<イリーナ>
アキムが東洋から仕入れた緑茶と、溶き卵と小麦粉から出来たお菓子を持って部屋を訪れた。
次期当主自ら緑茶をティーカップに注いで前に置いてくれる。緑茶から立ち上る湯気と、王城のヴォルコフの部屋を訪れる度に食べた懐かしい淡い黄色のお菓子を見て、ここに来るまでの事が夢だったのではないかと思えた。けれど、ここは王城ではなく、目の前にいるのはキールではなく弟のアキム。
「アキム、キールはすぐに帰ってくると思う?」
「大丈夫ですよ。兄さんは、姫がいるここへ、すぐにでも戻って来たいと思っている筈ですから。すぐに片をつけて戻って来ますよ」
「戻ったら、大事な話があると言っていたのだけれど……」
思わず、キールの真剣な眼差しを思い出し頬が赤くなった為、俯いた。何も答えが返ってこないので視線を上げてみると、アキムが心配そうに見ている。式の話だとばかり思い込んでいたが、違う話なのかも知れない。
「アキムはなんの話か知っているの」
「兄さんが、帰ったら話すと言っていたのであれば、私からは話せません」
アキムはそう言うと視線を逸らせた。どうやら、あまり良い話ではなさそう。
「私もお母様を探しに城にいった方が良いかしら」
「絶対にやめて下さい。姫が捕まりでもしたら、『何故止めなかった』と、私が兄さんに食い殺されてしまいます」
「それはないでしょう?」
「いや、やりかねません……足か腕の一本や二本無くなってしまうかもしれません」
空いている時間に、一人で力をコントロールする訓練をした。試しに、昼間に鶏や豚を絞める所に立ち会ったが、血の匂いに酔って変化してしまう事はなかった。人の血の匂いが引き金となることが分かった。
キールのいない間に勉強を再開した。
本を読むだけではなく、アキムやマルティンに頼んで、普段穏やかだが氾濫しやすい川や、治水工事をしている場所や、開拓中の田畑などに連れて行ってもらった。地下にいた為、実際に見たことがなかった。
背の高い浮き草が揺れる広い場所があった。どうして、ここを開拓しないのか尋ねると、「底なし沼だから」との事だった。
戦禍を逃れて来た人々や重税に苦しむ人々が開墾している土地は、既に小麦が実っている。今年が、移住して初めての収穫だと嬉しそうにしている人たちもいた。
「この国は、戰が殆どないから移住して来て良かった。女王様のおかげだ」と口々に言っているのが耳に入った。
不意に視線を感じて振り返ると、黒に近い灰色の大きな生き物が遠くからこちらをじっとを窺っているのが見えた。マルティンに知らせようとした途端に、消えてしまった。




