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第18話 聖マギウス教国の不穏。美しさは、神への背信か?

ザイフリート領の春風は、今や花の香りと共に「富」を運んでくる。

 新設された街道には、大陸全土から商人が押し寄せ、かつての廃鉱山は今や「香水の聖都」として、地図の塗り替えを余儀なくさせていた。


 だが、光が強まれば、影もまた濃くなる。


「……エルゼ、厄介な連中が国境を越えたわよ」


 執務室に飛び込んできたクララが、いつになく真剣な面持ちで一枚の通告書を叩きつけた。

 そこには、太陽を象った重厚な蝋封。――西の隣国、聖マギウス教国の国章だ。


「マギウス教国……。魔法を『神の奇跡』と崇め、贅沢を罪とする、あの清貧国家ですわね?」


「ええ。彼らにとって、貴女が作った『鉄の薔薇アイアン・ローズ』は、淑女たちの理性を狂わせ、虚栄心を煽る『悪魔の誘惑』なんですって。……教国の異端審問官が、この地を直接査察すると言ってきたわ」


 私は、窓の外で誇らしげに咲き誇る花々を見つめた。

 美しさが罪? 冗談ではありませんわ。

 人々が明日を夢見て、汗を流して手に入れた「潤い」を、どこの誰が否定できるというのか。


「お迎えしましょう、クララ。……ただし、あちらが『神の言葉』を持ってくるというのなら、こちらは『人間の真実』で対抗するまでですわ」


 ◇


 翌日、城の正門に現れたのは、白装束に身を包んだ一団だった。

 中央に立つのは、冷酷なまでに整った顔立ちをした若き審問官、マラキ。彼は、城内に漂う芳醇な香りに露骨に不快感を示し、鼻を布で覆った。


「……不浄だ。鼻腔を汚すこの飽食の臭い、まさに堕落の極み。エルゼ・フォン・クロムウェル、貴様がこの邪悪な薫香の主か」


 マラキの瞳には、一切の対話を受け付けない狂信的な光が宿っていた。


「邪悪、とは聞き捨てなりませんわね、審問官様。これはこの地の民が泥にまみれ、知恵を絞って生み出した、正当な労働の成果ですのよ」


「黙れ! 美しさは虚飾であり、香りは理性を溶かす毒だ。……我が教国は、この不浄な液体の製造停止と、貴様の教国への出頭を命ずる。……拒むのであれば、この地を『神敵の巣窟』と見なし、聖戦を布告する用意がある」


 広間が、凍りついたような静寂に包まれる。

 聖戦。それは、この平和になりかけた領地を、再び地獄へ突き落とすという脅迫だ。


 だが、その沈黙を破ったのは、私の背後から響いた、地を這うような低い声だった。


「――聖戦だと? 面白い。我が領の土を、貴様ら狂信者の血でさらに肥やしてやろうか」


 ゲルハルト閣下が、黒銀の甲冑に身を包み、大剣を携えて現れた。

 彼の背後には、かつて「鉄仮面」と共に戦場を駆けた精鋭騎士団が、音もなく整列している。その圧倒的な殺気に、白装束の男たちが一瞬怯んだ。


「ゲルハルト・ザイフリート……! 貴様、神に背くつもりか!」


「俺が信じるのは、目の前でこの地を豊かにした一人の女の知恵だ。……マラキと言ったか。貴様らの神が、領民の腹を満たしたことがあるか? 枯れた川を戻したことがあるか?」


 ゲルハルトが私の前に一歩踏み出し、守るように腕を広げる。

 その背中は、どんな城壁よりも頼もしく、熱い。


「エルゼは俺の婚約者であり、この地の魂だ。彼女に触れる者は、例え神の使いであろうと、俺が一人残らず断罪してやる」


「閣下……」


 私は彼のマントをそっと掴んだ。

 怒りに燃える彼の心臓の鼓動が、伝わってくる。


「……マラキ様。一つお尋ねしますわ。貴方たちが祈りの際に焚く『神のインセンス』。……あれを構成している成分は、私の香水に使っている花の一部と同じですのよ? 貴方たちの神は、自分に捧げる香りは許し、民が楽しむ香りは許さないほど、偏狭な方なのですかしら?」


「貴様……っ! 詭弁を!」


「事実ですわ。……アンナ、あの資料を。……審問官様、こちらが『神の香』と我が領の香水の成分分析比較図です。……もし私の香水が悪魔の産物だというのなら、貴方たちの教典もまた、悪魔の言葉で綴られていることになりますわね?」


 私は、王都の文献から密かに調べていた「マギウス教国の聖遺物」の正体を突きつけた。

 彼らが「奇跡」と呼んでいた香りの正体もまた、科学的に説明できる「植物の力」に過ぎない。


 マラキの顔が、屈辱と驚愕で歪む。

 理屈で勝てないと悟った彼は、懐から黄金の魔石を取り出した。


「……汚らわしい魔女め! その口、今すぐ神の火で焼き払ってくれる!」


 魔石が眩い光を放ち、広間に熱風が吹き荒れる。

 だが――。


 ガキンッ! という鋭い金属音と共に、光の奔流はゲルハルトの一撃によって両断された。


「……俺の前で、彼女に手を出すなと言ったはずだ」


 ゲルハルトの剣先が、マラキの喉元を数ミリの距離で捉える。

 辺境伯の瞳には、もはや一切の手加減はない。本物の「戦鬼」の眼差しだ。


「……ひっ、あ、あ……」


「失せろ。次にその魔石を輝かせた瞬間、貴様の首をこの香水瓶の蓋にしてやる」


 ゲルハルトの冷徹な一言に、マラキたちは悲鳴を上げて逃げ出していった。


 ◇


 静寂が戻った広間で、ゲルハルトは深く溜息をつき、剣を鞘に収めた。

 そして、まだ震えていた私の肩を、大きな手で包み込んだ。


「……エルゼ。怖かったか」


「いいえ。……閣下がいてくださると思っていましたから」


 私は彼の胸に顔を埋めた。鉄の匂いと、微かな汗の匂い。

 どんな最高級の香水よりも、今の私を安心させてくれる香り。


「……だが、これでマギウス教国との関係は決定的に悪化したな」


「ええ。ですが、彼らは気づいていないようですわね。……教国の有力な貴族たちの多くが、既に我が領の香水の『中毒者』になっていることに。……クララ、準備はいいかしら?」


 物陰で帳簿を弾いていたクララが、ニヤリと笑って顔を出した。


「もちろんよ、エルゼ。……さあ、次は『神の教え』を、『欲望のマーケット』で上書きしてあげましょうか」


 ザイフリート領の戦いは、ついに「信仰」をも飲み込もうとしていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

「宗教」という厄介な敵に対し、ゲルハルトの武力とエルゼの科学的論破が冴え渡る回でした。

「俺が守る」というゲルハルト閣下の騎士っぷり、楽しんでいただけましたか?


不器用な二人の絆が、外敵によってより強固になっていく過程を描いていきます。


「閣下がカッコよすぎて震える!」「エルゼ様の正論パンチ、もっと見たい!」

と思ってくださった方は、ぜひ【ブックマーク】や【評価】をいただけますと幸いです!


次回、ついにエルゼの香水が「海」を越える。

新航路の開拓と、そこに立ちふさがる「海の覇者」との対決が始まります。

お楽しみに!

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