王都の影、能力の意味
翌朝。
森の光は、どこか鈍かった。
木々の隙間からこぼれる陽光は、地面にまだら模様を描いている。
その中を、ミレリィと二人、俺は歩いていた。
「リスフェン村、だったっけ?」
「はい。わたしの故郷です。……ユウトさんも、よろしければ来てください」
「助かる。あの森で一人はさすがに心細いしな」
ミレリィが少し笑った。昨日よりも、表情がやわらかい。
ただ、安心するにはまだ早かった。
森のあちこちに、焦げ跡のような痕が残っている。
昨日の戦闘とは関係ない。もっと広範囲に、もっと以前にできた傷。
「これ……火事か?」
「……いえ。これは、魔物を焼き払った跡です。王国軍の……“浄化作戦”」
その言葉に、俺は思わず足を止めた。
「魔物を、焼く……?」
「ええ。でも、森ごと。住んでいる生き物も、全部。時には……人も巻き込んで」
「……そりゃまた乱暴な」
鳥たちが木の上で静かに啼いた。
森は再び静寂に包まれ――そのとき、前方から複数の足音が聞こえた。
「誰だ!」
鋭い声とともに、木の影から数人の男が現れる。
全員、鉄の鎧を着ていた。金属の擦れる音が耳に不快に響く。
胸元には――王冠をあしらった紋章。
たぶん、ここの国の兵士なんだろう。
「怪しい者ではありません……私はリスフェン村の者、ミレリィ・セレスティアです。村へ戻る途中で……」
「セレスティア……ああ、あのエルフ村の。まだ潰されてなかったのか」
鼻で笑うような声が返ってきた。
ぞっとした。
「この者は、わたしを助けてくれた命の恩人です。どうか……」
「ふん。外れの森で人を助けた? 異種族と組んでる? そいつ、どこから来たんだ?」
兵士の視線が俺に向く。
まるで“人間の格好をした得体の知れない獣”でも見るような、露骨な警戒心。
俺は反射的に言葉を探したが、何も出てこなかった。
「名前は?」
「……ユウト。オオトリ・ユウト」
「出身は?」
「地球ってところだ。……たぶん、ここの世界じゃない」
一瞬、空気が凍る。
兵士たちがざわついた。ある者は剣に手をかけ、ある者は目を細めた。
そのとき――ミレリィが前に出た。
「彼は敵ではありません! わたしの命を救ってくれた方です!」
「エルフが言ってもな。上には報告しておく。こっちは忙しいってのに、まったく……」
そう吐き捨てるように言い、兵士たちは道を開けた。
まるで“通してやる”ではなく、“監視を続ける”とでも言いたげな態度。
彼らが森の奥へ消えていった後も、しばらく空気は重かった。
◆ ◆ ◆
「……あいつら、なんなんだよ」
歩きながら、俺は小声で言った。
ミレリィは眉を寄せながら、それでも穏やかに答える。
「……王都の兵士です。ここはもう、中央の支配下に置かれていて……」
「支配って、あんな態度で?」
「ええ。とくにエルフの村は、疎まれていて……」
その理由は、まだ語られなかった。
けれど、なんとなく分かった気がする。
ここでは、人間以外の“異種族”は、まともに扱われていない。
だから、ミレリィは最初から怯えていたのか。俺が人間に見えるせいで。
そして――あの兵士の言い方。
“まだ潰されてなかったのか”
この国の何かが、おかしい。まだ全貌は見えない。でも、きっと近いうちに分かる。
◆ ◆ ◆
日が傾きはじめたころ、ようやく森を抜けた。
そこには、木造りの塀に囲まれた、小さな村があった。
「ここが……リスフェン村?」
「はい。エルフの里の中では、まだましな方です」
村の入口には、耳の長い人たち――エルフたちが数人立っていた。
俺を見て、警戒したように目を細める。
「……わたしが説得します。ユウトさんは、後ろにいてください」
「悪いな。……でも、助かる」
ミレリィは一歩前に進み、俺は後ろで小さく深呼吸をした。
――まずは、足がかりをつくらなきゃな。
村の空気はひんやりとしていた。
木造りの家々はどこか儚げで、森の中にぽつりと浮かんだ幻のようだった。
けれど、そこに住む人々――エルフたちは、確かな警戒心と生きる気配を持っていた。
◆ ◆ ◆
「この方が……?」
「はい。森で魔獣に襲われていたわたしを助けてくれた方です。ユウトさん」
「人間か?」
「はい。ただ……この世界の方では、ないようです」
「…………」
村の集会所のような建物で、ミレリィは村の長老と呼ばれる女性――セフィリナと話をしていた。
俺は緊張しながら、その場にいた。
セフィリナは鋭い目をしていたが、同時にどこか包み込むような柔らかさも持っていた。
白銀の髪と、わずかに光る杖。いかにも“長老”という風格。
「異世界からの来訪者、か……。それで、貴殿は何者だ? なぜこの森に?」
「それが……目を覚ましたら、森の中に倒れていて……記憶ははっきりしてますけど、理由がわかりません」
「……ふむ。神の遣い、あるいは……」
セフィリナは意味深な目をした。
なんでここにいるのか俺が教えてほしいくらいだ。
――どうして善行をした“報酬”が、こんな危険な森への転移なんだ?
助けた女の子は、きっと生きてる。
俺は死んだ。でも、女神に会って、言われたんだ――“この世界のすべての鳥を従える力”を与えると。
それがこの世界で何を意味するのか、知る必要がある。
「なあ、ちょっと訊いてもいいか?」
「何だ?」
「この世界にいる鳥って、どういうのがいるんだ? 俺がいた世界にいた、スズメとかカラスとかとは違う?」
「スズメ、カラス……? ……おそらく、その名は知らんな。だが、鳥なら山にも空にもいる。種類も数も多い」
「じゃあ、たとえば“ハルヴ・ストライカー”とかって名前の鳥がいたとして、それを知る方法は?」
セフィリナは驚いたように、杖を少し動かした。
「その名を……どこで聞いた?」
「いや、なんとなく……頭に、浮かんだというか。俺の能力に関係してると思う」
俺の能力は“その名前を知る”という形で、少しずつ鳥たちと繋がっていくのかもしれない。そんな気がする。
「……“名前”を知るのは、導かれし者の証とも言われている。ハルヴ・ストライカーは、鋼の翼を持つ伝説の渡鳥だ」
「鋼の……翼?」
「かつて王都の空を舞い、戦の兆しを告げた鳥。目にすれば運命が変わる、とも言われている」
なるほど。神話的存在ってことか。
俺に力を貸してくれた彼らがそんなすごい存在だったなんて。
でも、まだ能力が完全に使えている実感はない。
鳥と会話はできても、命令が通るわけじゃない。あくまで力を貸してくれているだけだ。
俺はまだ、“鳥を従える力”を完全に使えてない。
もし鳥たちに見放されたらあるいはーー今の俺では丸腰のようなものだ。
そう思ったときだった。
村の外から、悲鳴のような声が聞こえた。
「魔獣だ! 北門から!」
村の若者が、血相を変えて駆け込んできた。
「警備の者がやられました! 森の奥から、大型の獣が……!」
「またか……!」
セフィリナが立ち上がり、村の者たちが次々に外へ飛び出していく。
ミレリィもすぐに立ち上がった。
「ユウトさん、わたしも行きます!」
「おい、戦えるとは言っても、まだ万全じゃないだろ!無茶すんな」
「わたしは、村を守る術士です。行かないわけには……!」
その目は、昨日よりも強い決意に満ちていた。
「わかった。なら、俺も行く。役に立てるかはわからねえけど」
「……!」
俺たちは一緒に走り出した。
そして、村の北門――そこに、それはいた。
◆ ◆ ◆
巨大な獣。狼に似ているが、背中から黒い骨のような棘が生えていた。
目は赤く、爛々と光っている。
――間違いない。昨日の魔獣より、はるかに強い。
「こいつ、名前なんか知ってるか!?」
「分かりません……でも、あれは“野放魔”と呼ばれる存在。魔物のなかでも、知性を持つ個体です!」
「クソ、名前が分かれば力を……!」
そのとき。
空から、一羽の鳥が降りてきた。
黒と銀の混ざった羽。尾が異様に長く、鋭い嘴。
――頭の中に、声が響いた。
《我、ハルヴ・ストライカー。空駆ける翼なり》
「……来た……! お前……!」
《汝、命じよ。我は従う》
力が――湧き上がってくる。
まるで、血が沸騰するような熱。俺の中の“何か”が、鳥と繋がっていく。
「よし……ミレリィ! 援護頼む!」
「はい!」
ミレリィが魔法陣を展開。周囲の木々から風が巻き起こり、魔獣の動きを止める。
「ハルヴ、目を狙え!」
《了解》
その声と同時に、銀の閃光が空を駆けた。
ハルヴ・ストライカーが魔獣の目を鋭く突く。魔獣が咆哮を上げてのたうちまわる。
俺は地面を蹴った。
昨日とは違う。
確かに“力”がある――この翼と共に戦えるという感覚。
剣を持たずとも、拳一つでも戦える。
俺は魔獣の懐に潜り込んで、腹に一撃を叩き込んだ。
ごうっ、と空気が鳴る。
魔獣が吹き飛び、地に沈んだ。
◆ ◆ ◆
「はぁっ……はぁ……!」
「……やりました……!」
ミレリィが駆け寄ってきた。
ハルヴは空に舞い上がり、再び木陰へと姿を消す。
「……使えた、な。俺の能力」
鳥の名を知ることで、その鳥が呼応する。
鳥とリンクすると俺の身体能力も不思議と上がっているみたいだ。
でも、何か引っかかっている。
なぜ、この力をもって、いきなり“こんな危険な森”に投げ込んだのか。
なぜ“報酬”なのに、こんな始まり方なのか。
「……なあ、ミレリィ。この国って、いったい……」
言いかけたそのとき。
一人の村人が、王都の紋章が刻まれた封書を持って駆け込んできた。
「王都から、指令書が……! リスフェン村に、“徴発命令”だと……!」
世界の歯車が、確かに音を立てて動き出した。