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第19話 新航路の野望。海を統べる『海賊王』への商談状

マギウス教国の異端審問官を追い払ったものの、陸路での貿易には暗雲が垂れ込めていた。

 教国がザイフリート領を通る商人に不当な重税を課し、事実上の「経済封鎖」を開始したからだ。


「……嫌な展開ね、エルゼ。このままじゃ、せっかくの『鉄の薔薇アイアン・ローズ』が王都や南の諸国へ届かなくなるわ」


 クララが執務室の地図を指差して眉を寄せる。陸路が塞がれた今、残された道は一つしかない。


「海……ですわね、クララ」


「ええ。でも、ザイフリート領の北に広がる『沈黙の海』は、武装商船を率いる『海賊王』バルガスの縄張りよ。あそこに挨拶なしで漕ぎ出せば、船ごと海の藻屑ね」


 海賊王バルガス。

 かつて没落した小国の海軍提督であり、今は独立した私掠船団を率いて海の覇権を握る「北海の支配者」。


「挨拶なら、とっておきの品を持って伺いましょう。……閣下、北の港町『ゼーア』まで、護衛をお願いできますかしら?」


 傍らで剣を磨いていたゲルハルト閣下が、顔を上げた。

「……。あのバルガスか。奴は剣の腕も立つが、何より『価値のないもの』を極端に嫌う男だ。貴様の香水を、ただの『着飾った女の玩具』だと断じれば、交渉の余地はないぞ」


「ふふ。……だからこそ、私が直々に出向くのですわ」


 ◇


 三日後。北の荒々しい潮風が吹き抜ける港町ゼーア。

 停泊している巨大なガレオン船の甲板で、私たちは「海賊王」と対峙していた。


 バルガスは、岩のようにがっしりとした体躯に、潮風で焼けた肌を持つ男だった。彼は、ゲルハルト閣下の殺気にも動じることなく、不敵な笑みを浮かべて私を見下ろした。


「……ザイフリエトの辺境伯が、女連れで何用だ? ここは鉄の匂いと魚の生臭さが支配する場所。香水に酔ったお嬢様の来るところじゃねえぞ」


 周囲の船乗りたちが下品な笑い声を上げる。

 私は、鼻を突くような安物の酒と、長旅で洗われていない男たちの「体臭」が混じった悪臭の中に、優雅に踏み込んだ。


「バルガス様。貴方の船は立派ですが……一点だけ、耐え難い欠陥がございますわね」


「あぁん? 欠陥だと?」


「――不潔アンハイジェニックですわ」


 一瞬、甲板が静まり返る。

 私は、アンナに持たせていた霧吹き状の試作ビンを取り出した。


「船乗りたちが海の上で命を落とすのは、嵐のせいばかりではありませんでしょう? 狭い船室に蔓延るやまい、そして理性を蝕むほどの凄惨な悪臭。……私の香りは、単なる飾りではありませんのよ」


 私は、バルガスの目の前で、その液体を空間に散布した。

 

 刹那。

 重苦しい魚の生臭さと、汗の臭いが霧散した。

 代わりに広がったのは、鼻腔を突き抜けるような清涼感のあるユーカリと、殺菌効果を持つティーツリー、そして心を落ち着かせるラベンダーの鮮烈な香り。


「な……っ!? 呼吸が……楽になった?」


「これは『航海用・空間浄化香料』。現代……いえ、私の秘術で調合した、防腐と殺菌の効能を併せ持つ香水です。これを船室に撒けば、船員たちの士気は劇的に上がり、不衛生による病の発生も抑えられるでしょう」


 私はバルガスの顔の数センチまで近づき、不敵に微笑んだ。


「バルガス様。貴方はただの略奪者で終わりたいの? それとも、私の『香りの貿易船』を護衛し、大陸の物流を支配する『海の提督』として再興したいかしら?」


「……。女、貴様……」


 バルガスが、驚愕と、それ以上の「興奮」に瞳をギラつかせた。

 彼は私の手を乱暴に掴み、その香りを確かめるように引き寄せた。


「おい、離せ」


 ゲルハルトの低い声が響き、剣が鞘から半分抜かれる。その殺気は、バルガスの首筋を物理的に震わせるほどだった。


「……ハッ! 怖い騎士様だ。……だが気に入ったぜ、お嬢様」


 バルガスは私の手を放し、高笑いと共に私を指差した。


「香水を『命を守る道具』として持ってきたのは、貴様が初めてだ。……いいだろう。マギウス教国の連中を海に叩き落とし、貴様の荷を世界の果てまで運んでやる。……ただし、契約料は高いぞ?」


「ええ。……ですが、貴方が手にする『富』と『健康』に比べれば、端金はしたがねですわ」


 私はクララに目配せをした。彼女は既に、契約書の山を抱えて船員たちに「投資」の説得を始めている。


 ◇


 商談を終え、港を見下ろす丘の上。

 ゲルハルトが、不機嫌そうに海を見つめていた。


「……バルガスに手を掴まれた時、なぜ振り払わなかった」


「交渉の一部ですわ、閣下。……それとも、私の手が汚れるのがお嫌でした?」


 私が茶化すように言うと、ゲルハルトは私の腰を強引に引き寄せ、そのまま耳元で囁いた。


「……。貴様の知恵が世界に広がるのは誇らしい。だが、それを狙う男が増えるのは……耐え難い。……これからは、俺が許可した相手以外とは握手も禁ずる」


「……。相変わらず、独占欲が重いですわね」


 私は彼の胸に顔を埋め、小さく笑った。

 鉄の匂い、花の香り、そして潮風。

 

 ザイフリート領の香りは、ついに海を渡り、世界を変えるための大航海へと漕ぎ出した。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

「香水」を「衛生管理」という実利的なツールに翻訳し、海賊をも味方につける。

これぞエルゼ流の、知識による「価値の転換」です。


そして、バルガスへの対抗心からくる、ゲルハルト閣下の重すぎる溺愛。

「閣下、ヤキモチが過ぎる!」「エルゼ様の交渉術、スカッとする!」

と思ってくださった方は、ぜひ【ブックマーク】や【評価】をいただけますと幸いです!


次回、ついに物語は「新大陸」へ。

そこで待ち受けていたのは、エルゼを「魔女」として追放した王家さえも恐れる、未知の勢力で――?

お楽しみに!

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