゆっくりと起き上がった真人は、木蓮の隣に座る。

「……向日葵は?」

「……機能を停止した後、アタラクシア7の回収局が、回収していきました……」

 真人の表情が凍り付く。覚悟はしていても、ショックを受けているのだろうと、木蓮は思う。

「向日葵は、幸せそうでした、最後まで……」

 慰めには、ならないのだろうな……。そう思いながらも、木蓮は真人に、言わずにはいられなかった。木蓮の言葉を聞いた真人の瞳に、涙が溢れる。悲しむ主人の姿を見るのは、木蓮にとって、辛い事だった。

「……私も、再来年には、向日葵の後を追う事になります」

「……分ってる」

「真人様……私も向日葵の様に、ラストデイトをして頂けるのですか?」

 涙を手で拭いながら、真人は首を横に振る。木蓮は、寂しそうな顔をする。

「やっぱり、怒ってるんですね。橋を渡るのを邪魔したり、麻酔銃で撃ったりした事……」

「……違う」

 真人が強い口調で、否定した事に、木蓮は驚く。

「向日葵のラストデイトを迎えて、初めて分かったんだ。僕は、向日葵や木蓮を、本当の家族だって思っている事に……」

「……真人様」

「家族なら、必死で助けるのが、当たり前だったんだ。それなのに、向日葵がいなくなる事は、仕方が無い事……当たり前の事だって、僕は諦めてたんだ……最初から。向日葵を助ける事なんて、出来ないと決めつけて、何もしないで……」

 自分を責める様な口調で、真人は続ける。

「もう、こんな気持ちになるの、嫌なんだ! 大切な家族を失うのも、家族を助ける事を諦めて、何もしないでラストデイトの日を迎えるのも! だから、向日葵を助ける事は出来なかったけど、木蓮は助けてみせる……絶対に……」

「私は……橋を渡りませんよ」

「それなら……アタラクシア7で、ロボットが人間みたいに、長生き出来るように、掟の方を変えてみせる。だから、木蓮とラストデイトする必要は、無いんだ。助けてみせるから!」

「無理です! ロボットの為に、掟を変えるなんて……」

「……やって見せるよ……絶対に。もう、決めたんだ……」

 そう言い切る真人の顔が、以前よりも大人びている様に、木蓮には見えた。そんな真人の言葉と態度は、木蓮を戸惑わせる。

「……もしも、そんな事が出来たとしたら、私達ロボットは人間を超えて、真人様達を、支配してしまうかもしれませんよ。クリエンス・システムを解除して……」

「その時は、木蓮が僕を支配してくれ……。木蓮になら、支配されても、僕は構わない……」

 まだ、瞳に涙を残したまま、真人は木蓮に微笑みかける。

「本気……なんですね……」

 木蓮は、嬉しそうに……やや不器用な手付きで、隣に座る真人を抱き締める。真人と木蓮は、互いの身体に手を這わせ、触れ合う。触れ合って、互いの感情と意志を、確かめ合う。

 向日葵……貴女の元に行くのが、遅れる事になったら、貴女は私を、怒るのかな……。魂の行き着く先の世界で、待っている筈の向日葵の事を考えながら、腕の中にいる真人の感触と体温を愉しみ、木蓮は喜びに満たされる。

 大事な者の為に、世界を変える事を決意した少年と、そのパートナーであるロボットを乗せたモノレールは、闇夜を切裂き、走り続ける。モノレールは森を抜け、なだらかな丘陵に出る。

 モノレールが向う先には、涅槃地区の市街地が広がっている。市街地の家々の灯りが、無数の光の粒子となって、星空の様に輝いている。涅槃地区の市街地に向って、光の行列……モノレールは疾走する。まるで、星空を駆け巡る、鉄道の様に。


                                   (了)




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