表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/32

第28話 香水は、時に刃よりも鋭く。帝国軍を「香り」で無力化せよ

「……殺す。一人残らず、この地の錆にしてやる」


 ゲルハルト閣下の咆哮が、地下牢の石壁を震わせていた。

 彼の手の中で、帝国の『暗殺許可証』は既に鉄の粉末のように粉々に砕け散っている。瞳は昏い紅に染まり、纏う魔力は物理的な圧力となって、周囲の衛兵たちを戦慄させていた。


「閣下。……その『筋肉質な解決法』は、後でお伺いしますわ」


 私は彼の荒れ狂う殺気の渦中に、平然と足を踏み入れた。

 冷え切った閣下の頬に手を添え、真っ直ぐにその瞳を見据える。


「今は、私の『美しい解決法』に付き合ってくださる? ……あの方々には、自分が何を狙おうとしたのか、その浅はかさを骨の髄まで理解していただかなくては」


「……。エルゼ。貴様を殺そうとした奴らだぞ。情けをかけるつもりか」


「情け? まさか。……死よりも屈辱的な『敗北』を与えるだけですわ」


 私は、震えながら跪くスパイのミヒャエルを冷たく一瞥した。


「ミヒャエル。……貴方に、最後のお仕事を与えますわ。帝国へ戻り、『設計図の奪取に成功した。今夜、祝杯の酒と石鹸を届ける』と合図を送りなさい」


 ◇


 その夜。漆黒の海に浮かぶレガリア帝国の艦隊は、勝利を確信した熱狂に包まれていた。

 スパイからもたらされた『秘伝の設計図』。そして、ザイフリート領から「和解の証」として届けられた大量の高級酒と、新作の香気石鹸。


 兵士たちは、魔導鎧を脱ぎ捨て、新作の石鹸で身体を洗い、届いたばかりの樽酒を煽っていた。


「……ハッ、やはり女だな。命を狙われたと知って、恐怖で媚びを売ってきたか」


 旗艦の甲板で、将軍ヴィラールが届いたばかりの『新作香水』を空間に振りまき、その芳醇なジャスミンの香りに目を細めた。

 だが、その香りの奥底に――極微量の「ある成分」が混じっていることに、誰も気づかなかった。


 ◇


「……あと、十秒かしら」


 城の尖塔の上。私は懐中時計の針を見つめながら、静かに呟いた。

 隣に立つゲルハルト閣下は、まだ納得がいかない様子で、大剣の柄を握りしめている。


「エルゼ。……ただの香水で、あのような怪物どもが止まるはずが……」


 閣下の言葉が終わる前に。

 海上の艦隊から、ドサリ、ドサリ……という、何かが崩れるような音が連続して響いた。


「……? なんだ、あの静まり返り方は」


 望遠鏡を覗いたゲルハルトが、息を呑む。


 先ほどまで馬鹿騒ぎをしていた帝国の精鋭たちが、一人、また一人と、甲板の上に糸の切れた人形のように崩れ落ちていた。

 剣を握ったまま。酒瓶を持ったまま。あるいは、石鹸で泡だらけになった裸のまま。


「魔導鎧を貫く必要などありませんわ、閣下。……私が調合したのは、皮膚吸収と呼吸によって、中枢神経に直接作用する『超高濃度・鎮静芳香剤』。……一度その香りを肺に満たせば、どれほどの猛将でも、三日間は夢の中ですわ」


 それは、第1部で「不眠症の領民」のために作った薬草抽出液を、化学的に千倍に濃縮したもの。

 いわば、空気中を漂う『眠りの刃』。


「……。一兵も損なわず、数千の軍勢を眠らせたのか」


「ええ。……さあ、閣下。出番ですわよ。……眠っている間に、彼らの鎧と武器をすべて没収し、代わりに我が領の『囚人服(リネン製)』に着替えさせて差し上げて? ……あ、ヴィラール将軍だけは、一番泡立ちのいい場所に転がしておいてくださるかしら?」


 ゲルハルトは、呆然とした後に、ククッ……と腹の底から笑い声を漏らした。

 彼は私を横抱きに抱え上げ、その額に熱い口づけを落とす。


「……。恐ろしい女だ。……貴様を敵に回さなくて、本当によかった」


「あら。……お財布を握っている妻を敵に回す夫など、この世にいてはいけませんわよ?」


 ◇


 翌朝。

 目を覚ました帝国兵たちが目にしたのは、武器も鎧も、そして自慢の旗艦の制御装置もすべて奪われ、パジャマ同然の格好でザイフリート領の広場に整列させられた、自分たちの惨めな姿だった。


 その光景を、城のバルコニーから見下ろす一人の男がいた。

 レガリア帝国第三皇子、ユリウス。

 彼は、唯一眠りに落ちなかった(私が意図的にその部屋にだけ香りを送らなかった)自身の私室で、窓の外の『壊滅』を、ただ静かに眺めていた。


「……ハハッ。完敗だな」


 ユリウスは自嘲気味に笑い、手元にある『石鹸のレシピ(偽物)』を破り捨てた。


「武力も、魔法も、スパイも……。彼女の前では、すべてが『非効率』なゴミに過ぎないというわけか」


 彼は立ち上がり、鏡の前で身なりを整えた。

 それは軍人としてではなく、一人の『商売人』としての顔だった。


「……さあ、行こうか。……世界で最も危険な魔女に、降伏ではなく、『対等な契約』を申し込みにね」


 ザイフリート領の朝。

 帝国艦隊の沈黙は、大陸全土に、一つの揺るぎない真実を知らしめることとなった。

 

 ザイフリート辺境伯夫人、エルゼを敵に回すことは――。

 死よりも惨めな「破産」を意味するのだと。

第28話、お読みいただきありがとうございました!

「香り」による軍隊の無力化。これぞ化学知識×悪役令嬢の真骨頂ですわ!

「眠りの刃」によって、パジャマ姿で晒される帝国軍……。ヴィラール将軍たちの屈辱を想像すると、筆が止まりませんでした(笑)。


そして、そんなエルゼ様の規格外な有能さに、呆れつつも完全に骨抜きにされているゲルハルト閣下。

彼の「貴様を敵に回さなくてよかった」という言葉には、深い愛と畏怖がこもっていますね!


「香水で軍隊を落とすなんて、エルゼ様最高!」「ゲルハルト閣下のデレが止まらない……」

と思ってくださった方は、ぜひ【下部の☆☆☆☆☆】をポチッと押して評価、または【ブックマーク】をお願いいたします!

皆様の応援が、次の「黒字の計略」の火力を最大化させますわ!


次回、ついに捕虜となった王太子(第1部からの因縁)が、再登場!

エルゼ様の足元で、彼はどんな「帳簿係」を拝命することになるのか――?

お楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ