<イリーナ>
夜、バルコニーに出て、月を見るとはなしに眺めていた。キールがヴォルカ城を離れて一週間になる。ジーナに話を聞いた当初は、恥ずかしくて顔を見られない、と思っていたが一週間も会えずにいると、心配な気持ちの方が大きくなっていく。つい、横や後ろを目で探してしまう自分がいる。
キールのことが心配なのは、私だけではなく、家族である公爵や夫人、アキム、ジーナも同じ。だから、重い溜息を彼らの前で吐き出さないように、気をつけていたけれど、その分、一人になると自然と溜息が零れる。
一人で、様子を見に行きたいと思ったけれど、下手に動いてお母様の命に関わったり、キールの足手纏いになりたくはなかった。
鬱々と考え込んでいると、不意に大きな影がバルコニーを飛び越えてきた。ここは二階。翼でもない限りバルコニーに降り立つ事は不可能なはずなのに。思わず後退りした。
「コンバンハ、イリーナ」
懐かしい声。聞き覚えのある少ししわがれた声。目の前に立っているのは灰色の大きな狼。狼姿は見たことがなかったけれど、間違いない。
「こんばんは。イヴァンお祖父様」
「ワカルノカ?」
私が頷くと、お祖父様が笑ったように見えた。
「失礼かもしれませんが、でも、確か、お祖父様は亡くなったと聞いていたけれど……」
お祖父様から聞いた話は、「ゴカイニン」よりも衝撃的だった。
人狼は長い間、魔物と会えずにいると人に戻れなくなってしまうと言うのだ。例えば、お祖母様のように先に亡くなってしまったりとか、遠くに離れ離れになってしまうとか。
キールは、私にルカと暮らしたければ、自分と一緒に国に帰らなくてもいい、と言ってくれた。お祖父様はキールには、全て伝えてあると言った。キールは人に戻れなくなる事を覚悟した上で、私に選択肢をくれたのだ。
私はお祖父様に、どのくらいの期間会わずにいると、人の姿に戻れなくなるのか尋ねた。
お祖父様は、首を傾げた。期間ははっきりはわからないと。一週間くらいなら問題はなかろうと、笑われた。けれど、もし長引くようなら?
「お祖父様、キールに会いに城に行ってきます。一緒に戻ってくることができなくても、ちょっとでも会えれば、人に戻れなくなる事はないのですよね?」
お祖父様は頷いた。
「一緒ニ行コウ。イリーナ、小サクナレルカナ? ヤッタコトガナイ? ソレナラ、今夜ハ小サクナル訓練ヲシテ、明日行コウ」
「何故ですの?」
「モウ、年ナノデ、ソノ大キサノ、オ前ヲ乗セテ走ルノハ無理ダ」
「そんなに、重くないと思うのですが……」
お祖父様は首を横に振っている。無理だと言うのであれば、訓練をしてから行くより他なかった。小さくなれなければ、一緒に行く事はできない。お祖母様は出来たと言うのだから、頑張るしかない。
「フェオドラノ不在ト、オ前ガ城ヲ空ケテイルセイデ、隣国ノ兵士ガ国境ニ近ヅイテイルトイウ話ダ。一刻ヲ争ウカラ、今日中ニデキル様ニナラナクテハ、イケナイナ」
キールの訓練の方が優しいと思えるほど、お祖父様の訓練は厳しかった……。考えてみれば、キールはお祖父様から特訓を受けていたのだ。だから、あんなに最初の訓練は厳しかったのだ……。しかも、明日までに出来る様にならなくてはならない……。




