翼なき戦場
高台からこちらを見下ろす、紅い鎧の女騎士――エリス王女。
背筋を伸ばし、風になびく銀髪の下、その瞳は冷ややかにユウトたちを見据えていた。
高台に立つエリスが、右手を天にかざした瞬間――
ゴウン、と地響きのような魔力の唸りが広がる。
それと同時に、空気の流れが激しく揺らぎ、空を飛んでいた鳥たちが一斉にバランスを崩して墜落し始めた。
《ハルヴ! 何が起きた!?》
《結界だ。空気の流れが撹乱された。飛行は不可能だ》
ミレリィが蒼白になる。
「《風乱結界》……高度な空封じの魔術よ。あんなのを、いとも簡単に……!」
ユウトは歯を食いしばった。
「くそったれ、これじゃ戦いなんて……」
目の前に広がるのは、空を封じられた仲間たち――
そして、結界に呼応するように森の奥から姿を現す、王女直属の部隊。
重装歩兵、魔導騎士、結界補佐の魔導士たちが列をなして押し寄せる。
《ユウト、戦闘は避けられない。地上戦に切り替えるぞ。各隊、即時展開!》
ハルヴの号令で、鳥たちは羽を折り畳み、地を駆ける。
ユウトも拳を握り直す。
剣も盾もないが、それでも守るべきものはここにある。
「ミレリィ、後方から支援魔法を。体力は温存しておけ」
「……わかった。でも、気をつけてね……!」
ユウトは仲間とともに前線へと走る。
高台の王女は静かに見下ろしていたが、やがて唇を動かした。
「突撃を開始しなさい。鳥の王よ、地を這う翼の価値、見せてもらおうかしら」
◆ ◆ ◆
空を飛べなくとも、地を駆ける鳥たちは存在する。
《ファルク、左の騎兵を牽制! カロゥ、後方から魔導兵をかく乱!》
ファルク――赤茶色の脚を持つ突進型の鳥が、低く唸りながら騎兵の列に突っ込む。
馬の足元を蹴り、騎士の槍を逸らし、そのまま大地を蹴って跳ねるように敵を押し返す。
カロゥは小柄で俊敏な個体。魔導兵に突撃し後方の混乱を狙う。
砂を巻き上げ、詠唱を阻害し魔術の発動を阻害していく。
地を這う鳥たちの連携が、徐々に敵の進行を鈍らせる。
《ハルヴ、中央突破できるか?》
《可能だが、敵の魔導障壁が厚い。君の援護が必要だ》
「了解。俺が前に出る。タイミング合わせてくれ」
ユウトは前線へ躍り出る。
盾を構える重装歩兵の間合いに踏み込むと、跳躍し――
「ッらぁああああッ!」
素手で、顎を突き上げた。
金属製の兜が鳴り響き、兵士の体が揺れる。
その隙にハルヴが突撃。鋭い嘴で喉元を狙い、敵の体勢を崩す。
一人、また一人と敵が倒れていく。
それでも、王女の軍勢は揺らがない。
「殿下、魔導部隊、損害率三割……!」
「構わない。結界は健在。空を封じた限り、彼らの主戦力は半減している」
だが、エリスの視線が一瞬、鋭くなった。
ユウトと鳥たちの連携、そして地を駆ける戦術。
彼らは飛べずとも、なお恐ろしく強い。
「地を這う鳥たち……なるほど。これは、想定外ね」
戦場は混迷を極めていた。
鳥たちが地を駆け、人間と共に敵を押し返す。
空が封じられてもなお、翼の誇りを捨てぬ者たちの戦いが続いていた。
ユウトの拳は皮が剥け、体中に痣が広がっていた。
鳥たちも、何羽かが傷つき、地に伏している。
「このままじゃ、持たねぇ……けど……!」
ハルヴが咆哮する。
《敵の後方、魔導補給線が切断された!》
《このまま、押し切れる!》
「私自ら出るしかないようね」
エリスの眉がわずかに動く。
「全軍、撤退を開始せよ。空路封鎖の維持は不要。結界は段階的に解除」
「し、しかし殿下! お一人で何を……!」
側近の制止を、エリスは瞳の力だけで退ける。
「私の力は味方を巻き込むわ。これが最善……さがりなさい」
魔導通信が沈黙し、空気の緊張が解かれた瞬間。
鳥たちは一斉にさえずり、結界が解除されたことを告げる。
けれど王女だけは――戦場に残った。
ユウトが彼女に気づいたのは、森の隙間から青白い光が閃いた時だった。
「……雷?」
ミレリィが小さく息をのむ。
「違う、あれは――」
ばちん――! と空気が爆ぜ、目にも止まらぬ速さで一条の閃光が走る。
現れたのは、雷を纏った一本の剣を携えた少女。
いや、国家を背負う騎士――王女・エリス。
「“雷皇の剣”……!」
ミレリィが小さく呟いた。ユウトは直感した。あの剣がただの武器でないことを。
青白い稲妻が剣身を走り、地面の土を焦がす。
「……自ら殿を続けて 務めるとはご立派なもんだな?」
ユウトが問うと、エリスは軽く微笑んだ。
「虚勢ね。私が出たからには敗北などあり得ないわ。」
その言葉と同時に、地を蹴る音が鳴った。
速い。
一瞬で間合いを詰めてきたエリスの雷剣が、唸りを上げて横薙ぎに振るわれる!
ユウトは紙一重で身をひねり、間一髪で回避。
しかし剣が掠めた空気に焼けた臭いが立ち込めた。
(あの剣……触れたら即、やられる)
《ユウト、ハルヴだ。すぐ背後からカロゥとファルクが援護に回れる》
《わかった。この空気中に伝播する電撃ーー触れたら即死だ。十分注意してくれ》
周りの鳥たちは満身創痍だ。俺のエゴに付き合わせているからには俺自らケリをつける。
「来なさい、“空の王”」
エリスはそう呼んだ。
だが、ユウトは返さない。ただ、拳を構える。
再び、エリスが飛び込む。
左斜め上から振り下ろされた斬撃。
ユウトは後退しつつ回避し、拳を返すが、剣の雷がカウンターの如く前腕を焼いた。
「っぐ……!」
一撃ごとに距離が縮まり、戦況が崩れ始める。
しかし、そのときだった。
《空、もう飛べるぞ》
ハルヴの声とともに、ユウトの周囲に数羽の大型鳥たちが降下する。
《風向きが安定した。結界は完全に解除されたようだ》
《ユウト、俺たちも力を貸す!》
空から突風を巻き起こし、ファルクがエリスの視界を遮る!
その刹那、ユウトは低く姿勢を落とし、回り込むように左側面から接近。
エリスは感知し、剣を振る――が、
「そっちは囮だッ!」
ユウトの拳が、右斜め下から喉元へ向かって突き上げられた。
風を裂く鋭い音とともに、打撃はエリスの胸当てに命中。
「――くっ!」
体勢を崩した彼女に、ファルクが上空から突撃し、空気を乱す。
ユウトはその隙を逃さない。
再度、拳を握りしめ、今度は右脇腹へ――
「ぐ……!」
衝撃に、エリスが大きく後退。
雷の剣が一度だけ火花を散らし、光を失った。
(くっーーここで魔力切れとは)
「……ふふ。見事よ、“空の王”」
血が唇から滲んでいた。
だが、それでも彼女は高貴な笑みを崩さず、剣を地面に突き立てる。
「……また、会いましょう。私は……まだ、諦めていない」
そう言い残して、王女は魔導転移術式を展開。
青白い光が彼女の身体を包み――やがて、戦場から姿を消した。
ユウトは拳を下ろし、空を見上げた。
《ありがとう、みんなのおかげだ!》
《お前の道を阻むものは自由を阻むもの。これからも遠慮せず呼べ》
ハルヴがそう言うと、鳥たちも空を旋回して応えた。