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第24話 帝国将軍、ザイフリートの「石鹸」で己の不潔を思い知る

「……痒い。……くそ、なぜこれほど痒いのだ!」


 漆黒の旗艦、その豪華な私室で、使節ヴィラールは軍服を脱ぎ捨て、己の皮膚を無作法に掻き毟っていた。

 ザイフリート城から戻って以来、彼の身体は耐え難い「痒み」に支配されていた。長旅による不衛生、過酷な軍務で溜まった皮脂、そして北海の湿った風が運ぶ雑菌。帝国が誇る魔導装甲は、防御力こそ最強だが、その内部は湿気と熱が籠る「蒸れ」の地獄だった。


 ガシャリ、と扉が開く。


「報告いたします! 港に集まった兵士たちの間で、ザイフリート領が配布した『奇妙な塊』が爆発的な勢いで広がっております!」


「……何だと? 武器か、それとも魔導具か!」


「いえ、それが……『石鹸』と称する、身体を洗うための消耗品だそうで……」


 ヴィラールは、鏡に映る己の赤く腫れた皮膚を見つめ、屈辱に唇を噛んだ。

 あの氷の令嬢、エルゼの言葉が蘇る。

『お帰りの際は、石鹸をお持ち帰りになって。……お身体の臭い、刺激が強すぎますもの』


「……舐めおって。あのような小細工で、帝国の士気が揺らぐと思うたか!」


 ◇


 一方、港を見下ろすザイフリート城のテラス。

 私は、クララが持ってきた双眼鏡で、帝国艦隊の様子を観察していた。


「見て、エルゼ。あちらの甲板、兵士たちが列を作っているわ。私たちの『サンプル配布』、大成功ね」


「当然ですわ。長期間の航海で皮膚病に悩まされない兵士など、この世には存在しませんもの」


 私が配布させたのは、第1部で香水を作る際の副産物――廃油と強アルカリを反応させて作った、殺菌成分入りの薬用石鹸だ。

 香りこそ控えめだが、その洗浄力と爽快感は、中世レベルの衛生観念しか持たない彼らにとって、まさに「神の奇跡」にも等しい衝撃を与えるはずだ。


「……エルゼ。貴様の狙いは分かった。だが、敵を健康にしてどうする。あのような奴ら、病に伏せさせておけば、戦わずして勝てるのではないか?」


 背後から、不機嫌そうな声が響く。

 ゲルハルト閣下が、私の腰を引き寄せ、守るように抱きしめた。彼の鼻腔が私の首筋を掠める。……閣下、今は仕事中ですわよ。


「閣下、それは甘いですわ。兵士が病で死ねば、帝国は『怨恨』を抱いて攻めてきます。ですが、兵士たちが我が領の提供する『清潔さ』なしでは生きられない身体になれば……彼らは自ら、この地を破壊することを拒むようになります」


「……。服従ではなく、依存か。貴様は本当に、敵にとって毒よりも恐ろしい存在だな」


 ゲルハルトが呆れたように笑い、私の指先を自らの唇へと運ぶ。

 彼の熱い感触に、私の冷徹な思考が一瞬だけ乱れた。


「……依存、という言葉は語弊がありますわ。私はただ、市場を独占するだけです。……クララ、次の段階へ移行しましょう。石鹸の効果で『痒み』が引いた頃を見計らって、次は『衣類の洗浄液』と『飲料水の浄化剤』を投入します」


「了解よ。もう、商船団の準備はできているわ。帝国軍の兵站担当者が、泣きながら買い付けに来る姿が目に浮かぶわね」


 クララが不敵な笑みを浮かべて去っていく。

 私の目的は、帝国の武力を挫くことではない。帝国の『生活基盤』を、ザイフリート領の技術で塗り替えること。

 衣・食・住、そのすべてにおいて、私たちの製品がなければ帝国が維持できない状況を作り出す。それこそが、私の描く「平和的な掌握」だ。


 翌朝。

 港に停泊していた帝国の小舟が、白旗を掲げて城へと向かってきた。

 乗っていたのは、昨日の傲慢なヴィラールではなく、顔色の悪い兵站将校だった。


「……ザイフリート辺境伯夫人にお願いしたい。……昨日配布された、あの『石鹸』という品を、全軍分……至急、買い取らせていただきたい。金なら、帝国の金貨でいくらでも支払う!」


 私は、テラスからその様子を見下ろし、優雅に扇を広げた。


「あら、全軍分ですって? 困りましたわ。あちらは試供品サンプル。本契約となれば、現在の価格に……そう、三倍の『戦時輸送費』を上乗せさせていただかなくては」


「三倍!? そんな暴利……!」


「お嫌かしら? なら、どうぞそのまま痒みに悶えて、剣も握れないほど皮膚を掻き壊してくださって構いませんのよ? 帝国には、代わりの兵士などいくらでもいらっしゃるのでしょう?」


 冷徹な私の言葉に、将校は絶望的な顔で項垂れた。

 

 武力は、誇り。

 けれど、衛生は、生存。

 

 誇りよりも生存を選ばざるを得ない状況に追い込まれた時、帝国という巨大な組織に、最初の「亀裂」が走った。


「……ハンス様。契約書のご準備を。……ああ、それから。帝国の方々に、当領自慢の『薬湯(薬草風呂)』の招待券も差し上げて。……一度あの天国を味わえば、彼らはもう、自分たちの泥臭い船室には戻れなくなりますわ」


 私は、ゲルハルト閣下の逞しい腕に身を預け、真っ青な海を見据えた。

 

 帝国。

 貴方たちが求めた『知恵』は、貴方たちのプライドを、泡と共に洗い流して差し上げますわ。

第24話、お読みいただきありがとうございます!

香水という「贅沢」の次にエルゼ様が持ち出したのは、石鹸という「生存戦略」。

「痒み」という、どんな猛将でも耐えられない地味な攻め。

これぞ、化学知識を持つ悪役令嬢ならではの「えげつない内政」の醍醐味ですわ。


不機嫌ながらもエルゼ様を溺愛し、隣を離れないゲルハルト閣下。

彼のヤキモチも、新章ではさらに加熱していく予感です!


「石鹸で帝国を落とすエルゼ様、さすが!」「閣下の独占欲が重くて最高」

と思ってくださった方は、ぜひ【ブックマーク】や【評価】をいただけますと、執筆の糧になります!


次回、ついに帝国軍の内部で「ザイフリート派」と「帝国強硬派」が分裂!?

そして、エルゼを狙う新たな『帝国の影』が動き出します。

お楽しみに!

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