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第2話 追放先は、鉄の匂いと絶望の地でした

ガタゴトと揺れる馬車の窓から見える景色が、鮮やかな緑から、鉛色の荒野へと変わっていった。


 王都を出てから十日。随行を許されたのは、私の身の回りの世話を長年務めてくれた老侍女の一人だけ。護衛の騎士たちは、国境を越えた瞬間に「ここから先は呪われた地だ」と吐き捨てて引き返していった。


 冷たい風が、馬車の隙間から入り込む。

 私は膝の上で、一冊の古い地質図と、自作の「領地再建計画書」を広げていた。


「お嬢様、お顔色が優れませんわ。少しお休みになっては?」

「いいえ、アンナ。眠っている暇はありません。このザイフリート領の年間降水量と、土壌のpH値(水素イオン指数)を予測しておかないと。……見て、あの川の色を」


 窓の外を流れる川は、本来の清流とは程遠い、濁った錆色をしていた。

 鉱山から流れ出る廃液――硫酸鉄が酸化し、川底を赤く染めている。魚の影は見えず、川岸には力なく枯れた草がへばりついている。


(想像以上ね……。強酸性の土壌。これでは通常の麦も野菜も育たない。領民が飢えるのも必然だわ)


 馬車が小さな村を通り過ぎる。

 ボロを纏った村人たちが、死んだような目でこちらを見ていた。着飾った公爵令嬢を乗せた馬車は、彼らにとって希望ではなく、新たな「搾取」の象徴に過ぎないのだろう。


 やがて、丘の上に聳え立つザイフリート城が見えてきた。

 城と呼ぶにはあまりに無骨で、飾り気がなく、煤けた石造りの要塞。それが私の、新しい「家」だった。


 馬車が止まると、一人の男が待っていた。

 使い古された革の鎧を纏い、眉間に深い皺を刻んだ初老の男。ザイフリート領の文官長、ハンスだ。


「……王都から追放されたお嬢様とお見受けする。私はハンス。この地のまつりごとを預かっている。辺境伯閣下は執務中だ。挨拶は後にして、まずは荷物を解かれよ」


 歓迎の言葉も、礼儀正しい挨拶もない。

 ハンスの瞳には、「また王都から厄介者が来た」という露骨な軽蔑と、諦念が混じっていた。


「ご挨拶が遅れましたわ。エルゼ・フォン・クロムウェルです。ハンス様、お気遣いなく。荷解きはアンナに任せますわ。それより、すぐに『過去三年の会計帳簿』と『徴税記録』、それに『領内の人口動態調査書』を私の部屋へ運んでくださる?」


 ハンスが、虚を突かれたように目を見開いた。


「……何とおっしゃいましたか? お嬢様。お召し物を汚す前に、まずは温かい茶でも飲んで休まれるのが……」

「お茶を淹れる燃料も、今のこの領地には貴重なはずですわ。ハンス様、私を甘く見ないで。私はここへ、遊びに来たのではありません」


 私は馬車から降り、泥濘ぬかるみにヒールの靴を沈めた。

 ドレスの裾に泥が跳ねるが、構わない。


「今の言葉、お忘れなきよう。……では、私は閣下へのご挨拶に伺います。場所を案内してくださる?」


 ハンスは困惑したように私を凝視していたが、やがて「……こちらです」と短く答え、重い扉を開いた。


 廊下を歩く間、私は辺りに漂う匂いを嗅いだ。

 鉄の匂い。カビの臭い。そして――。


(……あ。この香り、やっぱり)


 城の庭の隅、石壁の隙間に、赤黒い奇妙な花が咲いていた。

 領民からは「悪魔の草」と呼ばれ、触れればかぶれ、強烈な青臭さを放つために忌み嫌われている雑草。


 けれど、私の鼻には、その奥に隠れた「宝石」のような香りの分子が感じられた。

 特定の溶媒で抽出し、温度をコントロールしながら蒸留すれば――それは世界中の王侯貴族が喉から手が出るほど欲しがる、禁断の芳香へと化ける。


(これだわ。これこそが、この死の地を黄金の領地に変える鍵。……あとは、あの『鉄仮面』をどう説得するかね)


 突き当たりの、分厚い鉄の扉の前に立つ。

 ハンスが震える手でノックをした。


「閣下。王都より、エルゼ・フォン・クロムウェル様が到着されました」


「……入れ」


 奥から響いたのは、地を這うような低い声だった。

 扉が開く。

 そこには、冷え切った暖炉を背に、山のような書類に囲まれた一人の男が座っていた。


 ゲルハルト・ザイフリート。

 頬に古い傷跡があり、氷よりも冷たい瞳を持つ辺境伯。

 彼は私を一瞥すると、ペンを置くことすらなく言い放った。


「見ての通り、この地には食わせる無駄飯も、着飾る舞踏会も、貴様の機嫌を取る時間もない。……明日には王都へ帰れ。それが、せめてもの慈悲だ」


 その言葉を、私は真正面から受け止めた。

 冷徹? 結構。

 私は彼を睨みつけ、スカートの端を泥ごと持ち上げて、凛とした微笑みを浮かべた。


「お言葉ですが、閣下。私は『慈悲』を求めてここへ来たのではありません。……貴方のその、計算ミスの多い帳簿を、黒字に変えに来たのですわ」


 一瞬、部屋の中の空気が凍りついた。

 ゲルハルトが、初めて私を「一人の人間」として、射抜くような視線で見つめ返した。

お読みいただき、ありがとうございます!

どん底のザイフリート領。冷徹な辺境伯に対し、エルゼが「数字」を武器に真っ向から立ち向かうシーンから物語は加速します。


エルゼの「現代知識による逆転劇」が楽しみだと思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】や【評価】での応援をお願いします。

次話、いよいよ「鉄仮面」ゲルハルトとの、激しい口論――いえ、共同作業(?)が始まります!

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