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<ルカ>

 やっと、国境を越えた為、街道に戻る事ができた。今夜からは野犬に怯えることなく、宿屋に泊まる事ができる。イリーナが心配すると嫌だから言わなかったが、実を言えば、野宿は今回が初めてで、一人で旅をする時も街道を歩き、宿屋に泊まっていた。だから、街道に戻れた事にホッとした。

 

 グスターフが配慮して、イリーナだけ鍵のかかる部屋をとった。イリーナには部屋の中にいる時以外は、ずっとフードを下ろしているように頼んだ。彼女の美しさは、人目を惹きすぎる。


 一眼見てしまった男たちは、たいてい、部屋を間違えたと言って扉を開けようとし、鍵がかかっている事に舌打ちしたり、無理矢理イリーナの部屋の扉をこじ開けようとしたりした。

挙げ句の果てには、どこかの金持ち商人から、大金を積まれ、イリーナを売ってくれと頼まれた。もちろん、彼女は売り物ではない、とキッパリ断った。馬に乗せていても、一瞬の隙をついて、馬ごと連れて行かれそうになる。


 一人では、イリーナを守りながら旅する事が出来ないと痛感した。野犬も怖いけれど、人の方が怖い。雑魚寝の部屋で寝ていると、たまに隣に潜り込んでくる不届き者がいた。だから、僕もいつもできるだけ、フードを下ろして歩いている。


 グスターフは、城までの道のりを急いでいる。山の中よりも、街の中の方が、イリーナを連れて旅するのは大変だった。歩かせるとイリーナは珍しそうに、キョロキョロし、市場では度々足を止めてしまう。だから、馬に乗せ三人で周りを囲んで進んだ。そうでもしなければ、いつまで経っても目的地に辿り着かない。


「ルカ、市場は美味しいものを食べられる場所ではないの? さっきからいい匂いがするのに……」


イリーナは不満そうだ。


「今は、先を急いでいるから……」


「ルカは私を自由にする、と言ったけれど、市場の前を通っても自由に見ることも出来ないなんて。これが、ルカの言う自由なの?」


答えられずにいると、気のせいか生意気なイリーナの犬がニヤニヤ笑っているように見える。きっと、気のせいだろう。真っ黒で、目だけが金色に光っている。フリードマンが疑ったように、狼なんじゃないかと思った。


地下にいた時の方が自由だったと、イリーナは言った。イリーナは地下にいた魔物だ。

けれど、街の中を歩いていると、あの廃墟の教会の草叢で見た光景は、夢だったのではないかと、言う気がしてきた。

フリードマンの死体を見たわけでもない。後でよく見たが、イリーナのスカートに血がついていると思ったのは気のせいで、泥汚れだった。薄暗い月明かりが見せた悪夢。色々な不安から見た夢だったのかもしれない。


「イリーナが魔物だとしたら、どうする?」 自分に問いかけたが、答えはわからなかった。人が魔物になるはずはなく、ましてや、彼女は王女。魔物の王女なんて聞いたこともない。



 僕は、イリーナを連れて逃げようと思った。けれど今は、大人しく王の城近くまであの二人と旅をする他ない。街の中に入って、人混みに紛れてしまえば、なんとかなるかもしれない。チャンスを待つしかない。


犬は他の人間が近づかない様に、よく見張っていた。けれどそのせいで、僕もイリーナに近づけない。僕がイリーナに何かするとでも思っているのだろうか。



 アーダムは妹を思い出すと言っては、市場でイリーナが「あれは何?」と聞くものを買ってきたり、いかにも女の子の好きそうなお菓子などを見つけてきては、さっと行って買って来て、イリーナを喜ばせた。

グスターフに、「妹を思い出すって、お前の妹、お姫さんほど別嬪なのか?」と揶揄われ、「俺にとっては、世界で一番、いや、二番目くらいに可愛いんだ」と胸を張って答えていた。


 おかげで、一時期痩せ細ってしまっていたイリーナの体重は、元に戻ったようだ。グスターフも、毎回宿屋ではイリーナに個室を用意し、宿屋の食事にも気を配っている。彼なりにイリーナが少しでも穏やかに過ごせるように、気を使っているのがわかる。イリーナの近くにいると、何かをしてあげたくなってしまうようだった。


 

 デルベルグ城まで、あと二日ばかり。朝食の後、こっそり、イリーナの部屋の扉をノックした。

イリーナはすぐに扉を開けてくれた。真っ黒な犬がイリーナのベッドの上で、うとうとしている。犬ならば、床で寝ればいいものを……。イリーナと一緒に眠るなんて生意気な犬だ。不吉な犬を起こさない様に、市場を見に行こうと誘ってみた。


「眠っているから、起こすのは可哀想だし。少しの間なら、キールがいなくても大丈夫かしら」


イリーナは犬をまるで忠実な家臣か、伴侶の様に気遣った為、余計に置いていかなくてはと思った。

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