死体が見たい
「だからさあ、この動画すげえんだよ。ほらこれ! 駅構内で女が男に手コ――」
「えっ」
「お、興味出た? SNSでもさあ、今めちゃくちゃ話題に――」
「いや、ちょっと黙れ。あの、すみません! そこの人、今なんて言いました?」
夜。おれは友人の田畑と並んで、駅構内を歩いていた。田畑のくだらない話に適当に相槌を打ちながら改札口へ向かっていたのだが、川の流れのように均一だった人波に不自然な乱れが生まれていた。はしゃいで飛び跳ねる者、スマホを耳に当ててきょろきょろしている者、妙にそわそわしている者。
なんだ? と訝しんでいると、すれ違いざまに聞こえた二人組の女の会話が引っかかり、おれは反射的に呼び止めた。
「えっ、死体……?」
「そう。向こうに男性の死体があったんです。ね」
「ねー、見ちゃったあ」
女たちは肩を寄せ合い、わざとらしく身を震わせた。怖がっているように見せたいのだろうが、高揚感が滲み出ていた。
おれは短く礼を言って、二人が指さした方向へ足を向けた。
「おい、どこ行くんだよ!?」
「どこって、死体を見に行くに決まってるだろ」
おれがそう言うと、田畑はギョッと目を見開いた。
「なんで!?」
「いや、話聞いてなかったのか? 見たいだろ。死体」
「なんで!?」
「だから、死体があるんだぞ。見たいだろ!」
「なんで!?」
「お前……あのなあ、『スタンドバイミー』って映画、知らないか?」
「ドラえもん?」
会話にならない。おれはため息をつき、無視して歩き出そうとした。だが田畑は慌てておれの腕を掴み、強く引き止めた。
「放せよ! 死体を見に行くんだよ!」
「なんで!? なんで!?」
「『なんでなんで』って、なんなんだよ! お前、頭おかしいのかよ!」
「いや、おかしいのはお前だろ。なんで死体なんか見たいんだよ……」
「だから! ……いや、まあそう言われると確かに変かもしれないが……でも、火事でも事故でも野次馬は集まるもんだろ? ほら、さっきのお前の話だって、ギャラリーが大勢いたんだろ?」
「まあ、そうだけど、死体は違うだろ……どうかしてるよ……」
いや、そうでもない。現にこの瞬間も、死体を見たらしい連中が「マジやべえ!」「ガチの死体だったわあ!」などと興奮冷めやらぬ様子で、おれたちの横を通り過ぎていく。
死体なんて、そうそう目にできるものじゃない。珍しいものを見たいというのは、人間の根源的な欲求だろう。
おれはそう説明したが、田畑は納得いかないという顔で眉をひそめるばかりだった。
「そんなの、親とかじいちゃんばあちゃんの葬式で十分じゃん」
「いや、それは養殖ものだろ。おれは天然ものが見たいんだよ」
「どういうことだよ……」
棺桶に綺麗に納められた死なんてつまらない。それも老人の死体では、何の感情も湧かない。偶然そこに転がった死。日常から切り離され、まだ誰の手も加わっていない新鮮な死体。それがいいんだ。こいつには、なぜそれがわからないのか。
とはいえ、子供の死体はさすがに痛ましすぎる。年齢はいくつだ? 性別は?
――おっさんだったな。
――会社員っぽかったね。かわいそー。
ちょうど横を通り過ぎたカップルが、そう口にした。よしよし、いいぞ。条件は悪くない。
「ほら、いい加減放せよ。早くしないと、警察がブルーシートで覆っちまうだろ」
「だから行くなよ!」
「なんで止めるんだよ!」
「危ないだろ! 通り魔かもしれない!」
「まあ……いや、仮にそうだとしても、もうとっくに逃げてるだろ」
「わかんないだろ。まだその辺に潜んでるかもしれない。ほら、いいから帰ろう!」
なんなんだ、こいつは……。
どれだけ言っても田畑はおれの腕を放そうとしない。額には玉のような汗が浮かび、掴まれた腕からぬるりとした熱が伝わってくる。手汗が服に染み込んでいるに違いない。最悪だ。
田畑は「行くなよ〜ん」と甘ったるい声を出し、腰を落として踏ん張り始めた。顔はニヤつき、どうやらこいつがたまにやる“ふざけたノリ”らしい。
その間にも、二人組の外国人が興奮した様子で「ハラキリ!」「セップク!」とはしゃぎながら通り過ぎていった。
どうやら病死ではなく、外傷があるようだ。これはぜひとも見たい。いや、見なければ。電灯の光を跳ね返す床に、深紅の液体がとろりと広がる光景が脳裏に浮かんだ。ああ、なんて劇的な画だろうか。
確かに、写真を撮ろうと群がる連中には、おれもどうかと思う。だが、人生で一度あるかどうかという出来事が、ほんの数十メートル先に転がっているのだ。これは行かなきゃ損だろう。
家に帰ってから『嫌なものを見たな……』と酒瓶を揺らしながら、ため息をつくのだ。目を閉じると、まざまざと死体が浮かび上がり、おれを放そうとしない。何年経っても、ふとしたときに思い出す。おれを赦さないというように。
夜。無音のリビング。酒のグラスに視線を落とし、眉根を寄せている。その顔に暗い影が落ちたそのとき、子供が声をかける。『ねえ、お父さん』『ん? なんだい?』『お父さんって、死体見たことある?』『……ああ、あるよ。昔ね』『ほんとに? お葬式とかじゃないよ?』『ああ、駅構内でね。悲鳴が飛び交って――』と、父の顔に刻まれた皺は伊達じゃないと、子供は知るだろう。死体はおれの中に溶け、コクを生むのだ。
「……なのに、なんでわかんねえんだよ!」
「だから! 死体なんて見に行くもんじゃないだろ! 呪われるかもしれないぞ!」
「小学生かよ! 放せっての!」
数分の揉み合いの末に、おれはやっと田畑を振りほどいた。反動でよろけながらも、その勢いのまま死体のある方向へ駆け出した。
だが、角を曲がる直前に、どっと人波が押し寄せてきた。群衆の表情はさまざまだったが、嫌な顔をしている者もいたが、高揚しているのは明らかであった。
「遅かったか……」
まるでライブ会場を後にする観客のような流れをかき分けて進むと、そこにはすでに警官が集まり、案の定、ブルーシートが張られていた。隙間らしい隙間は一切なく、どれだけ目を凝らしても、その向こうにある“本物”の姿が浮かび上がることはなかった。
おれは深くため息をつき、肩を落としてその場を後にした。
――おい、人が死んでるぞ!
――死体!?
改札口へ向かう途中、その声が耳に飛び込んできた。
死体、また死体だって……!? 通り魔だったのか!
心臓が跳ね、おれは反射的に駆け出した。現場はすぐにわかった。そこだけ明らかに人の密度が高いのだ。
おれはスマホを取り出し、人垣に体をねじ込んだ。
――喧嘩らしいな。
――突き飛ばされて頭を打ったらしいぞ。
――かわいそー。
床に転がっていたのは――田畑の死体だった。




