第四話
創造広場は、小高い丘の上にある、芝生が敷詰められた広場である。真人達は、黄昏動物公園に来ると、黄昏海岸を見渡す事が出来る、見晴しの良い創造広場で、昼食を食べる事が多い。
広場の中央辺りにシートを広げた向日葵は、籠に入れて持参したランチを、自慢げに並べ始めた。サンドイッチやサラダなど、ランチの量の多さに、真人は少し驚く。
「……凄い量だね。四人分はあるよ」
「真人様の好きな、卵とフレッシュチーズのサンドイッチ……作り過ぎちゃいました……」
真人はサンドイッチを手に取り、食べ始める。
「……どうですか?」
「美味しいよ、凄く。大好きなんだ、これ」
美味しいと誉められ、向日葵は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「向日葵がいなくなると、これも食べられなくなるんだね……」
「安心して下さい、木蓮に、作り方を教えておきました。木蓮は料理とか、苦手な子だから、暫くは上手く作れないと思いますけど、我慢してあげて下さいね」
真人が頷いたのを見て、安心したかの様に、向日葵もサンドイッチに口をつける。
昼食を終えた真人と向日葵は、水族館を見物した後、水族館のタワーに隣接する、屋外マリンシアターに向った。マリンシアターで催されている、イルカショーを観覧する為にである。
マリンシアターの巨大屋外プールでは、四頭のイルカが、二十代中頃の女性調教師の指示に従い、器用に芸を見せている。程々に客が入っている観客席で、真人と向日葵はイルカショーを楽しんでいた。向日葵は、水面からジャンプするイルカを見て、目を輝かせ、はしゃぐ。
「イルカに餌をあげてみたい人、いませんか?」
ステージ上の女調教師が、観客達に向って呼び掛ける。
「あの……イルカに餌をあげてみたい人って、言ってるんですけど、人じゃないとダメなんでしょうか? ロボットの私は、ダメですか?」
狼狽えながら、向日葵は真人に尋ねる。真人は、意を決した様に立ち上がる。
「すいません! 僕の彼女が、やってみたいって言ってるんですが……」
「では、そこのお二人さん、ステージの方へ……」
女調教師の言葉に従い、真人は向日葵の手を引いて、ステージに向かって歩き出す。
「私……いいんですか?」
向日葵の問いに、真人は頷く。
「向日葵は人間にしか見えないし、僕の彼女って事にすれば、仮にロボットだと気付かれても、僕に気を使って、露骨には断れないと思う。それに、向日葵の分だってチケット代払ってるんだから、断ったら詐欺だよ」
真人の言葉を聞いて、向日葵は安堵する。そのまま、ステージ上に上がった真人と向日葵は、女調教師の指示に従い、餌である魚の入ったバケツを、手渡された。
四頭のイルカが、プールからステージに向って、餌をねだるように顔を出す。向日葵は緊張した面持ちで、イルカに魚を差し出す。イルカは、魚をぱくりと食べる。
向日葵は、恐る恐るイルカに手を伸ばして、触れる。イルカは素直に、向日葵に触られる。向日葵は、歓喜の表情を浮かべる。そんな向日葵の姿を見て、真人も喜ぶ。
喜ぶ二人の上を、マリンコースターが通り過ぎる。轟音を響かせながら。
「イルカに餌をあげたり、触ったり出来るなんて、思いませんでした~! 感激です~!」
イルカショーの観覧を終え、遊園地に辿り着いてからも、向日葵の感動と興奮は、収まらなかった。向日葵が喜んでくれた事を喜びながら、懐中時計を取り出して、真人は時間を確認する。
「二時半か……。どれから乗ろうか?」
「マリンコースター!」
「ま、定番のローラーコースターは、外せないよな」
二人はマリンコースター乗り場へと向う。木蓮も、影の様に、後を追った。
マリンコースターは、黄昏動物公園全体だけでなく、黄昏海岸や海中も巡る、長いローラーコースターである。真人と向日葵は、海をイメージして、青系のカラーリングが施された、マリンコースターの先頭車両に乗り込み、一番前の席に、並んで座る。
発車を告げるベルが鳴ると、マリンコースターは発車し、ゆっくりと上り坂のレールを上り始める。程なく、二百メートル以上の高さにマリンコースターは達し、一瞬、停止した後、一気に三十度近い下り坂を、下り始める。
リニアモーター式の駆動装置が付いているので、加速の為に、重力の力を借りる必要は無いのだが、一度、高い所まで上ってから、一気に下り坂を駆け下りるのは、ローラーコースターの基本的な約束事なので、マリンコースターも、そうなっているのだ。
マリンコースターは、時速百キロ以上の猛スピードで、遊園地の敷地内を駆け巡る。フリーフォールやフライングカーペットなどの、様々なアトラクションの上や脇を駆け抜けて、マリンコースターは水族館の方に向う。
「マリンシアターですよ、真人様!」
先程、イルカと幸せな時間を過ごしたばかりの、マリンシアターを眼下にして、向日葵は嬉しそうな顔をする。マリンコースターは、マリンシアターの上を駆け抜け、動物園の方に向う。
マリンコースターの前方に、動物園のキリンエリアが現れる。一瞬で、マリンコースターはキリンエリアの真上を駆け抜ける。
キリンエリアで、向日葵と抱き合った事を思い出した真人は、少し照れながら、向日葵を見る。向日葵も、真人を見ている。向日葵も、キリンエリアでの事を思い出したのかなと、真人が思った直後、向日葵は真人の右手を、優しく握る。真人も、向日葵の左手を握り返す。
動物園を出たマリンコースターは、創造広場の端に設置されている、高架式のレールを通り、真直ぐ黄昏海岸に向って、疾走して行く。緑の創造広場の先には、コーラルサンドの白い砂浜と、マリンブルーの海が広がっている。真人と向日葵は、美しい景色に目を奪われる。
黄昏海岸の向うに、橋が現れる。真人と向日葵の顔色に、少しだけ複雑な色合いが混ざる。しかし、橋の事を気にする時間は短い。マリンコースターは砂浜を通り過ぎ、少しの間、海上を疾走した後、海中に突入したからだ。海中に突入したマリンコースターに乗る二人には、既に橋は見えなくなっている。
マリンコースターが海中を走る事が出来るのは、マリンコースターのレールの海中部分は、透明なチューブに包まれているからである。極彩色の珊瑚などに彩られた、青く透明な海中の景色を、真人と向日葵は堪能する。二人の表情は、和む。
マリンコースターは、弧を描く様に海中で反転し、陸に向って走り始める。海中を脱し、砂浜に上陸したマリンコースターは、そのまま、丘陵に設置されたレールを、駆け上って行く。
程なく、観覧車が前方に姿を現す。マリンコースターは、遊園地に戻って行くのだ。向日葵は、遠くに見える巨大な観覧車を目にして、期待に満ちた様な顔をする。その顔を見て、真人は絶対、向日葵と観覧車に乗ろうと思う。
マリンコースターから降りた二人は、フリーフォール、お化け屋敷、フライングカーペットにメリーゴーランドと、次々と遊園地のアトラクションを楽しみ続けた。空いているせいで、殆ど待つ必要が無かったのが、真人達には有り難かった。
「三時四十分か……次は、何にする?」
そう尋ねた真人に、向日葵は黙って、観覧車を指差す。
「観覧車は、最後の楽しみにした方が、いいんじゃないの?」
「今日は空いてますから、スペシャルチケットが売ってると思うんです……」
スペシャルチケットとは、通常の倍弱の料金で、一周二十分の観覧車に、三周連続で乗り続ける事が出来る、チケットである。客の少ない日、空室のまま、観覧車を回すのは無駄が多いので、客が少ない空いてる日にだけ、発売される事になったチケットなのだ。
「三周したら、一時間以上乗る事になるから、他のアトラクション乗れないよ……。いいの?」
「これに一番、乗りたかったんです!」
「……それなら、遊園地の残り時間は、全部、観覧車で使っちゃおうか……」
「はい!」
二人は手を繋いで、観覧車に向って、歩いて行った。
スペシャルチケットを購入した、真人と向日葵は、ブルーのゴンドラに乗り、並んでシートに座った。ゴンドラの中は、かなり余裕があり、シートもベッドの様に広い。
二人を乗せたゴンドラが、ゆっくり動きだすのと同時に、周囲の景色が下に下がり始める。ゴンドラが上がっていくせいである。二人は、窓の外の景色を眺める。
「真人様と観覧車に乗るの、久し振りですね……」
「そうだね、三ヶ月振りかな……」
「最近、真人様は、亜弥香様とのデートで忙しくて、私や木蓮の相手をする暇が、有りませんでしたから……」
「そんな事無いよ。亜弥香と会うのなんて、週に二日位なんだから。向日葵や木蓮とは、一緒に住んでて、毎日会ってるじゃないか」
「……弁解しなくていいんです。人間の真人様のお相手には、人間の亜弥香様の方が、相応しい事位、分かっていますから……。子供だって、生める訳ですし……」
「亜弥香とは別に……そんな関係じゃないって、言ってるだろ……。会ってるって言ったって、デートって訳じゃなくて、仲間と一緒に遊んでるだけだし」
「亜弥香様は……恋人では、無いんですか?」
「だから、違うって言ってるだろ」
「観覧車に、こうやって二人っきりで乗った事は?」
「……無いよ。只の友達なんだから」
真人の返答を聞いた向日葵は、満足気な笑みを浮かべながら、窓の外に目をやる。向日葵の目に、遠くにあるマリンシアターが映る。
「……イルカショーの時、私の事を、僕の彼女だって、言ってくれましたよね?」
「……言ったけど」
「私がロボットだって、調教師の人が知ったら、イルカに餌をあげるの、断られるかもしれないから、私の事を彼女だって言ってくれたんだって、分かってます。真人様が私の事を、彼女だと言えば、ロボットだって、ばれにくいですからね……」
囁く様な声で話し掛けながら、向日葵は真人に寄り掛かる。
「それでも、嬉しかったんです……真人様が私の事を、彼女だって言ってくれて……」
向日葵は、そっと自分の左手を、真人の膝の上に置く。真人の身体が、強張る。
「彼女と観覧車の中で、二人っきりになっているのに、真人様は、何もなさらないんですか?」
そう言いながら、悪戯っぽい笑顔を浮かべて、向日葵は真人の目を見詰める。真人は、どう反応していいのか分からず、困ったような顔をする。
「……冗談ですよ」
からかうつもりだったのか、向日葵は楽しそうに微笑み、手を引こうとする。その手を、真人が掴んで、引き寄せる。突然の真人の行動に、向日葵は驚き、真人の意図を確認しようと、真人の顔を見る。真人は、意を決したような顔をしていた……少し、頬を赤らめたまま。
表情から、真人がふざけている訳では無い事を悟り、向日葵の表情が嬉しそうに緩む。そのまま、真人は向日葵の身体を抱き寄せる。向日葵は目を閉じ、真人の為すがままになる。
少しだけ、向日葵の方が背が高く、身体が大きいので、真人は見上げる様に、向日葵と唇を合わせる。軽く唇を合わせた後、二人は一度、唇を離して……見つめ合う。
今度は、幸せそうな表情の向日葵が、真人を抱き寄せる形で、二人は再度、唇を合わせる。先程よりも、深く……激しく、そして甘く。
そのまま、二人は抱き締め合い、絡み合う様に、観覧車のシートに倒れ込んだ。
「全く、何をやっているんだか……」
観覧車の近くにあるベンチに座り、観覧車を監視していた木蓮は、真人と向日葵が乗ったゴンドラが、不自然に揺れ始めた事に気付き、呆れた様に呟いた。
「最後だから……大目に見てあげるけど……」
真人と向日葵の乗るゴンドラは、既に二周目に入っている。太陽も、少し傾き始めていた。
身体を重ねた後、真人と向日葵は絡み合う様に、シートの上に横たわっていた。お互いの存在を確かめ合う様に、身体に触れあいながら。二人の着衣は、かなり乱れている。
「……良かったんですか、私が初めての相手になって?」
真人に被さるように、抱き着いている向日葵は、満ち足りた顔で、尋ねる。真人は照れながら、向日葵同様、満ち足りた顔で、頷く。
「この機能、使わないままで終わるって思ってました。子供に仕えるロボットには、不要な機能でしたから……」
「僕って、向日葵から見たら、今でも子供なの?」
「今は……大人です。私が、大人にしてあげましたから……」
そう言うと、まるで真人が自分の物であると示すかのように、向日葵は真人の唇を貪った。
先に着衣を整え終わった真人は、向日葵が着衣を整えるのを、待っていた。既に日は傾き、ゴンドラの中には、夕陽が射し込み、室内を朱色に染めている。
着衣を整え終わった向日葵は、真人の隣に腰掛け、並んで夕陽を眺め始める。真人が抱き寄せると、向日葵は逆らわず、真人に身を寄せる。窓の遠くにある黄昏海岸が、二人の目に映る。黄昏海岸は、夕陽を浴びて、黄金色に輝いていた。
「海……見に行こうか?」
向日葵は、こくりと頷く。真人と向日葵の目線の先には、黄昏海岸と海、そして橋があった。