門出
戦の夜が明けて、静寂が戻った森の村には、どこか名残惜しげな風が吹いていた。
ユウトは村の外れ、小高い丘の上に立ち、深く息を吐いた。
(……もう、ここにはいられない)
王女エリスの襲撃という事実は、この森の小さな村にとってあまりにも大きすぎる出来事だった。
どれほど鳥たちが結界を突破しようと、どれほどユウトが素手で王女と渡り合ったとしても――
「……俺がここにいれば、村に迷惑がかかる」
誰に言うでもなく呟いた言葉に、答えたのは一羽の鳥だった。
《旅立つのか、ユウト》
「ハルヴ……」
《俺たちは空からいつでも見ている。お前がどこへ行こうと、空はつながっている》
「……ありがとな」
その背後、そっと誰かが歩み寄る気配がした。
「……ユウトさん」
振り返れば、そこにはミレリィ。
白い法衣をまとい、髪を風に揺らしながら、少し俯いた目で立っていた。
「ミレリィ……どうかしたのか?」
「もう、行っちゃうんですよね?」
「……ああ。ここにいると、また誰かが傷つくかもしれない」
ミレリィは一歩前へ出た。顔を上げ、ユウトをまっすぐに見つめて――
「私も、連れて行ってください」
「え?」
「……私、あなたと一緒にいたいんです。ずっと、どこまでも」
その声は震えていたが、しっかりとした芯があった。
「村を出るには“結婚”が必要なんです。だから、私――ユウトさんと、結婚したいんです」
ユウトは驚き、少し沈黙してから、小さく笑った。
「……本当にそれでいいのか?」
「……はい。あなたじゃなきゃ、嫌なんです」
静寂の中で風が吹き抜け、森のざわめきが祝福のように聞こえた。
ユウトは一歩近づき、そっと彼女の手を握る。
「わかった。じゃあ、俺と一緒に来てくれ、ミレリィ」
「……はいっ!」
◆ ◆ ◆
ふたりは村に戻った。
ミレリィはエルフとしての風習に従い、リスフェン村へ戻って正式な報告をしなければならなかった。
村の中央にある大きな木の下、長老セフィリナが静かに彼らを迎える。
「……ユウト。あなたがミレリィを選んだと?」
「はい。ミレリィが、俺と共に旅をしたいと言ってくれました。俺も……彼女を守りたいと思っています」
セフィリナはユウトの瞳をじっと見つめ――ふっと笑った。
「……いい目をしている。人間の中に、そんな光を見たのは久しぶりだ」
「長老……」
「ミレリィ、あなたもそれでいいのね?」
「……はい。私は、ユウトさんと共に生きたいんです」
「……ふたりの門出を、リスフェン村は祝福します」
その言葉とともに、集まった村人たちが拍手と笑顔でふたりを迎えた。
「ユウトさん、これ……お守りです。おばあちゃんが作ったんです」
「また森に来たときは、寄ってくださいね! 二人分のご飯、作って待ってます!」
「ユウトさん……ミレリィのこと、よろしくお願いしますね……!」
ミレリィの家の前、木製の小さな箱にふたりの名前が刻まれた。
“ユウトとミレリィの旅立ちを、森が見守る”
村のしきたりで刻まれる、旅立ちの証だった。
◆ ◆ ◆
数日後。
支度を終えたユウトとミレリィは、村の南門をくぐった。
目指すは王都――だが、まずは中継都市「リュセル」。
「荷物、重くないか?」
「うん。全部軽くしました。旅、楽しみですね」
「うん。でも……気を抜かないようにしないとな」
肩に乗った小鳥・カロゥがくちばしで髪をつつく。
《ふたりとも、旅人の泉で一泊すっぞ。そこ、めっちゃ安全。あと、食い物うまい》
「了解。ありがとう、カロゥ」
「ふふ、ほんとに仲良しですね」
そう言って、ミレリィはユウトの腕にそっと自分の腕を重ねた。
(俺たちはこれから、何に出会うのだろう)
そう思いながら、ユウトは森の外へと足を踏み出す。
旅のはじまりは、祝福とともに――。