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眼鏡を作りに行っただけなのに、新しい未来が見えるようになった話

作者: 伊織ライ

「ほら、ちゃんと俺の方、見てて」


 いや、なんで、こうなった。



 連日の残業、山積みの処理待ち書類やデータの嵐。怒鳴る上司の声、ひっきりなしに響き渡る電話の音、少し目を離した隙に未読100件! 100件を超えるメール! 通勤時間にスマホでチェックするも、止まない追撃に供給過多だ。

 もう、無理。限界。眠い、とにかく、寝かせて欲しい。


 激務で目が霞む。ひたすら画面を注視し続けたせいで、眼鏡の度が合わなくなったらしい。

 明日は久々の休みだ、寝たい。とにかく、寝たいーーが……この眼鏡のままでは仕事の効率も上がらないだろう。1日休んだらまた、最低でも20日は地獄の毎日が続く。目が霞むせいで、頭が痛む。ギリギリと締め付けられるような、眼球が膨れて爆発しそうなーーああ、もう、仕方がない。明日は眼鏡を直しに行こう。


「こちらにおかけください」


 スラリと背が高く、皺のないスーツがやたら身体にフィットした店員さんだ。オーダーメイドかな。ていうか、足、長っ……。黒縁の眼鏡が似合っていておしゃれ。すっきりと後ろに撫で付けられた黒髪はセクシーだし、あん……指長い……意外にがっしりとした大きな手が堪らない。私は、こういう男の手が、好きなのだ。

 荒んだ毎日、疲れたOLに神のご慈悲。ああ、眼福、眼福。全身を舐め回すように観察する草臥れ女にも、この神の遣わした精巧なる美男子(イケメン)は、口元に浮かべた上品な微笑みを崩さない。


「失礼致します」


 椅子に座った私の前に、すっと片膝をつく美男子。

 えっ、なにこれ、やだ、騎士様? 騎士様なの……? このあと私の手を取って、そっと指先に唇を寄せたり……? えっ、顔に? いきなり?! やだぁ、積極的……でも、好き……。頬に? 手を当てて? そのままそのお綺麗なご尊顔が近付いて来たり……はぁん。


「それでは今お使いの眼鏡を拝見致しますね」


 私の脳内妄想劇場など知りもしない騎士様は、私の眼鏡に手をかけて、それを取り去っていく。

 頬を掠めるその指先がひやりと冷たくて、思わず身体がびくんと揺れた。かっと熱がこもる自分の頬に、指が冷たかったのか? 私が熱かったのか? と、意識するだけで掌にじわりと汗が浮いた。


 ふふ、と、笑い声が聞こえた気がする。脳内であれやこれやさせてしまったことは、バレていないはずだけど。騎士様、とか口から漏れてないよね?


「あ、申し遅れました。私本日の担当、岸と申します」


()()()()!!!」


「ふふふ。様、だなんて付けていただかなくて結構ですよ」


「あ、いや、あの、そうですね! ごめんなさい、余りにもお似合いのお名前でしたので」


「そうですか? 気に入っていただけたなら、光栄です。さあ、少しこちらを向いていただけますか?」


 そう言うと()()()()は、私の頬にそっと手を触れ、挟むようにして正面に向ける。

 眼鏡を外した私の視界は酷くぼんやりとしていて、目の前にいる彼の表情もほとんど見ることは出来ないのだが。


ーー近くないか?


 随分近くに顔がある。これ何の作業だっけ? 目の……なにかしらの調子を見てくれているのか? それにしてもーーーー長くないか?

 お互いの吐息が感じられるようなその距離感と、シンとした時間。どこかにある時計の、カチ、カチという音がやたらに響く。

 頬に添えられた手が、いつの間にかとても熱い。さっきはあんなに、冷たかったのに……。

 居た堪れず、足元に視線を逸らす。勝手に詰めていたらしい息が苦しい、あれ、呼吸って、どうやってしてたんでしたっけ?

 速報、草臥れ女、陸で溺れるーー


「ほら、ちゃんと俺の方、見てて」


 ここは、もう、天国かな……? 過労で、逝ったか? ……川渡った記憶は、ないぞ……




 眩しい光に瞼を開くと、見知らぬ場所に寝かされていて。

 ふと横を見ると、人のようなものが。

 身じろぎをした私に気付いたのか、人影がゆらりと起き上がる。


「あれ、起きた? 俺も……寝ちゃってたか」


「あなたは……騎士さま?」


「ふふ。そう。岸様です」


「一体何がどうなって……?」


「こんなにやつれて、目赤くして。どれだけ無理して働いてたの? 眼鏡直したって、休まなきゃ体調良くならないよ。君が頑張り屋なのは知ってるけど……こうでもしなきゃ、ちゃんと休んでくれないと思ったからさ。ーーあ、ここ、俺の家」


「家?! えっ、……ぅえ?!」


「ふふ。何もしてないからーー()()。君が俺のこと、思い出すまで」


 目の下をそっとなぞるように撫でられて、心臓がどくりと音を立てる。


「まだ……って……え、どこかでお会いしてました?! えっと……えぇ……あんな美男子(イケメン)、一度見たら忘れられなさそうなのに……」


「自分の顔別に好きじゃなかったけど、君が気に入ってくれたなら、まあ親に感謝するか。ーーこれなら、どう? 見える?」


 かき上げて撫で付けられていた髪を、わしゃわしゃとかき乱し、前髪を下ろす。

 瞳を隠すように垂らされたその姿で、鼻と鼻がくっつきそうなほど近くに顔を寄せられる。

 距離の近さに彼から漂う、柑橘のように爽やかな香りに気付きーー


『岸くん、また新しい本読んでるんだ?次のおすすめあったら貸してよ!』


『う、うん。いいよ。……これなんか面白かったから、き、気にいるんじゃーー』


『ぎゃははは! ねえ、まだぁ?! あれ、あんたまた幽霊にちょっかいかけてんのぉ? 呪われるよ!』


『いやいや、岸くんのおすすめ本、ホントに面白いんだって! テストの時に借りた参考書だってめちゃくちゃ分かりやすくて、平均点20も上がったんだから』


『もう幽霊に取り憑かれてんのかよ! 本なんていいから、さっさと行くよ! パン売り切れる!』


 無理やりぐいっと手を引かれ、手にしていた本が床にドサリと落ちた。


『あ、ごめん……岸くんの本落としちゃって』


 慌てて拾おうと屈むと、大きくてがっしりとした指の長い手が重なり。顔を上げると、同じく本を拾おうとした岸くんの顔が、目の前に。


ーー近っ!


(ていうか岸くんの眼鏡分厚いし、前髪で隠れてほとんど見えなかったけど……目、めちゃくちゃ綺麗。しかもなんかーーいい匂いする)


 無意識に岸くんの首元をスン、と嗅いだ私に、顔を真っ赤にした彼が慌てている。


『ご、ご、ごめん。ちゃんと渡さなかったから。返すのは、いつでもいいから……ロッカーにでも、入れておいて。僕といると、その……あんまり良くないから』


『あはは! そんなの気にしないのに! また面白いのあったらよろしくねー!』




「…………返せなかった本、今度持ってきても良い?」


「……まだ取ってあったんだ」


「返すのいつでも良いからって言ってたでしょ。急に、転校して行っちゃうんだもん」


「捨ててもよかったのに。あげたってことにしたって……」


「私、そんな図々しい性格じゃないのよ」


「……だね、知ってた。そういう君だから、ずっと好きだったんだ」


「岸くん……なんで?」


「……転校は、家業の経営不振で急に引っ越さなきゃいけなくなったから。顔を隠してたのは、両親のこと良く思わないライバル会社から狙われたりしてたし……俺の目、よく見ると青が入ってるだろ。クォーターだから、そっちの血なんだろうけど。それを気持ち悪いって言われてから、見えないようにしてた。ーー2年くらい前から、眼鏡の調整に来てる君のことには気付いてたよ。でもいつも疲れてて……隈作って。でも無理にでも笑って、ありがとうって言って帰っていく君を見て、何も変わってないんだなって思ったよ。疎まれてる俺にも変わらず優しくて、頑張り屋で、自分より他人を優先してさ。ーー俺のことなんて、忘れてると思ってたんだ」


「はは、2年気付かなかったなんて間抜けだね。ーーでもこんなに美男子に成長してる方が、卑怯じゃない?!」


「卑怯か、それはごめん。でもそれならーーもっと悪いことしちゃったかも。君は優しいから、許してくれると思うけど」


 そう言って彼が取り出したのは今朝の新聞。



ーー業界激震!若手実業家による下克上買収ーー



「君の勤めてる会社、買っちゃった」


「……え?」


「毎日毎日こんな働き方させてたら、身体もたないでしょ。もうこんなことさせないから、安心して。休みの日は、俺とデートしよ?」


「…………え?」


「君が気に入りそうな本も、たくさん集めてあるから。これからは本読む時間も、いっぱい出来るからね。感想言い合うの、好きだったんだ。あの頃みたいに、またやろう?」


「家業の、経営不振は……?」


「ああ、両親は新しいビジネスを見つける才能はあったけど、飽きっぽくて。運営していくスキルがあまりなかったから。俺が引き継いでからは、順調に回ってるかな。両親は面白そうなものを探して、常にあちこち旅して回っている。あれはほとんど趣味だな」


「……そう、なんだ」


「そう。だから、もう無理して頑張らなくて良いからね」


 おぼろげに見える岸くんは、今どんな顔をしているのかーー見たい、猛烈に、穴が開くほど、見たい。


 眼鏡を探して視線を彷徨わせると、私の両頬を、指の長いその手に包まれて。



「もう、俺のこと、思い出したみたいだからーー良いよね?」


 岸くんの、青が混ざった綺麗な瞳がはっきり見えた時にはもう。

 この執念深く、有能な男の腕の中で、2人が共に生きる未来しか見えなくさせられていたのである。


「ちゃんと俺の方、見てて」

眼鏡屋さんも岸くんの会社。彼女が来る日だけ店頭に出て、こっそり見ていたけれど、とうとう我慢できず……

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