<ルカ>
意識の遠くの方で誰かが名前を呼んでいる。水中から水面に浮かび上がる様に、徐々に声が近くなり周りが見え始めた。ぼやけていた視点の先に、イリーナと母さんが心配そうにベッドの横に座っているのが分かった。自分の部屋の中だった。
「気分はどう、ルカ?」
「あれ? どうして、部屋の中に?」
「あなたが突然倒れた、とイリーナさんが呼びに来たのよ。下男二人に運ばせたの」
「あ、心配しないで、ワインはちゃんと選んだわ」
「イリーナさんのワイン選びの目は確かなようね」
この二人、何を呑気な事を言っているんだろう?
「地下室から……」
言いかけて、母さんの他にも、部屋の中に人がいることに気がついた。
「少しだけ、イリーナと二人にしてくれない?」
母さんは「はいはい」と返事をして、下男を連れて部屋から出て行った。
「どう言う事?」
「なんの話?」
イリーナはキョトンとしている。起きあがろうとしたところを、やんわりと止められる。
「頭を打ったみたいだから、急に動かない方がいいわ」
「地下室に一緒に行った下男はどうなった?」
「下男? 最初から、ルカと私の二人で行ったのよ? 覚えていないの? 地下でワインの瓶を抱えて眠っていた下男はいたけれど」
「でも、見たんだ。地下室から出て来る魔物を……」
「ルカ? 幻でもみたの?」
「指輪を外して、母さんからさっきのワインを受け取って来て」
イリーナは首を横に振った。
「嫌よ……ルカが心配だから、ここにいる。それにこの指輪は祖母の形見。片時も離してはいけないと言われているの」
信じたかった。イリーナが魔物でない事も、心配してくれている事も。
「もう一度、一緒に地下室に行こう」
「今は無理よ。明日にしましょう。それに、地下は地下牢を思い出すから、あまり行きたくないの。ルカなら分かってくれるでしょう?」
イリーナの菫色の瞳に真っ直ぐに見つめられた途端に、得体の知れない目眩に襲われた。その目を見ているうちに、イリーナの言っていることが正しいような気がして来た。イリーナは不意に目を逸らすと、俯いた。
罪悪感に駆られた。こんな妖精みたいな彼女を魔物扱いした上に、閉じ込められていた事を思い出させてしまう地下室に連れて行ってしまうなんて……。僕はなんて最低な奴なんだ。地下に連れて行ってしまった事を心から悔やんだ。
「地下室なんかに連れて行ってしまって、ごめん」
僕は、またしても、イリーナに嫌われる行動をとってしまったようだ。そう思うと、気持ちを伝えたくて、しょうがなくなった。どうしたら分かってくれるのだろう? 恐る恐る、イリーナの頬に手を触れた。イリーナは俯いたまま動かない。指先で唇に触れると、びくっと震えた。




