第三話
広さに余裕がある動物園の中は、動物にとって、十分な生活空間が確保された、様々なエリアに分かれている。向日葵の希望に合わせ、真人はキリンエリアから見て回る事にした。
キリンエリアは、サバンナと呼ばれる熱帯の草原を模して、整えられている。サッカー場の倍程の広さがある人工の草原は、鋼鉄で編まれたネットと柵によって、囲まれている。
エリアの中では、淡い黄色と茶色に彩られたキリンが四頭、はむはむと草を食んでいる。頭を上げれば、五メートル弱の高さになるキリンが四頭、飼育されていても、窮屈さを感じない程に、キリンエリアは広い。
柵の前に立ち、真人と向日葵はキリン達を眺める。キリン達は、真人達に関心が無いらしく、淡々と草を食み続ける。
「この中に、何頭オスがいるか、分かります?」
向日葵は、真人に尋ねる。キリンの雄雌の比率に関する知識など、持ち合わせていない真人は、思い付きの答を返す。
「……四頭だから、二頭じゃないの?」
「残念でした、外れです。キリンの家族には、オスは一頭しかいないんですよ」
真人が知らなかった知識を、自分が知っている事を誇る様に、向日葵は胸を反らせる。そんな向日葵を見て、また何時ものが始まったなと、真人は思う。
動物も動物園も大好きな向日葵は、真人と動物園に来る度に、様々なトリヴィア……雑学を、真人に披露する。毎回、違うトリヴィアを事前に仕入れてまで、そうするのである。
向日葵が披露してきたトリヴィアは、様々である。カバはワニよりも強いとか、キリンは頭突きでライオンを倒すとか……。
無論、トリヴィアなだけに、向日葵の話が真実なのかどうか、真人は知らない。トリヴィアの真偽を確かめる事は、不粋な行為だと、真人は思うからだ。
そんな向日葵の動物トリヴィア披露を耳にするのも、今日で最後……。そう思うと、自分を構成する大事な一部が、急に欠けてしまうかの様な喪失感に、真人は苛まれてしまう。
この感じには……覚えがある。確か、父さんと母さんが死んだ時と、同じだ……。真人は、事故で両親を失った時の事を、思い出す。
真人が十歳の時、両親は勤め先の事故に巻き込まれて、死んだ。アタラクシア7では、十六歳以下の子供の両親が死んだ場合、子供には、親戚に引き取られるか、孤児院に引き取られるか、両親に仕えていたロボットに育てられるかという、三種類の運命が待っている。
親しい親戚を持たなかった、真人の両親は、死の直前の病室で、自分達の死後の真人の養育を、自分達に仕えていたロボット達……向日葵と木蓮に託すという意思表示をした。孤児院のスタッフの殆どは、ロボットである。同じロボットなら、自分達が見知っている上に、真人が懐いている向日葵と木蓮に託す方が良いと、判断したのだ。
両親を失った事による喪失感で、自分の殻に閉じこもりそうになっていた真人は、向日葵と木蓮に託された。二人のロボットは、両親に劣らない愛情を真人に注ぎ、傷付いた真人の心を癒したのである。
向日葵と木蓮がいてくれたからこそ、あの喪失感から救われたのだと、真人は思っている。そして、その喪失感から救ってくれた向日葵を失おうとしている今、同じ喪失感を感じている事により、真人は明確に自覚する……ロボットである向日葵の事を、家族同然の存在だと感じている事に。
僕の家族なんだな、向日葵と木蓮は……。真人は、目の前にいるキリンの家族を眺めながら、そう思う。
「ウチと同じだな……」
「同じ?」
「父さんと母さんが死んでからは、僕の家族は、向日葵と木蓮だけだから……。キリンの家族と同じで、男は僕一人だけだろ?」
少しはにかみながら、真人は言った。
「真人様……私達ロボットの事、家族だって思っていてくれたんですか?」
「……当たり前だろ、そんな事」
「……そう思ってくれているって、思ってましたけど、ちゃんと口に出して言って貰えるの、嬉しいな」
向日葵は嬉しそうに、真人を抱き締め、身体を密着させる。向日葵の身体の柔らかい感触と、肌の温もりを感じ、真人の胸の鼓動がペースを速め、頬が紅潮する。
身体の間に右手を差し込み、向日葵は真人の左胸に触れる。胸の鼓動の速さを、確かめる様に。
「……駄目だって、向日葵」
「大丈夫、誰も見てませんよ」
真人の曖昧な抗議を、向日葵は平然と撥ね付ける。
「……ロボットの私が抱き着いても、胸の鼓動が速くなったり、顔を赤らめたりするんですよね、真人様は……」
本物の女性に接する時と、同じ反応をしてしまっている事を、向日葵に指摘された真人は、返す言葉が無い。そんな真人の反応を楽しむ様に、向日葵は真人の右手を手に取り、程よく膨らんだ左胸に誘う。
「……私も、同じです。ロボットなのに、人間の真人様と触れあってると、鼓動が速くなってくるんですから……」
真人は、向日葵の行動に戸惑いながらも、向日葵の胸に手を触れ、鼓動を感じるという行為に魅了され、向日葵の為すがままになる。
「……不思議ですね。抱き締めたり、触れあったりなんて、十年前からしてる事なのに、最近は、こういう感じになるんですよね、鼓動が速くなったり、照れて顔を赤くしたり……」
向日葵は昔から、真人に触れたり抱き締めたりする事が、多かった。其れ故、向日葵に抱き締められたり、触れられたりする事に、真人は慣れていた筈だった。
「何故だと思います?」
何となく、その問いに対する答は、分っていたのだが、真人は答えなかった。答えてはいけない様な気がしたからだ。
向日葵は、答えない真人に、答を求め続けようとはしないが、少し寂しそうな表情をする。そんな向日葵の態度を見て、真人は軽く、自己を嫌悪する。
そんな二人の頭上を、突如、轟音と影が駆け抜ける。真人が上を見ると、真っ青な空を背景にして、猛スピードで疾走する、ブルーのローラーコースターが、目に映る。
アフリカ園の真上、二十五メートル程の高さの所に、黄昏動物公園中を巡る長距離ローラーコースターである、マリンコースターのレールが設置されているのだ。黄昏海岸の先にある海まで、マリンコースターのコースが伸びていて、一部、本当に海中を走る事から、マリン(海の)コースターと名付けられたのである。
マリンコースターは、あっという間に通り過ぎて行った。轟音のせいで、気分が変わったのか、向日葵は真人から身体を離す。真人は、突然現れて通り過ぎたマリンコースターに、救われた様な気がしていた。
「後で乗りましょうね、マリンコースター」
何時の間にか、向日葵の顔から寂しい様子は消え、普段の明るい顔に戻っている。真人は安堵しつつ、頷いた。
キリンやゾウ、シマウマなどのエリアを見て回った後、真人と向日葵は、山を模して作られている、ニホンザルエリアへ向った。山全体を縮小した、二階建ての家程の大きさがあるミニチュアの山が、ニホンザルエリアである。
猿山と呼ばれる、そのミニチュアの山には、二十匹程の猿が、一つの群れとして飼育されている。猿達は、じゃれあったり、眠ったり、毛繕いをしたりと、思い思いに過ごしている。
真人と向日葵は、通路から柵越しに、猿山を眺める。他に、見物人はいない。平日の午前中に、猿山を見物に来る様な人間は、殆どいないのだ。無論、真人達にしてみれば、客が少ない方が、落ち着いて見物出来るので、有り難かったのだが。
「あの二匹、恋人同士かな?」
群れから離れている、二匹の猿を指差し、向日葵は真人に問いかける。猿山の左側の梺辺りで、小さい猿が大きい猿の背中に回り、蚤を採っている光景が、真人の目に映る。
「親子だよ、大きさが違うし」
「……こういう時は、女の子に話を合わせるものなんですよ、真人様」
呆れた様な素振りを、向日葵は見せる。
「……そうなの?」
向日葵は、大きく頷く。
「そんな事だと、本物の女の子とデートする時、嫌われちゃいますよ。亜弥香様とか……」
そう言いながら、向日葵は悪戯っぽく笑う。
「亜弥香とは、そういう関係じゃ無いって、何度も言ってるだろ……」
突然、向日葵に亜弥香という少女の話を持ち出され、真人は困った様な表情をする。
源亜弥香……真人が小学生の頃から親しくしている、異性の友人である。真人の言う通り、そういう関係……恋人関係では無いのだが、家も近く、同じ友人グループに所属している事から、人間の女性の中では、真人にとって、最も親しい存在ではある。
あと数年も経てば、美人に育ちそうな少女なのだが、ボーイッシュで強気な亜弥香は、余り異性というものを、真人に感じさせない存在だった。ところが、今年の春頃から、亜弥香と真人の関係が、微妙に変わり始めたのだ。
同じ高校に入学してから、真人と亜弥香は、グループでの行動とは別に、二人っきりで会う事が、多くなっていたのである。そのせいか、真人と亜弥香は恋人関係にあるのだと、勘違いされる事が多い。
「本当ですか? 怪しいですね……」
「本当だって……」
真人が、亜弥香との関係を否定すると、向日葵は一応、安堵した様な顔を見せる。しかし、完全には信じていないのだろうなと、真人は思う。今までも、真人と向日葵の間では、何度か繰り返された会話だったからだ。
だけど、今日が最後なんだよな……向日葵が、僕と亜弥香の関係を、気にするのも……。真人は、今日が向日葵と過ごす最後の日だという事を、再び意識してしまい、切なくなる。
アジア園の端には、バードケージが並んでいる、バードエリアがある。アジア大陸に棲息していた珍しい鳥類が、飼育されているのだ。
ケージ……檻といっても、サイズは学校の体育館並の大きさがあり、森を模して設計されているので、中には多数の樹木が植えてある。補食関係に無い鳥類同志が、同じバードケージに集められ、共存している。
バードケージの中には、見物する為の通路が設置されている。つまり、観客は上にいる鳥達を、網越しに見上げる形で、見物する事になる訳だ。
真人達は、腕を組んで通路を歩きながら、鳥達を見物する。カラフルな鳥が多い中、向日葵の目は、人間の子供程の大きさがある、少しくすんだ白色の鳥に、引き寄せられる。
向日葵が惹き付けられたのは、コウノトリだった。つがいらしき、二羽のコウノトリが、通路の近くにある巨木の枝に、並んでとまっていたのだ。
「昔は、コウノトリが子供を運んで来るって、言われてたんですよ」
「……運ぶ? 宅配便みたいに?」
軽い冗談のつもりで、そう聞き返した真人に、向日葵は真面目な顔で、言い返す。
「神様が子供を、神の使いであるコウノトリに託して、授けてくれるっていう意味で、言っていたんです!」
「分ってるって、冗談だよ」
冗談に、真面目に抗議してしまった事が、恥ずかしかったのか、向日葵は真人からコウノトリのつがいに、目線を移す。
「本当に神様がいて、コウノトリが子供を運んで来てくれるなら、いいんだけどな……」
そう呟いた向日葵の瞳には、寂しげな色が宿っている。
「何で?」
「子供を作る事が出来ない、ロボットの私にも、子供が出来るじゃないですか……」
コウノトリを眺めながらも、もっと遠くにある、他の何かを見ている様な雰囲気を漂わせながら、向日葵は呟く。そんな向日葵の意図が掴めず、真人はリアクションに困る。
「子供……欲しいの?」
向日葵は、こくりと頷く。
「何故?」
「……自分が存在していたっていう証を、世界に残しておきたいからかな……」
真人に問われた向日葵は、少しの間だけ考えた後、真人の瞳を見詰めて、答えた。
「真人様は、子供が欲しいと思った事、無いんですか?」
「……無いよ。まだ、そんな年じゃないし」
正直に、真人は答える。
「でも、死ぬまでには、欲しいでしょう?」
「それは……そうだけど……」
「それが、当たり前なんです。自分の存在を自覚出来る存在は、自分が存在していた証を、残そうとするものなんですよ。子孫を残したり、歴史に名を刻んだり、多くの人の記憶に残る様な偉業を、成し遂げたりして……」
「哲学者だったんだ、向日葵は」
「茶化さないで下さい、真面目に話してるんですから」
沈みつつある会話の雰囲気を、変えようとした真人の発言を、向日葵は茶化した発言として、受け取ってしまったのだ。
「……ごめん」
「いいですよ、謝らなくても……」
素直に謝罪された向日葵は、恐縮してしまう。
「ただ、今の私の気持ちを……ロボットにも、自分が生きていた証を残したいっていう欲望がある事を、真人様に知ってもらいたかったんです……」
「自分の存在を自覚出来る、向日葵みたいなロボットは、自分が生きていた証を残したい……」
向日葵は、頷く。
「人間と同じ様な、欲望を持っているって事です。子孫を残す機能が無い私達は、人間と違って、その欲望を果たす事が出来ないんですけど……」
人間に限り無く近付き、能力的には超えている部分も多いのだが、ロボットに子孫を残す能力は無い。
「子孫を残す手前の機能は、有るんですけどね、一応……」
子孫を残す手前の機能って、何の事だ? 真人は向日葵に、そう尋ねようと思ったが、思っただけで止める。その機能が、性行為を行う為の機能なのだと、気付いたからだ。
大抵のロボットには、性行為を行う為の性的機能が、搭載されている。人間に可能な限り近付く事を目標として、開発された為に、そういった機能も搭載されたのだ。
性的機能の搭載には、モラルの面から、反対する人々が多かった。しかし、長きに渡る議論を通じて、ロボットの主人が自分の意志で、搭載されている性的機能を維持するか破棄するか、選択するシステムが、社会的に支持され、制度化される事になった。
元々、標準で搭載されている性的機能を破棄する為には、ある程度の経済的コストが発生する。そのコストは、機能を破棄する事を望んだロボットの主人が、負担する制度だった為、殆どの人々は、ロボットの性的機能を破棄しなかったのだ。金を払って破棄せずとも、使わなければいいと、判断したのである。
その結果、アタラクシア7で活動している、多くのロボットの性的機能は、維持されたままになっている。
無論、機能が搭載されたままだからと言って、ロボットと性行為を行う事が、一般化している訳では無い。ロボットと人間の性行為は、禁じられてこそいないのだが、建前上は禁忌に近い行為と認識されているのだ。ロボットを恋愛対象とする、一部の人間達以外の人々は、ロボットと性行為を行わない……というのが、一般的な認識と言える。
他のロボット同様、向日葵や木蓮にも、性的機能が装備されている事を、真人は知っていた。子供の頃から、向日葵や木蓮と共に入浴し、身体を洗われる事が当たり前だった真人は、入浴時に、二人の女性としての部分が、破棄されていない事を、裸を見て、気付いていたのだ。
もっとも、気付いただけで、真人は向日葵達に、性的な奉仕を求めた事は無い。ロボットは、主人である人間が求めない限り、性的な行為に及ぶ事は無いので、向日葵達と真人は、これまで、性的な関係を持つ事が、無かったのである。向日葵達に対して、性的な欲望を、真人が感じなかった訳では、無いのだが。
「真人様は、お求めになりませんでしたね……。お求めになっていたとしても、私と真人様では、子孫を残す事は、出来なかったんですけど……」
向日葵は、自嘲するかの様に、続ける。
「非生産的な存在なんですよ、私達ロボットは……」
真人には、そう呟く向日葵の顔が、儚く……美しく思えた。話し掛けなければと思うのだが、話し掛ける言葉を、真人は思い付かない。そんな二人の頭上を、突如、マリンコースターが通り過ぎる。バードエリアの上にも、マリンコースターのレールが通っているのである。
「もうそろそろ、お昼ですね。食事にしませんか?」
マリンコースターが通り過ぎた後、何事も無かったかの様に、向日葵は言った。向日葵にかけるべき言葉を、思い付かない自分の事を、情けなく思いながら、真人は頷いた。




