第14話 無能な王太子の御来臨。「君の力を、もう一度私のために使わせてやる」
城門の前に止まったのは、金箔が剥げかけ、長旅の泥に汚れた王家の馬車だった。
降りてきたのは、かつて私を「冷徹な人形」と呼び、婚約破棄を突きつけた第一王子、ジュリアン・ド・ラ・ヴァリエール。
王都での連日の突き上げに疲弊しているのか、その顔色には余裕がなく、自慢の金髪もどことなく瑞々しさを失っている。
「……久しぶりだな、エルゼ。このような僻地まで、わざわざ迎えに来てやったぞ」
第一声がそれですか。
私は、ゲルハルト閣下の隣で、扇をゆっくりと動かしながら彼を見据えた。
「これはこれは、ジュリアン殿下。わざわざこのような『死の地』まで、一体どのようなご用件かしら? 香水が手に入らなくて、夜会でお困りの淑女たちの使い走りにでもなられたの?」
「貴様……! 相変わらず口の悪い女だ」
ジュリアンが苛立たしげに声を荒らげる。だが、彼は周囲を見渡し、言葉を失った。
かつての荒れ地には青々とした用水路が走り、見捨てられたはずの鉱山からは活気ある槌音が響いている。そして何より、城全体を包む、あの「奇跡の香り」。
「……信じられん。あの毒草から、本当にこれほどの利益を生んでいるのか。ハンスの報告は事実だったようだな」
「ええ。ですが、それは『私の』知恵と、『この領地の』努力の賜物ですわ。……閣下、殿下をお通ししてよろしいかしら?」
ゲルハルトが、無言で道を開けた。その視線は、ジュリアンを「王太子」としてではなく、ただの「侵入者」として警戒している。
◇
応接室にて、ジュリアンは豪華なソファにふんぞり返り、傲慢な態度で書類を叩きつけた。
「エルゼ。父上も、今回の件は少々やりすぎだったと仰っている。……そこでだ。貴様の罪をすべて赦免し、再び私の婚約者として王都へ戻ることを許してやろう。あの聖女クララも、所詮は平民上がりの無能だった。やはり、私の隣には貴様のような実務に長けた女が必要だ」
……耳を疑うとは、このことですわね。
私は、持っていた紅茶をテーブルに置き、くすくすと笑い声を漏らした。
「……何がおかしい!」
「いえ、あまりに滑稽で。殿下、貴方はまだ、自分が選ぶ立場にいらっしゃるとお思いなの? ――現在の王都の負債額は、昨年比で三割増。主要な輸出産業であった香料は、我が領の embargo(輸出停止)によって壊滅状態。……沈みゆく船の船長が、救助に来た船の主に向かって『乗せてやる』と言っているようなものですわ」
「な、貴様……王家を愚弄するか!」
「事実を述べているまでです。……ゲルハルト閣下、あちらをお見せして」
ゲルハルトが、一冊の分厚い帳簿を提示した。
「これは、我がザイフリート領の直近三ヶ月の収益報告書だ。……ジュリアン殿下。貴公が王都で遊興に耽っている間に、この地は王室の年間予算の半分に匹敵する外貨を稼ぎ出した。エルゼは、もはや貴公の手に負える存在ではない」
ゲルハルトが、私の背後からその肩を抱く。
彼の低い声が、ジュリアンのプライドを粉々に砕いていく。
「エルゼは、この地の宝であり、俺の婚約者だ。……これ以上、彼女を侮辱するなら、王家との絶縁も辞さない」
「……婚約者だと!? 辺境の野蛮人が、王家の女を奪うというのか!」
「王家の女、ですって? ――お断りいたしますわ、ジュリアン殿下」
私は立ち上がり、これ以上ないほど優雅に、けれど芯から凍てつくようなカーテシーをした。
「私はもう、貴方の駒でも、王国の道具でもありません。私はこのザイフリート領で、私の価値を認めてくれる人々と、……私を必要としてくださるこの方と共に生きていくと決めましたの。王都へは、香水の請求書だけを送らせていただきますわ」
「エルゼ! 貴様、本気か! 戻らなければ、クロムウェル公爵家はどうなってもいいのか!」
「父なら、既にこちらへ移住する準備を整えております。……無能な王太子に見切りをつけるのは、私だけではないということですわ」
ジュリアンの顔が、屈辱で真っ赤に染まる。
彼は何かを叫ぼうとしたが、ゲルハルトが静かに剣の鞘を鳴らしただけで、その言葉を飲み込んだ。
「……帰れ、ジュリアン。二度と、俺の領地に足を踏み入れるな」
追い出されるように部屋を去るジュリアンの背中を見送りながら、私は深く溜息をついた。
憑き物が落ちたような、清々しい気分。
「……お疲れ様でした、エルゼ。少々、言い過ぎたか?」
ゲルハルトが、心配そうに私を覗き込む。
私は彼の胸にそっと頭を預け、小さく笑った。
「いいえ。……世界で一番、素敵な気分ですわ。閣下、お祝いに……今夜はとびきり高いお酒を開けましょうか?」
「ああ。……だが、明日の帳簿整理には響かない程度にな」
鉄の匂いがする、温かい腕。
私はもう、二度とあのお飾りの鳥籠へ戻ることはない。
ここが、私の戦場であり、私の愛する居場所なのだから。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
王太子ジュリアン、完全敗北。
「戻ってこい」という言葉を、「沈みゆく船」と一蹴するエルゼの強さに、胸が空く思いをしていただけましたか?
そして、どさくさに紛れて「俺の婚約者だ」と言い切ったゲルハルト閣下。
二人の関係は、もはや「仕事のパートナー」を超えてしまいました。
「スカッとした!」「早く二人の結婚式が見たい!」
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次回、第1章完結。
鉄の荒野に咲いた奇跡の香りは、どのような未来を描くのか。
お楽しみに!




