もうここに用はねぇ、帰るぞ
黙々と歩く男に付いていく事10分、畑から隣家の畑に移動するだけでも広いので時間がかかったが、ある家の前で止まった。
村長の家だそうで、男は扉を叩く。
「婆様、俺だ。客を連れてきた、開けてくれ」
しばらくすると扉が僅かに開き、眉間に皺を寄せた訝しげな表情の老婆が顔を見せる。
その、加齢により白く濁った目が遠慮無しにヴィーア達を睨む。
「……どの客かね?」
「下だ」
「…戦士、神官が二人、そっちの女は医者か。こんな奴らがか?」
「何見てんだババア、さっさと開けねぇと…いててて耳を引っ張るな!」
「だから何でアンタって口の聞き方がなってないのよ!拗れるって言ってるでしょ!」
「ア、アリーナ、耳取れちゃうよ!」
「人間の耳って、切れはするけど千切れはしないから大丈夫よ。彼って丈夫だし」
「関係あるかー!早くやめろ!」
「何なんじゃお前さん達は…」
「私から今説明します…今、動けないリンヒの代わりに薬を…うるさいって!」
「爪!爪を立てんなって!」
「簡単には千切れ無いからこんなことしても大丈夫なんですって!」
「アリーナ!」
「そこまで言ってないから。先に進まないから妹さんもその辺にして」
扉を開けて急に始まった騒動に村長の老婆は扉を閉めそうになったが、マリアが持ってきた薬を見て部屋へと通した。
「それで、お嬢様とどういう関係だい。ダラン教奴らか?」
自分の分だけの茶を持ってきては自らの指定席である座布団へと座り、片手で一口啜ったあと老婆はヴィーア達に尋ねた。
「違うダランじゃねぇ、リンヒちゃんは俺様の女だ。だから美人の姉ちゃんも救いに来た。」
「お嬢様がお前さんの女?リンシアナ様の事を知っているからただならぬ関係なのは間違いないが…お嬢様はどうした、何故御自分でいらっしゃらない?」
「リンヒちゃんは具合が悪くてな。ほら敵じゃない事が分かったならいい加減会わせろ、どのみちそんな包丁じゃ俺は殺せん」
「……」
老婆は沈黙ののち、観念したように後ろ手に隠した包丁を机に置き、手の届く範囲に置いてあったランタンを掴むと立ち上がる。
「ついてきな」
足で座布団を払いのけ、薄手のカーペットを捲ると、そこには地下室へと続く隠し扉が現れる。
慣れた手付きで南京錠を外し、そそくさと下に下っていくのを追い掛ける。
「暗いから気を付けな」
「お婆さん、良ければ私が炎魔法で照らすけど」
「魔法はダメだ、外から探っている何処の誰が探知出来るか分からないからの。なぁに、ただの民家の地下室なんてたかがしれてる……そこの娘、医者か?」
「そうですけど」
「だったら一つ話を合わせて欲しい、結晶化は移ると」
「…分かりました、合わせます」
「うむ。そら着いた」
干し野菜や干し肉等、様々な長期保存が利く食料庫を通り過ぎ、一つの部屋の前で止まる。
鍵は掛かっておらず老婆が手を掛けると簡単に扉が開き、中に入るとベッドの前の椅子に座る口元を布で覆い手袋を嵌めた村娘が立ち上がる。
「村長」
「しっかり世話しているか?お主は少し休憩でもしてこい…リンシアナ様、お加減はどうですかな?今日は晴れですぞ」
「…はい。元気です」
「お、おぉ!見るからに育ちが良い美人がいる!」
「…はい?」
「アリーナ、ボク達も外で待ってよう。こんなに押し掛けてちゃ迷惑だもん」
「そうね…表に馬車をお願いしてくるから」
「おー樽野郎を待たせとけ」
村娘の後に続き、姉妹も地上に上がる。
地下なので部屋に窓はないが、発光の魔道具が複数置かれ十分な明るさがあり、小さめな映像射影機が一つ、大きな本棚には様々なジャンルの本(恋愛物が多そう)がぎっしり詰まっており…洗面台からは水も出るようで一瞬、この場が地下だと言うことを忘れそうになる。
そんな部屋の主、リンシアナはベッドに横になり口数こそ少ないが、村娘と入れ替わりに入ってきた急な来客にも淑やかで人好きのする笑顔を絶やさず、ヴィーアの言葉にどういう事かと首を傾げると、艶やかな黒髪が揺れる。
「ベラさん、こちらの方々は?」
「リンヒ様のお知り合いだそうで、今日はリンシアナ様の薬を持ってきたようです」
「まぁ…リンヒさんの……足が動かず、この様な姿勢ですが、感謝致します…」
「気にするな、ここ座るぞ」
「こら、まずは私が診るんだからどきなさい」
「おっとそうだった。足が開かないと不便だからなまずはお薬の時間だ、その後は別の薬を奥にたっぷり出すとしよう」
「…別の薬?」
穢れを知らない無垢なままなのか、ヴィーアの下ネタにも笑顔で聞き返された。
「いいからどきなって。こんにちはリンシアナさん、私はマリア。医者なのだけれど、患部を見せて貰えますか?」
「はい…申し訳ないのですが布団を捲って貰えませんか?…自分では、満足に動けず…」
「そのままで結構ですよ。失礼します……」
「おぉこりゃ…」
伸縮性のある手袋を嵌め布団を捲ったマリアは、さらに寝間着のズボンを下げると、運動不足よる筋力低下で痩せ細った脚がさらけ出され、結晶化した足先から膝上の結晶化した患部を触り、撫で、診察する。
「どうだ先生」
「珍しい病気だからね、私だって実物は見たこと無いよ。知識として知ってるだけ。ここで良いかな…注射を刺しますよ」
「はい…どうぞ、もう痛みも感じませんので」
僅かに翳った笑顔で頷くリンシアナに、医者として努めて笑顔で接するマリアは、まだ完全に結晶化していない、針が通りそうな膝上の皮膚を探し当てると一気に注射針を押し込み、薬品を流し込む。
「終わりました…最後に打ったのはいつ頃ですか?」
「…七日と六時間前くらい、です」
「詳しく覚えていて助かります…けれどこの薬は五日以内で打たないといけないのはご存知ですか?」
「はい…もちろんです。ですけれどわたくしは、いわば雛鳥も同然…リンヒさんが懸命に持ってきてくれる薬を、ただ、口を開けて待っている事しか出来ません…こんなわたくしを救う価値なんて、ありませんのに…」
「そんなことは…誰にでも救われる権利はあります」
「知っていますか?完全に結晶化した人間は、一部の愛好家の間で高く取引されているのを…一度リンヒさんに言ったのです…わたくし事は放っておいて、時が来たら役立てて、と…自慢ではありませんが、見た目も悪くないでしょう?そしたら、ふふっ、とても…とても怒ってしまって、しばらくは口も利いてくれませんでした…」
遠い過去を懐かしみ、あんなことがあったと頬を緩ませるには中々苦い思い出を語られマリアは沈黙と苦笑いで返す。
(ダメだ…何か言え私!彼女は生きる事に絶望し死を受け入れてしまっている!医者だろうが、気持ちを取り戻させろ!)
生きるのを諦めた患者は、教皇でも神でも救えない。
そう言う諺がある事が脳裏をよぎる…何か言わねばと思えば思うほど気の利いた言葉は出てこず、マリアがしどろもどろになり始めた時、ヴィーアが声をあげる。
「そりゃ怒るだろう、リンシアナちゃんは死んじゃダメだ、てか死なさん。絶対にな」
「…まぁ、何故でしょう?…貴方様とは、縁もゆかりも、お名前すら存じていません…それなのに、何故?」
ヴィーアはいつものように不敵な笑みを張り付け、さも当然の事だと言わんばかりに言い放つ。
「早く元気になってリンヒちゃん共々このヴィーア様の女になって貰うからに決まってる!その為に国の王族と持ったコネだって使ってやる、それでも治療薬が出来ねぇなら世界中旅して見付けてきてやる、錬金術師の知り合いだっているぞ、無きゃ作れば良い。だから死なせん。それに、どうせ処女だろ?女の悦びも知らずに死ぬな、分かったか?」
「ヴィーア様……はい、覚えました。例え、叶わぬ夢だとしても、とても、とても嬉しいです。御約束致します、もし、わたくしの病が治り、その時まだわたくしを求めて下さるのなら、貴方様の側室の末席に加わると」
「おう、目的があるのは生きる上で大事だからな!だからちゃんと生きてろ!」
ヴィーアの言葉に、ただ無気力に笑っていただけの瞳に力が宿り、最近リンヒにも見せていなかった本当の笑顔を見せた。
「ところで、リンヒさんは…どうされたのですか?…もしかして」
「あーリンヒちゃんは…ちーっと怪我してな…しばらく来れん。来れんが、リンシアナちゃんを連れていく事は出来る、ちゃんと会えるぞ」
「まぁ!リンヒさん、とってもお強いのに!傷の具合は酷いのですか?どうしましょう、綺麗なお顔に傷などついてしまったら!?今すぐ連れて行って下さいませ!」
「落ち着いてください!」
リンヒが動けない程の怪我をしたと聞いて、居てもたっても居られなくなったリンシアナは寝たきりで衰えた筋肉をフル活用し、ベッドの上でのたうち回りだすのでマリアが慌てて押さえる。
「……申し訳ありません、取り乱しました…感情が昂るのも、最近は全くありませんでした…ので、制御が…」
「大丈夫です、とにかく今は休んで下さい。ここにあと薬が二本あります」
「…はい。いつもリンヒさん、簡単だけど一本手に入れるのが精一杯と言っていたのに…やはり、高価な薬なのでしょうか…?だとしたら、お金はどこから……」
口振りからすると、リンシアナはリンヒが傭兵業をしている事を知らないようだ。
余計な事を言うなとマリアが目配せするが、流石のヴィーアも心得ていて、何とも言え無い顔をマリアに向けた。
例えその身が滅びようとも姉を救いたい気持ちも、その為にどれ程の血でその手を汚したかも、全てを話すのは本人の口からだ。
「リンヒちゃんに会って直接聞け。ババア、リンシアナちゃんを城に連れていく、必要そうな私物を纏めろ」
「…よろしいですかな、リンシアナ様」
「…はい、城へ行ってみようと思います」
「分かりました…、今は亡き御領主であった父上共々、良き領主でした…領民であった事を光栄に思います」
「…お世話になりました、有り難う。ベラ」
その後、村娘が四人呼ばれると手早く荷物を纏められ、地上へと運ばれていった。
地上へ上がり、待機していたスパルタンの馬車へと運ばれているのをヴィーアが眺めていると何を言うわけでも無いが村長の老婆が隣へと並び立つので、ヴィーアが疑問の思ったことを聞く。
「ババアはリンヒちゃんが傭兵やってんの知ってんのか」
「…当たり前だ。手を汚しているのも分かっている、ちゃんと言ってはくれないがね」
「地下に隠したのはなんでだ」
「ダラン教の傭兵になった事を言ってくれたが、どうにもきな臭い。だからしばらく匿ってくれと頼まれた。表向きは、伝染を防ぐ為の隔離と言ってな…信じたか、或いは嘘だと知ってて受け入れたか大人しく地下に行くことを了承した」
「なるほどな…」
「ヴィーアさん、いつでも行けるよ!」
「分かった、今行く!もう用は無ぇあばよババア」
「……あの姉妹を頼んだ」
「ふん、言われんでもそうするわ」
そう言って老婆は頭を下げ、去り行く背中に語り掛けるがヴィーアは振り返らずぶっきらぼうに一人ごちた。




