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無自覚の賛成と民主主義

作者:

衆議院選挙の投票に赴く。私は選挙だの政治だのには滅法暗いので、何に何を書けばいいのかさっぱりわからず、選挙の監理側に命じられる事を忠実に守ろうとし、それでも不安なので、隣の人の行動を極力真似る。フラフラと受付や記載台の間を巡りながら、「多分みんな内心はこんな気持ちでいるのさ」と、自分を慰めていた。

投票用紙を一枚放り込んで安心し、帰ろうとすると「こちらで比例区の用紙をお受け取り下さい」と呼び止められ、赤面した。どうやらもう一枚あるのか。もう一つの記載台がやっと目に入る。今度はなにやら政党名を書くらしい。しかし、投票用紙は何故か二枚渡された。この、名前が既に書かれた用紙は何だろう?「国民審査は、名前の上のマスに×を書く方式になります」と用紙をくれた係りの人は言う。「え、何…審査です?」と間抜けにも聞き返す。「最高裁判官の国民審査です。罷免なさりたい裁判官がおりましたら、この名前の上のマスに×を記入して下さい。任命に賛成であれば未記入で投票して下さい」と、より丁寧に説明をしてくれる。この審査というは全く寝耳に水だった。誰もこんなものがあるなんて教えてくれなかったぞ…と一人ごちる。この裁判官の審査とやらが何なのかは、結構知らない人も多いのだろうな、係員もその説明になんだか慣れた様子であるところを見ると。しかし私なんて、議員の選出に於いてさえどうやって自分の意見を持ったものか見当もつかないというのに、その上に最高裁判官を辞めさせるのさせないのだって⁉いやはや驚いたなあ。面白いイベントがあったものだ。試しにこれ、私がみんな×なんか付けちゃったら、どうするのだろうな…。

そんな暢気な気分でいると、傍らで「棄権します」と聞こえた。「え…」と初老の選挙委員。「棄権します」と同じ調子で、その男は再度言っていた。私の直前に用紙を貰っていた男らしい。

「棄権」という選択肢を私は知らなかった。彼の選択が気になった私は、追いかけて訊ねる。「不躾ながらお尋ねしたいのですが、棄権というのはどういった判断なのですか?白票を投じるのとはどう違いが?」

相手は変わり者だ、と私は緊張したが、彼は意外に穏やかな好人物だった。

「えーと、最高裁の国民審査に採用されているこの投票方式はですね、白票が賛成な訳ですよ。衆院への投票と違って、白票は有効票。つまり国民審査は、最高裁判官を辞めさせない側にバイアスがある訳です。制度的な偏向がね。実際この国民審査で辞めさせられた最高裁判官は一人も居ないという事ですし」

それは悪い事なのか?あまりしょっちゅう権威ある最高裁判官がよく知りもしない大衆の投票行動に左右されるのは良くない事だろう、と彼の話の途中に割り込み反論めいた事を言ってしまった。自分でも何故そういう反応をさしはさんでしまったのか分からない。ただ、彼のこの社会には珍しい独自の意志が不安だったのだろうと思う。

彼の表情は一瞬曇ったが、こう話を続けた。

「あなたは最高裁判官が辞めさせられない方が良いとおっしゃいましたが、私には、それが良い事なのか悪い事なのかも分からないのです。そこにこそ、先ほどの私の『棄権』という判断の理由があります。私は、みだりに辞めさせない方が良いという意見も尊重しますが、それと同時に、特殊な事情を知ったが故に『これこれの判決を下したこの最高裁判官から、司法的権力を取り上げなくては』と考えるに至った人達の意見も尊重したいのです。そして誰がどう見ても、特定の最高裁判官を審査対象のタイミングで辞めさせたいと考える人間は、国民全体から見れば少数派でしょう?現状の仕組みでは、罷免希望票が白票の数を上回った時にだけ罷免が成立するという制度である訳ですが。私は残念ながら、辞めさせる理由を見つける程に最高裁判官についての情報を持っては居ません。そもそも関心自体が薄いです。けれど、関心を持たなければそのまま賛成票になってしまうという現行の選挙制度には、反発を持っているのです。何故なら、恐らく少数の、私よりは知恵と特殊な事情を持つと思われる見知らぬ人々の、私よりは強い筈の意志を、封殺する事になるってしまうから。それらの人々の中には実際に、例えば国家を相手取った少数者の人権に関わる訴訟を経験して涙を飲んだが故にこの審査制度に関心を持つ事になったという人だって、居るのかもしれない。万人が平等に投票権を持つという事は、無関心な人の無自覚な正の一票が、事実に裏付けられた強い自覚と切実さを持つ負の一票と、全く同じ効果を持つという事では、僕はない様に思えるのです。正と負と仮に言ったが、政治においては正負など容易く転倒する。民意なんていつも潜在的なものです。ですから、私は問題に関心を持たぬ者として、適切な意志を示す投票行動をしたい。そう思って、それなりの奇異さは自覚しながらも、『積極的な棄権』という奇妙な行動を選んだ次第です。…すみません、演説が過ぎましたね」

彼は相手に伝わり様の無い長広舌を自ら恥じる様に赤面し、説くのを辞めた。そして身を翻しつつ、最後に零した。

「意志が無いという意志を頑なに表明しなければならないなんて、おかしな世の中ですよね。でも、この行動が現状では私の信じる精一杯の、誠実な民主主義なんです。」

後には、持ち得る政治的意志も無くて、しかし政治的権力のみは戯れに行使した、ちっぽけなこの我が身だけが残っていた。


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