舞い上がる翼、森の少女
――俺は、死んだはずだった。
なのに、目を覚ました瞬間、そこには見たことのない空が広がっていた。
空は紫がかっていて、木々はありえないほど巨大だった。
空を飛ぶ生き物も――カラスでもワシでもない。翼が六枚、くちばしが刃のような金属の鳥が、風を切って滑空していく。
「……マジかよ……」
立ち上がり、あたりを見回す。森の中は薄暗く、湿った苔と、どこか鉄のような匂いが鼻をつく。
服は現世で着ていたまま。パーカーとジーンズ。そして右手にだけ、妙な黒い指輪がはまっていた。
「ここが……異世界?」
女神――イル=フリエは確かに言っていた。
「汝は善き行いをもって命を落とした。ゆえに新たな世界を授けよう」
……だったら、なんでいきなりこんなヤバそうな森に放り込むんだよ。
女神のビジュアルは完璧だった。銀髪に紫の瞳、神殿の階段を裸足で降りてくる天上の存在。
けど――今の俺の状況はどうだ?
得体の知れない森の中に、武器も食料もなし。どこに行けばいいのかすら分からない。
「……これが、報酬ってわけ?」
皮肉のように呟いたそのときだった。
――ズゥウウゥゥ……
遠くから響く低音。地面が微かに震える。
何かが、こちらへ近づいてくる。
音の正体を確認する前に、俺の体は本能的に木の陰に身を隠していた。
数秒後。
木々の間から、異形の生物が現れた。
身の丈は三メートル程。皮膚は黒光りしていて、節くれだった関節が昆虫のよう。
腕が四本、牙が裂けた口から覗いている。
「……うわ、RPGなら間違いなく中ボスじゃん……」
だが俺は、不思議と恐怖に飲まれなかった。
――この感覚。
鳥たちが、俺を見ている。
高い枝の上から、さっきの“六枚翼の鳥”がこちらをじっと見つめていた。
その視線が、なぜか俺の脳内に「言葉」みたいな感覚を送ってくる。
……“従えよ、主たる者”……
心に浮かんだその感覚と同時に、頭の中に文字が浮かび上がる。
《ハルヴ・ストライカー》
分類:大型戦闘鳥獣。対空・対地対応の集団攻撃型。
意思疎通には精神同調による感応接続が必要。現在:同期レベル0.3
「……名前、浮かんだ……?」
まるでゲームのUIが頭に表示されたみたいだった。俺はその鳥の名を“知って”しまった。
ハルヴ・ストライカー。
鳥のくせにめちゃくちゃ攻撃的な見た目。翼がナイフ、くちばしがドリル、脚が鷹よりも太くて鋭い。
俺の右手の指輪が微かに熱を帯びる。
“命じろ”というような感覚が伝わってくる。
「……えっと、もし聞こえてるなら……」
口に出しても意味があるのかは分からない。けど俺は言った。
「そいつ、ぶっ飛ばしてくれ!」
数羽のハルヴ・ストライカーが、木の上から一斉に滑空した。
音もなく、風だけが切られる。
そして――
ズドォンッ!!!
鳥たちの連携攻撃が異形のモンスターの背後を貫いた。
悲鳴をあげる暇もなく、奴は地に伏す。
俺は、呆然とその光景を見ていた。
現実感が追いつかない。けれど、確かに。
「……こいつら……俺に従ってくれてる……?」
答えるように、上空で鳥たちが一度だけ旋回した。
まるで――舞うように。
◆ ◆ ◆
モンスターを撃退し、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
鳥たちは再び枝の上に戻り、静かにこちらを見ている。
この森で、今のところ俺を信用してくれているのは――こいつらくらいだ。
呼吸を整えながら、俺は空を仰ぐ。
けれど紫がかった空は、どこか不穏で、不自然に静かだった。
そのとき。
――ズシャッ。
何かが倒れるような音が、風の向こうから聞こえてきた。
「……誰かいるのか?」
俺は鳥たちのうち一羽にだけ意識を送る。
返ってきたのは、映像のようなイメージ。
――倒れた人影。血。獣のような影。
すぐに走った。
◆ ◆ ◆
そこにいたのは――少女だった。
血まみれのマント。長い金の髪。青白い顔。
そして、耳が長い。
「……エルフ、か?」
まるでファンタジーの中から抜け出してきたような姿だった。
けれど、そんな感傷を抱く暇はなかった。
彼女の前には、狼に似た怪物が二体。
毛並みは灰色というよりは鉛のように濁っており、目が赤く光っている。
それは、まさに“殺す”ことしか考えていない捕食者の目だった。
少女は魔法の光球のようなものをかろうじて構えていたが、呼吸は荒く、立っているのがやっとといった様子。
その足元には、すでに一体が倒れていた。
おそらく、自力で一匹を倒したのだろう。
でも、もう限界だ。今にも――喰い千切られる。
「伏せろッ!」
俺は叫んで飛び出した。
同時に、上空にいるハルヴ・ストライカーへ意識を飛ばす。
「狙え! 右側のやつ、頭から行け!」
翼を広げた鳥が滑空する。音もなく、獣の背中に突き刺さる。
咆哮が響き、そいつがひるんだ。
俺は、少女の前に立ちはだかるように割り込んだ。
「大丈夫か!?」
「っ、わたしは……はい……でも、あなたは……!」
少女は驚いていた。誰なのかもわからない俺が突然現れたのだから当然だ。
でも今は名乗ってる場合じゃない。
もう一体の獣が、俺に向かって飛びかかってくる。
「くっ!」
避けきれない。だがそのとき――
「《ラディエ・スパルタ》!」
少女の手から、淡い月光のような魔力が放たれた。
光は獣の顔面をかすめ、その動きを鈍らせる。
「ナイス!」
俺はそのスキを突いて、拾った太い枝で横殴りに打ち込んだ。
さすがに倒しきれないが、鳥たちが追撃してくれる。
獣が悲鳴をあげて、森の奥へ逃げていった。
◆ ◆ ◆
数分後。
少女と二人、木陰で腰を下ろす。俺は簡易な焚き火を組み、息を整えていた。
「……助けてくれて、ありがとう、ございます」
「いや、こっちもたまたま通りかかっただけだ」
俺は彼女の顔を見た。
よく見れば、目は透き通った銀色で、瞳孔がほんのわずかに縦に細い。
人間じゃない。けど――綺麗だった。
「名前、聞いてもいいか?」
「……わたしは、ミレリィ。ミレリィ・セレスティアです。あなたは……?」
「ユウト。オオトリ・ユウトっていう。地球ってとこから来た」
「ちきゅう……?」
当然ながら、そんな名前は知らないらしい。
でも、なんとなく話は通じる。言葉も共通している。不思議だ。
俺たちはしばらく無言で焚き火を見つめた。
森の空気は冷たく、虫の声もどこか遠い。
それでも、不思議と落ち着く。
……今は、生きてる。
これからのことを考えなければ。
「ミレリィ。この森って、どんな場所なんだ?近くに町はあるのか?」
「はい。近くには私の村があります。元々は結界があって、魔物は封じられていたんです。けれど最近、急に活性化して……」
「そっか……」
ミレリィの深刻そうな顔から、現状なにかやばそうだってのは伝わってきた。
その肩が、ほんの少し震えていた。
たぶん、怖かったんだと思う。
俺も同じだ。だけど――
「とにかく今日は無理するな。少し休んだ方がいい」
「……はい」
「俺がついてる。今日くらいは、ちゃんと守るよ」
「……ふふ。……ありがとう、ユウトさん」
ミレリィは小さくうなずき、火を見つめた。
俺の鳥たちが、木の枝の上から小さく鳴いた。
まるで――「よく言った」とでも言いたげに。