<ルカ>
はぐれない様にイリーナの手を引いて歩いた。触れたイリーナの手は思っていたよりもすべすべして、柔らかく、いつまでも握っていたくなった。明るく、騒々しい市場の中でしっかりと繋ないだ滑らかな手の持ち主が、魔物なんかであるはずがない。フードの下に隠れてはいるが、日を受ければ輝く銀の髪と澄み切った菫色の瞳のイリーナは、どう見ても妖精だ。
時間が経つに連れ、イリーナを魔物だと思ったことは、ただの夢の中で起こった出来事の様な気がしてきた。フリードマンは今も、きっと何処かで僕たちを探しているだろう。
(この先も、ずっとイリーナと一緒にいたい)
握る手に力を込めたが、イリーナはあちこち覗くのに忙しくて、気がついていない様だった。市場の無造作に積んである野菜や、色とりどりの花々、生きたままの牛や鶏や羊、揚げたての香ばしい香りのする食べ物、宝飾品、服。彼女の見つめる先にある物よりも、彼女を見つめ続けていたけれど、全く気づいていない様だった。
「特別に欲しいものは無いけれど、沢山並んで誰かに買われるのを待っている商品たちを見ていると、なんだか浮き浮きしてくるわね」
「どんな素敵な商品よりも、イリーナの方が素敵だよ」
「ルカは、何でも褒めようとするのね」
欲しい物があれば言って、と伝えたが、イリーナは見ているだけで楽しいらしい。見ているだけで楽しい、と言うイリーナの気持ちが分からなかった。わからなかったが、彼女が喜んでくれるのであれば、イリーナが目に留めた物は全て買ってあげたいと思った。
自分がしてあげたことで彼女の喜びが大きくなるのであれば、しないでいる事なんて不可能だ。そうは思っても、残念ながら僕が買うことの出来るものは、そんなに多くはない。
イリーナのもう片方のエメラルドを売れば、相当なお金になるに違いない。けれど、あれは彼女のものだ。
「向こうから、良い匂いがする!」
イリーナの指した焼き菓子を買って手渡した。甘くて、干した果物が詰まっている焼き菓子だ。「有難う」と言って笑顔になった彼女。嬉しくて、今、彼女を笑顔にさせたのこの僕だと、大声で叫びたくなった。
「食べながら歩くなんて見つかったら、お母様に怒られそう」
イリーナは言った瞬間、その母を暗殺しようとしたのが僕だと思い出したらしい。
「ルカ、何故、お母様を? 前に言っていたけれど、ボリスと何か関係があるの? もしかして、お母様がボリスを殺すよう命じたと思っていたの?」
「他に父さんを殺そうとする人なんていないじゃないか……」
フェオドラ暗殺をトロフィム王に依頼された事は言えなかった。
「お父さんを殺されたと思ったから、お母様を殺そうと思ったのね……。でも、それは間違いだわ。ルカとボリスが城を去った後、暫くしてから追手の兵士が戻ってきてお母様に『逃げられました』と報告していたのを覚えているもの。だから、ルカのお父さんを殺したのは、我が国の兵士ではないわ」
じゃあ、父さんを殺したのは一体誰で、なんの為に殺したんだ? イリーナの言う事が正しいとすれば、僕はなんと言うことをしてしまったのだろう。いくらトロフィム王に依頼されたとはいえ、勘違いでイリーナのお母さんを暗殺してしまうなんて……。違うとわかっていたら、フェオドラ暗殺を引き受けることはなかったのに……。トロフィムは僕の復讐心を利用したのだ。
僕の使った毒で死なないはずはない。だが、イリーナは自分の母が死んだとは思っていない様だった。目の前で、見ていないせいかもしれない。イリーナが望むなら、石を返した後、フェオドラがまだ生きていればだけれど、罪滅ぼしに治療をしに行こう。
空を見上げると、太陽が頭上に射しかかり、市場の屋台が混み始めた。
「イリーナ、このまま僕と一緒に行こう。このままだと、トロフィム王のところへ連れて行かれてしまう」
「石は?」
「デルベルグ城には無い。だから、一緒に石が隠してある場所へ行こう」
「キールを呼んでこなくては……」
僕は賭けに出ることにした。
「拾った犬なんて、どうでもいいじゃないか。それに、宿屋へ戻ったら外には出られない。そのまま明日にはデルベルグ城に連れて行かれてしまうよ。石を取り戻したいのなら、今すぐ、僕と一緒に行くしかないよ。犬を連れに宿屋に戻るなら、残念ながらここでお別れだね」




