リュセルへの道
リスフェン村を出てから、すでに二日が経っていた。
朝霧に包まれた森を抜け、二人は舗装の甘い石畳を踏みしめながら、街道を北へ進んでいる。周囲には木々が続き、空は高く晴れ、鳥たちの鳴き声が心地よいBGMとなっていた。
だが、ユウトの足取りはどこか慎重だった。
「……まだ誰かに追われてるってわけじゃないよな」
「うん……でも、エリス様は易々と引き下がるような人じゃない。気をつけなきゃ」
隣を歩くミレリィは、旅装束に身を包み、小さな荷物袋を背負っている。以前より少しだけ表情が柔らかく、時折ユウトを見上げては微笑みかける。
それは“結婚”というかたちで二人の関係が変わったからだ。
形式的なものでなかったとは言えない。村の風習で「旅立ちは婚姻を伴う」――エルフの掟がそうだったに過ぎない。
だが、ミレリィにとっては重大な決意だったし、ユウトもそれを軽くは受け止めていない。
ユウトは自分の左手に巻かれた、村の長セフィリナから贈られた赤い組紐を見下ろす。
それは、エルフにおいて婚姻の証だった。
「――ユウト」
「ん?」
「ありがとう……一緒に旅してくれて」
「そりゃ俺の方こそ。……村を出るって、すごい勇気いることだったろ?」
「うん。こわい。でも、ユウトとなら……きっと、大丈夫」
ミレリィがほんの少しだけ彼の腕に寄り添う。ユウトは驚きながらも、自然と笑みがこぼれるのを止められなかった。
空には、ユウトの仲間である鳥たち――
黒翼の猛禽・ハルヴを中心に、赤翼の機敏なカロゥ、白羽の偵察鳥ファルクが周囲を旋回していた。三羽とも、リスフェンでの戦い以来、まるでユウトの護衛を自認しているかのように行動している。
「ハルヴ、前方に何か見えるか?」
《風は穏やかだが……小さな煙が上がっている。旅人か、あるいは》
「よし、ありがとう。気をつけよう」
鳥たちは翼を翻し、また旋回に戻る。
ミレリィはそれを見上げて、「ふふっ」と笑った。
「ユウトの声に、ちゃんと返事するの、何度見ても不思議な気分」
「俺も、まだ慣れないよ。でも、なんか……鳥って、こんなに表情豊かだったんだなって思う」
「うん……とっても優しい目、してる」
二人はそのまま、慎重に煙の上がる方向へ進んでいく。
やがて、街道の脇に、焚き火の残りと倒れた馬車が見えてきた。
「……まさか、盗賊?」
ユウトはミレリィを背に庇うように立つ。ハルヴたちも上空で一斉に警戒の軌道を描く。
だが、馬車のそばには、腰を抱えてうずくまる若い男性がひとり。
「っ……あぁ……く、靴が……靴が……!」
「え、えっと……大丈夫ですか?」
ユウトが近寄ると、男性はこちらを見上げ――大げさに涙を流しながら、地面に崩れた。
「助けてください……! 盗賊に……荷を全部、盗られて……私は、リュセルに革を届けるはずだったのに……っ!」
そう言った男は、やけに綺麗な服装に、商人らしい帳簿袋を抱えていた。
「あなた、リュセルの人なんですか?」
ミレリィが問いかけると、男は涙を拭いながらうなずいた。
「はい! 私、商人のファレルと申します! 父の跡を継いでまだ三ヶ月の新米ですけど、命だけは助かりました……!」
「荷は?」
「全部……奪われました……馬も、壊されてしまって……」
ユウトは周囲を見渡す。襲撃の痕は新しい。そう遠くないところに盗賊が潜んでいる可能性もある。
「ファレルさん、俺たちはこれからリュセルに向かうところなんです。お一人では危ないですし、一緒に来ますか?」
「えっ、本当ですか!? でも、ご迷惑では……」
「大丈夫です。どうせ街まで行くし、にぎやかな方がいい」
「ユウト……優しいね」
ミレリィが微笑むと、ファレルもぱっと顔を輝かせた。
「なんて恩人なんだ……! 恩返しは、必ず!」
こうして、リュセルへの旅路に、ひとりの小商人が加わることとなった。
ユウトはまだ知らない――この出会いが、後の運命を大きく変えることになるとは。
盗賊が現れるや否やファレルの護衛は逃げ出してしまったそうです。安物買いの銭失いってやつですね。