美術館デート
休日、有紗が美術館に行くと……。
USBメモリを無くしそうになった数日後。私は、都内にある美術館を訪れていた。もう世間はゴールデンウイークで、私も休みなので、気分転換に足を運んでみたのだ。
開業してから三年くらいしか経っていないその美術館は、大理石風の床が綺麗で、とても広かった。
ゴールデンウイークという事もあって館内は人が多かったけれど、ゆっくりと作品を堪能できるくらいの余裕はありそうだ。
今回、この美術館では「印象派展」という展覧会を開催していて、モネやルノワールなど沢山の画家の作品を見る事が出来る。
福田さん辺りに私のこういう趣味を知られたら、「渋いですねえ、有紗先生」とか言われそうだな。
そんな事を考えながら私がモネの『印象・日の出』を眺めていると、不意に後ろから声を掛けられた。
「あれ、有紗先生?」
私が振り返ると、そこには見知った顔があった。
「え、遠藤先生!?」
私は、思わず大きな声を上げてから、慌てて口に手を当てる。先生は、驚いたような表情で頭を掻きながら言った。
「まさか、ここで有紗先生に会えるとは思わなかったなあ」
私も小声で言った。
「私も、先生に会えるなんて思いませんでした。……先生も、美術館で絵を見るのが好きなんですか?」
「うん。特に印象派の絵は好きだよ。……モネの『印象・日の出』を見てたの? 良いよね、この絵」
「はい、少し暗い色使いですけど、幻想的な雰囲気もあって好きです」
私がそう言って笑うと、先生は少し考え込むような表情になってから笑顔で言った。
「ねえ、有紗先生。良かったら、今から俺と一緒に作品を見て回らない?」
「え!?」
好きな人に誘われて、私の頭は真っ白になった。でも、せっかくチャンスがあるんだから先生と一緒に回りたい。
「あ、あの、じゃあ、よろしくお願いします……」
それから、私達は一緒に展示されている作品を見て回った。ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』もセザンヌの『マンシーの橋』も素敵だった。
ふと、私は隣に立って作品を見る遠藤先生に視線を向ける。……ああ、先生の横顔も素敵だなあ。
そう思っていると、遠藤先生が口を開いた。
「やっぱり良いね。趣味の合う人が側にいるって」
「え?」
「……俺の周りにはさ、こういう絵を見る趣味のある友人っていないんだよね。だから、今有紗先生とこうやって一緒に絵を見て回れて嬉しいよ」
私は、心臓の鼓動が速くなるのを感じた。私も、先生と一緒にいられて嬉しい。
「ん? 有紗先生、大丈夫? 顔が赤いみたいだけど」
「あ、だ、大丈夫です!……私、ちょっとお手洗いに行ってきますね!」
「ああ、じゃあ俺は休憩スペースにいるね」
私は、先生の言葉を聞くと逃げるようにその場を離れた。これ以上先生の側にいたら、私の気持ちが先生に伝わってしまいそうで、居たたまれなかった。
お手洗いで気持ちを落ち着けた私は、遠藤先生が待っているであろう休憩スペースの方に歩き始めた。そして廊下を曲がろうとした時……。
「きゃっ!!」
向こう側から廊下を走って来た男性とぶつかってしまった。勢い余って私は尻もちを突いてしまう。
「あ、おい、どうしてくれるんだ!」
男性の怒鳴り声が聞こえて、私は男性の方に目を向ける。男性は右手に紙コップを持っていて、彼の白いシャツには茶色いシミが出来ている。どうやら、私とぶつかった拍子に持っていたコーヒーを零してしまったらしい。
男性は、尚も私に怒鳴り付ける。
「このシミ、どうしてくれるんだ! クリーニング代を払ってくれるんだろうな!?」
私は、思わず眉を顰めた。休憩スペースでは飲食OKとなっているけれど、廊下への飲食物の持ち込みは禁止されている。
コーヒーのシミが出来たのは、私の責任では無いのではないだろうか。しかも、男性は辺りの確認もせずに走って来たわけだし。
「おい、何だ、その目は」
「……はあ、すみません……」
面倒な事になる前に泣き寝入りした方が良いかもしれないと思いつつ、私は謝った。
「……じゃあ、クリーニング代を二万円もらおうか」
「二万円!?」
男性の言葉を聞いて、私は目を見開いた。いくらなんでも高すぎる。
「何だ、何か文句あるのか!?」
「いえ、その……」
私が言い淀んだ時、後ろから声が聞こえた。
「いやー、払う必要ないでしょ」
私が驚いて振り向くと、そこには作り物の笑顔を張り付けた遠藤先生がいた。先生は、男性に向かって言う。
「あなた、禁止されてるのにコーヒーを持って廊下に出てたんですよね? なら、この人がクリーニング代を出す必要は無いかと思いますが」
「な、なんだお前。この女の連れか!?」
少し怯んだ男性にそう聞かれた先生は、笑顔を崩さずに言った。
「はい。この人は俺の恋人です」
私の頭はパンクしそうになった。いや、わかるけど! わかるけれども! 私の恋人の振りをした方が私を庇いやすいと考えたんだろうけれども!
辺りがザワザワとし始めた。男性が大きな声を出すものだから、来場者達がこちらに注目している。
それに気付いた男性は、気まずそうな顔をしてから、「ク、クリーニング代の事は勘弁してやるよ」と言ってその場を去って行った。
男性が立ち去った後、遠藤先生が申し訳なさそうな声で言う。
「ごめんね、有紗先生。もっと早く助けられたら良かったんだけど」
私は、ブンブンと首を横に振って答えた。
「い、いえ、助けて頂いてありがたい限りです!!」
遠藤先生は、言いにくそうに言葉を続ける。
「それに、その……有紗先生を恋人だなんて言って……」
私は、さっきの先生の言葉を思い出して顔が熱くなった。赤くなっているであろう顔を隠すように、私は目を背ける。
「いえ……私を助ける為にそうおっしゃったんでしょうし……嫌じゃ……ありませんでしたから……」
そう言うと、先生は一瞬目を見開いてから、私と同じように顔を背けて言った。
「……そっか、なら、良かった……」
私は、チラリと先生の横顔を見る。心なしか、先生の耳が赤くなっているような気がした。
いや、勘違いしちゃいけない。先生が、私みたいな地味な女を好きになってくれるはずないんだから……。
それでも、美術館から帰るまで、私の心はどこかフワフワとしていた。
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