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<イリーナ>

 キールに触れられた時は、唇が自然に蕾が綻ぶ様に開いてしまったが、同じ様にルカに触れられると反射的に固く結んでしまった。軽く頭を振って、ルカの指先から逃れた。


ルカが構わず手を引き、抱き寄せようとした。


「離して!」


「嫌だ。君にはもう帰るところも、待っている人もいない。君の婚約者は君を見つけることは出来ない。だから、ここで一緒に暮らそう」


キールが仔狼となって追いかけて来てくれなければ、ルカの話を信じて、キールは待っていてくれっこないと思い詰めてしまったかも知れない。でも、キールは私を探し出し、ずっと側に寄り添っていてくれた。キールじゃなければ私の気持ちは分からない……。他の人に触れられたくない。


 思わず、ルカを突き飛ばしてしまった。腕力ではルカから逃れることすらできない筈なのに、ルカがあっけなくベッドから転がり落ちた。


 伸ばした自分の腕を見た。真っ黒な羽毛に包まれた鉤爪。思わず突き飛ばしてしまったけれど、大丈夫かしら……。

私は立ち上がって、部屋の鍵をかけ、ルカの前に立った。


「ルカ、夜になれば私は魔物になるの。指輪がなければ、とっくにあなたを殺してしまっていたでしょう。ルカは、何度も私に『自由になれる』と言っていたけれど、自由なんて何処にもなかった。この居館から出ることも出来ないし、ラドミラや王から隠れるように暮らさなければいけないなら、地下牢と対して変わらない。だから、私はここを出て石を取り戻して、自分の国に帰る」


ルカは私の言ったことを聞いていない様だった。見ると震え上がっている。

魔物になった時の大きさはルカよりも、キールよりもはるかに大きい。嘴は鋭く、研ぎ澄まされた鉤爪は今にもルカを切り裂きそうに見えるだろう。魔物の口から私の声が聞こえてくる事に不思議そうな顔をしていた。


ルカは私が、ここに住み着くと言い出さない事に、ホッとしている様に見えた。それと同時に、手ひどく裏切られた様な表情をしていた。自分は何の為にこんな魔物に時間と労力を費やしてしまったのだろうと思っているのかもしれない。


「イリーナは、やっぱり魔物だったんだ……。魔物には何処にも行く所などないし、国にも帰れないよね? 君の『兄様』は、君を探したかい? イリーナは僕と駆け落ちした事になっているから、『兄様』は君を探さないさ」


「兄様はもうとっくに、私を見つけているわ。それに……」


「『兄様』はいつ、どうやって、君を見つけたんだ? ラドミラの新しい男のこと? 『兄様』は君の正体を知っているのか?」


キールが狼である事は、私が魔物である事と同じく、直系の後継にしか伝えてはならない。魔物が国を統べるという事も、オルロフ家とヴォルコフ家のみが知っている国家機密。口にしてはいけない。


「とにかく、私は早々に出ていくから安心して。その代わり、私の邪魔をしないでね。何処にいようとも、あなたが秘密を漏らせば、あなたを消しに来る事を忘れないで。なんとしても石を取り戻さなければならない」


 ルカは強がっていたが、私を見る目は明らかに怯えていた。ルカは普通の人だから、魔物を受け入れられない事は、分かっていた。

 もしかしたら分かってくれるかもしれない、と言う淡い気持ちもあった。私を探し出して、指輪を届けて来れた。そんなルカなら、怖がらないかもしれないと少しだけ期待していた。

 けれど、予想通り、ルカから向けられた眼差しは恐怖だった。

 私は魔物。これは、御伽話ではないのだ。


 人が憎いわけでも、食糧だと思っているわけでもないのに、人を襲ってしまう魔物。自分は人だと思っているのに、ことあるごとに、人ではないと弾かれてしまう魔物。それでも、人の中に生まれ育ってきた為、人の中でしか生きていかれない。分かってくれるキールに側にいて欲しいと、強く思った。

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