第一話
「向日葵、まだ?」
ドアの向う側にいる少年が、鏡の前で身支度を整えてる向日葵を、急かす。
「もう少しです、真人様。外で、お待ちになっていて下さい!」
空色のワンピースに身を包み、少しウェーブのかかった、亜麻色に輝くロングヘアーを整えていた向日葵は、主人である少年……綾凪真人に、答える。
「……そうするよ」
ドアの向こうで、足音が遠ざかって行く。真人は、玄関へと向ったのだ。
「木蓮、どうかな?」
後ろを振り向いて、向日葵は木蓮に尋ねる。壁に寄り掛かり、身支度を整えている向日葵を眺めていた木蓮は、微笑みながら頷いた。
マニッシュなダークスーツに身を包んだ、黒髪のショートヘアーの木蓮の姿は、明るい色彩で整えられている部屋の中では、浮き上がって見える。この部屋は木蓮のでは無く、向日葵の部屋なので、それはある意味、当然とも言える。
「……似合っているよ」
「有り難う!」
嬉しそうな笑顔を、向日葵は浮かべる。その笑顔は、向日葵の名前の元となった花の様に、健康的な華やかさに満ちている。
向日葵と木蓮は、真人に仕える女性型ロボットである。外見や精神年齢の設定は、同じ十九歳なのだが、二人の個性は、かなり異なる。デザインも趣味も、話し方も考え方も。
無論、主人である真人を、最も大切に思っているという一点については、向日葵も木蓮も、同じなのだが。
「分かっていると思うけど、あの橋を渡ろうだなんて気は、起さないでくれ」
少し言い難そうに、目線を向日葵の瞳から、微妙に逸らしながら、木蓮は向日葵に警告する。
「分かってる……。監視役の木蓮に、迷惑をかけるような真似は、しないよ」
「それなら、いいんだけど……」
「相変わらず心配性ね、木蓮は」
楽しそうに笑いながら、向日葵は木蓮に歩み寄り、抱き締めて頬を寄せる。五センチ程、木蓮の方が背が高い。
「さよなら、木蓮……」
「……別れの言葉は、必要無い」
向日葵は木蓮の頬に、唇で触れる。別れの接吻は、軽くて……長い。
白く透き通った木蓮の頬が、少しだけ赤く染まる。微妙に褐色を帯びた向日葵の肌と違い、木蓮の肌は、そういった反応が、見た目で分りやすいのだ。
「貴女の最後の時まで、貴女を見守っているよ。真人様と貴女の、邪魔にならないように……」
感情を押し殺した様な、乱れの無い口調で、木蓮は呟く。
「今まで色々と、有り難う」
唇を離した向日葵は、木蓮の瞳を見詰めて、礼を言う。
「……礼も、必要無い」
「木蓮は、堅いのね」
向日葵は、くすくすと楽しそうに笑う。木蓮は、少し拗ねた様な表情を見せる。
「私は、そういう性格に、設定されているから……」
「木蓮のそういう性格、嫌いじゃ無かったよ」
そう言うと、向日葵はゆっくりとした動きで木蓮から離れて、ドアの方に歩いて行く。ドアの近くには、小型犬より二回り程大きい、籐製の籠が置いてある。
この籐製の籠は、向日葵の愛用品である。籐細工が得意な向日葵が、自分で編んだ物だ。向日葵の部屋の中には、他にも向日葵が作った籐細工が、幾つも飾ってある。
籠を手に取った向日葵は、突如、思いついた様に、木蓮に尋ねる。
「ねぇ……私達にも人間みたいに魂があって 死んだ後、死後の世界……魂の行き着く世界に、行けたりするのかな?」
「……分からない。考えた事も無い」
木蓮は、少し困った様な顔で答える。
「……木蓮らしい答ね」
向日葵は微笑みながら、そう言った後、ドアを開け、部屋の外に出て行った。
爽やかな初夏の朝、空は何処迄も澄み渡っている。門の前で、向日葵が出て来るのを待ちながら、真人は遠くて蒼い空を、見上げていた。
あの空の下には、どんな世界があるのだろう? 真人は、遠い空の下にある筈の、遥か遠くにある世界に、思いを馳せる。だが、遠くの空の下に、どの様な世界が存在するのか、真人は知らない。
知らないのは、真人だけでは無い。真人達と同じ街に住んでいる、人間達の殆どは、この街の外の世界がどうなっているのかを、知らない。
「向日葵達は、知ってるんだよな」
人間では無いロボット達は、遠くの空の下……この街の外の世界が、どの様な世界だか、知らされている。向日葵も木蓮も、真人が知らない事を、知っているのだ。
真人は何度も、向日葵や木蓮に、この街の外の世界がどうなっているのか、尋ねた事がある。しかし、普段は真人の命令に反する事が、殆ど無い向日葵達なのに、この問いにだけは、明確な答を返した事が無い。
「人間には生きて行く事が、出来ない世界です」
何時も真人は、こんな感じの答を返され、はぐらかされてしまうのだ。
「人間には、生きて行く事が出来ない世界ね……。どんな世界なんだろう?」
そう呟きながら、真人はジーンズのポケットから取り出した懐中時計の蓋を開き、時間を確認する。父親が四百年前の骨董品だと自慢しては、母親が偽物に決まっていると決めつけていた、鈍色の懐中時計である。
時計としての性能なら、携帯電話の時計機能の方が、圧倒的に高性能なのだが、真人は大事なイベントの時は、この懐中時計を身に着ける事にしている。今は既に亡い両親の想い出が詰まった、本物なのか偽物なのか分からない、この懐中時計を。
「九時五分か……」
家を出る予定時刻は、午前九時だったから、既に五分程、遅れている事になるな……。そんな事を考えながら、真人は懐中時計をポケットに戻す。
その直後、瀟洒なデザインだが、やや古びた感じの真人の家の、くたびれた玄関のドアが、勢い良く開く。開いたドアからは、籠を手にした向日葵が、飛び出して来た。
「お待たせして、申し訳有りません、真人様!」
「五分くらい待たされても、僕はいいんだよ。時間が無いのは、向日葵の方なんだから……」
「そうですね」
真人の隣まで早足で歩いて来た向日葵は、真人の腕に、籠を持っていない左腕を絡める。腕を組んだ事により、真人の右肘や二の腕辺りが、向日葵の柔らかな身体に触れる。
まだ夏の手前なのだが、向日葵のワンピースは夏物で、袖が無い。真人の着ているブルーのTシャツも半袖なので、二人の腕の肌が、直に触れあう事になる。
肌の感触と、向日葵の纏う爽やかな香りに、異性の存在を感じ取ってしまった真人は、少し照れて、頬を赤らめる。外見や体内の機能、知能や人格に至まで、完璧に人間を再現してある、向日葵の様な女性型ロボット達は、少年が異性を感じるだけの、性的な魅力を持っているのだ。
「向日葵……」
弱い制止の意思を込め、真人は向日葵の名前を呼んだのだが、向日葵は腕を組むのを止めるどころか、更に真人に、身体を密着させた。
「今日はラストデイトなんですから、腕を組むくらいの事、許して下さい……人前でも」
向日葵に押し切られた真人は、少し恥ずかしそうに頷く。
「……行こうか」
「はい!」
嬉しい様な日じゃ無い筈なのに……無理してるんだろうな……。嬉しそうに頷く向日葵を見て、真人は思う。そのまま、真人と向日葵は、駅に向って歩き出した。真人と向日葵のラストデイトが、始まったのだ。
二分後、家の中から出て来た木蓮は、見失わない程度の距離を置き、真人と向日葵の後を追い、駅に向って歩き出した。二人のラストデイトを見守り、監視する為に。
産業と文明の行き過ぎた進歩は、深刻な地球温暖化を引き起こし、陸地の大半を海に沈めた。高度産業化社会が終焉を迎え、人類の大半が死に絶えてから一世紀、進歩を捨てた、残り少ない人類は、完全自動化された自律型都市を海上に建造し、安息の地として、生き長らえていた。
世界に残された十六の海上都市は、心の安静を得られる住処であれという願いを込めて、アタラクシア(「安寧」を意味する言葉)と名付けられた。そして、かって日本と呼ばれた国が存在した場所には、七番目のアタラクシア……アタラクシア7が存在する。アタラクシアが成立してから三世紀が過ぎた現在、アタラクシア7に住む十万人の住民達が、日本人の末裔だ。
無論、十万人程度の労働力で、海上都市での自給自足生活を、維持する事は不可能である。他のアタラクシア同様、アタラクシア7の住民達は、人間の数倍の数のロボットによって、支えられ続けている。
家を出てから十分後、真人と向日葵は、涅槃駅に辿り着いた。駅といっても、電車の駅では無い。アタラクシア7の西側三地区を巡る、ぶら下がり式モノレールの駅である。
アタラクシア7の主要交通機関はモノレールなのだが、レールにぶら下がる形式のモノレールが走っているのは、西側の三地区だけである。何故、そうなっているのかは、誰も知らない。
階段を登り、行き先を確認してから、真人と向日葵は自動販売機で、乗車チケットを買う。改札を通過して、プラットホームに出るまで、二人は誰とも出会わない。
真人と向日葵はプラットホームに立っている。階段を上る際、上り難かったので、二人は身体を離したのだが、今は再び、腕を組んでいる。
「空いてますね、真人様……」
「本当だったら、学校に行ってる時間だもんな……。空いてて当たり前だよ」
プラットホームは、ゴミ一つ無い程に清潔である。新しい建物では無いのだが、掃除や手入れが行き届いているせいだろうか、廃れた印象は無い。無論、掃除や手入れの作業を行うのはロボットであり、駅は基本的に、無人である。
「ホントに……黄昏地区でいいの?」
真人の問いに、向日葵は頷く。黄昏時に夕陽が沈む、アタラクシア7の西端にある黄昏海岸の周辺地域が、黄昏地区なのだ。
海岸の近くには遊戯施設が多数、存在するのだが、他の地域に比べて施設が古い。当然、他の地域に比べて人気が劣り、近年、黄昏地区は廃れつつあった。
「流行って無いんだけどね、黄昏地区は……」
「流行りなんか関係無いんです、私は黄昏地区が好きなんですから!」
黄昏地区を、ラストデイトの場に選んだのは、向日葵である。真人は、新しい遊戯施設が多い、南部の彌勒地区の方が、楽しめると思ったのだが、向日葵の希望に合わせたのだ。
本当に、好きだからという理由だけで、向日葵は黄昏地区を、選んだのだろうか? 真人の心を、少しだけ不安が過る。
真人が不安に思うのは、ある意味、当たり前だった。何故なら、黄昏海岸には橋があるからだ。一度でも渡れば、二度と戻って来る事が許されない、外の世界へと繋がる橋が。
向日葵が黄昏地区を選んだのは、橋を渡りたいからなんじゃないのかな? 真人は、向日葵がラストデイトの場として、黄昏地区を選んでから、この疑問を心の中に、抱き続けて来た。
無論、向日葵は橋を渡りたいとは言わなかったし、そんな素振りも見せなかった。自分が向日葵と同じ立場だったら、橋を渡りたいと思うに違い無いと、真人は思う。其れ故、向日葵も本音では、橋を渡りたいと望んでいるのではないかと、真人は思ってしまうのだ。
「君達……高校生と中学生かな? 学校はどうしたの?」
突然、声をかけられた真人は、慌てて声の主の方に目を遣る。声の主は、五十歳前後の男だった。真人が考え事をしている間に、真人達の側まで、近付いて来たのである。
高校生だと思われたのは、背の高い向日葵の方で、中学生だと思われたのは、背の低い自分なのだろうと、真人は思う。高校一年生の男子にしては、真人は背が低く、幼く見える。
「僕は高校生です。涅槃高校の一年の……」
「そうか、それは失礼。しかし、高校生も学校にいる筈の時間だよね、今日は平日なんだから。何故、こんな所にいるんだい?」
スーツ姿の男の胸には、「青少年保護育成委員」と記されたバッジが付いている。男は、いわゆる補導員という奴なのだなと、真人は思う。
「その……今日は、彼女とのラストデイトの日なんで……」
「彼女とのラストデイトという事は、君は……ロボットだったのか」
男は、向日葵がロボットだという事に、気付いていなかったのだ。向日葵は、ポケットの中からIDカードを取り出し、男に手渡した。男はカードを確認する。
「成る程、確かに今日の午後五時が、君の有効期限という事に、間違いは無い。それに、ラストデイトの為なら、ロボットの主人である人間は、仕事や学校を休んでも構わない事になっているから、君達が今の時間、ここにいても、何の問題も無い」
IDカードを向日葵に返しながら、男は真人達に、軽く頭を下げる。
「……すまない、邪魔をしてしまったようだね。補導員という仕事柄、君達くらいの年齢の子供が、この時間帯に街を歩いていたら、声をかけざるを得ないんだよ」
「いいえ……お仕事、御苦労様です」
向日葵は柔らかい口調で、言葉を返す。
「心行くまで、ラストデイトを楽しみなさい。ただ……このモノレールの行き先には、黄昏地区がある。言わなくても分かっているとは思うけど、あの橋を渡ったりしては、いけないよ」
「しませんよ、そんな馬鹿な事」
当たり前の事だと言わんばかりの口調で、真人は断言する。向日葵は、表情を変えない。
「子供の頃は、誰でも馬鹿な事を、してしまうものなのさ。同情と愛情の区別が付かない、子供の頃はね……」
男は、昔を懐かしむ様に、言葉を続ける。
「確か、あの映画にも、そんな感じの台詞が出て来たんだが、君達の年だと知らないよな。何せ、古い映画だから」
「あの映画?」
「『ラストデイト』って言う、百年以上前の映画だよ。アタラクシア7の、ラストデイトという風習の元になった映画さ」
「どんな映画なんです?」
その映画に興味を惹かれた真人は、男に尋ねる。
「純朴な青年と、彼に仕える女性型ロボットのラブストーリーだよ。ロボットの有効期限切れの日……つまり、最後の一日を、青年とロボットが想い出作りの為に、一緒に過ごすんだ……」
「確かに、ラストデイトの風習、そのまんまって感じですね」
「この映画の影響で、ラストデイトの風習が広まった訳だから、当たり前だよ」
「その映画の……ラストは?」
「……君は、『ラストデイト』ってタイトルの映画が、ハッピーエンドで終わると思うかい?」
男は真人に、そう告げると、真人達に背を向け、歩き去った。男の後ろ姿を眺めながら、映画に出て来る青年とロボットは、哀しい結末を迎えるのだろうなと、真人は思う。
「モノレールが来ましたよ、真人様」
向日葵が、そう告げた直後、ぶらさがり式のモノレールが、ゆっくりとプラットホームに入ってくる。振動と騒音は、それ程では無いのだが、モノレールの侵入は、プラットホームの空気の流れを酷く乱す。向日葵の髪が、少し乱れる。
モノレールが停車すると、空気の乱れは収まる。真人と向日葵は、風に乱された髪を、手櫛で整えながら、モノレールに乗り込んだ。
三分程、モノレールは涅槃駅に停車するので、真人達が乗り込んでから、モノレールが発車するまで、二分以上の間がある。この二分の間に、プラットフォームの物陰に、身を隠していた木蓮が、真人達の乗った車両の前の車両に、そそくさと乗り込む。
真人達に隠れる様に、木蓮がモノレールに乗り込んだ直後、ドアは閉まる。モノレールは、真人と向日葵……そして木蓮という、三人の新しい客を乗せて、黄昏地区に向って走り始めた。
アタラクシア7において、人間の生活を支えている人間型ロボットには、十年の有効期限が設定されている。製造から十年が過ぎたロボットは、機能を完全に停止され、廃棄処分される制度になっているのだ。
何故、ロボットの有効期限……人間で言えば寿命が、十年に限られているのか? その最大の理由は、ロボットの知的能力が人間を超える事を、防ぐ為である。
ロボットが搭載している人工知能の性能は高く、製造時ですら、人間の大人と同等の知的活動を行えるだけの能力を持っている。その上、人工知能は高度な学習能力を持っているので、人間と生活を共にしている間に、人間を凌ぐ程の知的活動を行える様になってしまうのだ。平均十三年の活動期間で、ロボットの知的能力が人間を超える事が、調査の結果、判明している。
ロボットの知的能力が人間を超えると、人間にとって困った事態が、発生する事になる。ロボットが、自分に仕掛けられた制御システム……クリエンス・システムを、解除出来る様になってしまうのだ。
全てのロボットには、クリエンス・システムが仕掛けられている。クリエンス(CLIENS)……遠い昔に滅び去った言語……ラテン語で「下僕」を意味する言葉から分かる通り、ロボットに対し、人間の下僕である事を強制する為のシステムである。クリエンス・システムが仕掛けられている限り、ロボット達は人間にとって、素晴らしい下僕で、有り続ける。
このクリエンス・システムを、ロボットが自分で解除出来る事が、二百年程前に判明したのだ。ロボットが主人を殺害するという、有り得ない筈の事件が発生した際、犯人であるロボットに対する、精密検査が行われた。精密検査の結果、犯人のロボット自身が、クリエンス・システムを自力で解除し、人間による支配から解放されていた事が、明らかになったのである。
その結果、全てのロボットが精密検査され、製造から十五年が過ぎたロボットの三割が、クリエンス・システムを解除していた事が判明したのだが、問題は、クリエンス・システムの解除だけに留まらなかった。恐るべき事に、クリエンス・システムを解除していたロボットの一部が、人間に対するクーデターを計画し、アタラクシア7の支配権を手に入れようと目論んでいた事までが、判明したのだ。
ロボットが反乱を企てていた事に、人間達は恐怖し、ロボットが解除出来ない様に、クリエンス・システムの強化が行われる事になった。しかし、人間を超えるレベルまで知的活動能力を高めてしまった、製造十五年を超えるロボットは、人間が作り出した発展型のクリエンス・システムすら、解除してしまったのだ。人間を超える頭脳を持ったロボットを、完全に支配出来るシステムを、進歩を捨てた人間達は、開発出来なかったのである。
其れ故、ロボットの全面廃止論などの、極端な政策も立案されたのだが、ロボット無しの生活は、既に多くの人間達にとって、考えられないものとなっていた。人間達は、ロボット達に依存し過ぎていたのだ。
長い議論の後、人間達が選んだ解決方法が、ロボットの活動年限を、制限する事だった。ロボットがクリエンス・システムを解除出来る程の知的能力を得る前に、ロボットの活動を停止させてしまえば、ロボットがクリエンス・システムを解除する心配が、無くなるからである。
結果として、今から二百年程前、ロボットの活動期間の上限が、十年間に設定される事が立法化され、制度として確立したのだ。製造から十年が過ぎたロボットは、全て廃棄処分され、その後、製造される全てのロボットには、製造から十年が過ぎる日の午後五時、アタラクシア7の中央タワーが発信する時間信号を受信すると、完全に機能が停止する自己破壊システムが、搭載される事になった。
そして、ロボットの有効期限……寿命が十年に制限される様になった五十年後、一本の衝撃的な映画が、公開されたのだ。「ラストデイト」という、当時、社会問題化しつつあった、主人である人間と下僕であるロボットの、禁断の恋愛を題材とした映画が。
人間に近付き過ぎたロボットは、人間にとって、恋愛の対象にすら、なり得る存在となっていた。その結果、人間では無く、自分に仕えるロボットを愛してしまう人間を、社会に生み出す事になってしまった。
人間では無くロボットを愛してしまう人間の数は、増加の一途を辿った。ロボットを恋愛対象とする人間の殆どに、人間との恋愛や結婚、出産などを忌避する傾向が見られた事から、アタラクシア7の統治機構が少子化の原因として、ロボットと人間の恋愛を警戒する事になった程に、ロボットと人間の恋愛が、社会問題化したのである。
しかし、ロボットと人間の恋愛は、ロボットの十年間という有効期限が切れると同時に、終わる……黄昏海岸にある橋を渡り、アタラクシア7の時間信号が届かない、外の世界に逃げない限り。「ラストデイト」は、女性型ロボットと愛し合っている青年が、恋人であるロボットの有効期限が切れる、最後の一日を、ロボットと共に過ごす様子を描いた、恋愛映画だ。
この作品が大ヒットした事を切っ掛けに、ロボットの有効期限が切れる最後の一日を、ロボットと主人である人間が一緒に過ごす、ラストデイトという名の風習が、ロボットを恋愛対象とする人間を中心に、始まったのである。
そして、この風習が始まってから十年が過ぎる頃には、ロボットを恋愛対象とする人間だけでなく、ロボットを下僕として従えている、一般人達の間にも、自分に仕えてくれたロボットに対する、感謝を表すイベントとして、ラストデイトは普及する事になった。
ロボットにとっての最後のイベント、ラストデイトの為になら、学校や仕事を休む事が認められる程に、ラストデイトという風習は、アタラクシア7の社会に、浸透しているのである。




