<キール>
退散間際、アキムがこっそり聞いてきた。「兄さん、ちゃんと姫に気持ちを口に出して伝えている?」と。
「お互い、気持ちは分かり合っている」と答えると、「浮名を流していた頃とは大違いだね」と嫌味を言われた。「そんなだから、ルカに横から持っていかれたんだよ」と。「そんな」とはどんなだ?
結局、イリーナの頼みを断りきれずに、もふもふで添い寝をしてしまった。いい加減やめなくてはと思うのだが、上目遣いで頼まれると、断れない。その上、実家に戻り気が緩んだのか、またしても朝方、人型に戻ってしまった。
イリーナはよほど疲れていたのか、真後ろでくしゃみをしても、全く気がついていないのが救いだが。
フェオドラ様以外は誰も、二人の間には何もないなどとは信じないだろう、きっと。
父から、有難い事に一日くらいは休養が必要だろうと言われ、明日ツアーモック城に様子を見にいくことにした。
ツアーモック城の様子がわからない今、これはただの仮初の平和。貴重な穏やかな時間だ。あぁ、平和すぎて退屈してみたい……。思わず、溜息をついてしまったのは、そんな理由だけではなかった。
美しく着飾ったイリーナが現れたからだ。淡い空色のドレスを着て、短くなった髪も上手く整えられ、美しく結い上げてある。着飾らなくても、充分妖精のように美しいが、着飾った姿はこの世のものでは無いような、手を触れてはいけないような美しさだった。
思わず見惚れていると、気づいたイリーナが頬を染めた。こんな日が永遠に続きます様に。
「ジーナのドレスを借りたの」
妹のジーナがそんなドレスを着ていたかどうか覚えていなかったし、妹よりも似合う、とは言わなかった。妹が可愛くないとは言わないが、比べること自体、間違っている。何か気の利いたことを言おうとしたが、急にそんなことを言ったら、変に思われないだろうかと気恥ずかしくなり、
「瞳の色に映えるね」
と言うのが精一杯だった。地下にいた時までは、いくらでも言えていたのに。あの時は、イリーナの気持ちを明るくしようと一生懸命だったというのもある。
薔薇が咲き誇る庭園の亭で、二人でお茶を飲む。イリーナが地下牢から出て以来、こんなに静かな時間を過ごした事は無かった。
あまりにも、置かれている状況と今の静けさが現実離れしているようで、座って暫く、何を話したら良いのかわからなくなってしまった。気持ちが浮ついている。今までこう言う時は何を話していたか、全く思い出せない。仕方なく、浪漫の欠片もない父から聞いた話をし始める。
「できれば、こんな無粋な話はしたくないが、フェオドラ様は姿を表さず、ソフィア姫を支持しているバーベリ侯爵がソフィアと共に、フェオドラ様の代わりを務めているそうだ。城門はバーベリ侯爵の兵が守っていて、ヴォルコフ一族は城内に入れない」
「クーデターなの?」
「今の所、クーデターではないと父が言っていた。クーデターとなれば、他の大臣たちは黙っていない。城の中に入って様子を探るしかない」
睫毛を震わせて瞳を曇らせたイリーナも、また美しい。
「近衛隊で、無理に城門を突破する方法もあるが、万が一フェオドラ様が人質になっていたら、困るしね。例外として、私はバーベリーに呼び出されているようだから、明日ちょっと様子を見に行ってくる」
なるべく、何でもないことの様に言って、机の上に置かれた華奢な手を壊さないようにそっと手を重ねた。
「万が一、キールが帰れなくなったら、私、迎えに行くから」
「有難う。そうならないように、祈るよ」
少し前なら、「兄様、行かないで」と泣きついてきた事だろう。ほんの少し寂しくもあるが、成長したものだ。
泣き虫で一見華奢ではあるが、イリーナはソフィアと違い乗馬も剣も十四歳になるまで訓練していた。
次期女王が先頭に立って戦場を駆け回ることはないと思いたいが、万が一、戦争になった時を考えて、一通り仕込まれている。小さい国は、いつ、どこの国に攻め込まれるか分からないからだ。だからこそ、周りの国の動向を知り、常に事前に手を打たなければならなかった。
明日に備えて、早めに眠ろうとすると、控えめに扉をノックする音が聞こえた。扉を開けると、ブルーのナイトガウンの下から真っ白な亜麻布が覗かせたイリーナが立っていた。
「キール、眠れないの……」
「眠れなくても、自分の部屋で」
と言っている間にするりと部屋に入ってきた。イリーナは着ていたナイトガウンを椅子の背にかけて振り向いた。やけに薄い亜麻布からイリーナの真っ白な身体がうっすらと透けて見える。
「キール……」
イリーナが長い睫毛を伏せて、一歩近づいた。




