<イリーナ>
「私を置いて死なないで……」
キールは薄く目を開けると、
「静かに……」
と言って私の手に血まみれ頭を擦り付け、再び目を閉じた。
アーダムの荷物から、こっそり飲水と軟膏を取り出した。飲水でそっとキールを洗った。キールは痛がりもせず、目を閉じたままじっとしている。
どこにも、怪我は見つからなかった。四肢も折れている様子は無かった。血は全て野犬の血だった。嬉しくて、ホッとして涙が溢れた。私は涙を拭いなから、軟膏を元に戻し、屏風岩の影に戻った。キールを膝の上に乗せ、岩に寄りかかって眠った。
肩が重くてふと目を覚ますと、キールが私の肩に頭をもたせかけて毛布を分け合うように、人型に戻って寝ている。慌てて、そっと、肩を揺さぶった。
「もう少し、寝させて……」
「人型に戻っていますよ。風邪をひいてしまいますよ」
耳元に囁いて、もらった毛布を全てかけてあげると、寝ぼけているのかキールは何かむにゃむにゃ言っている。
「……姫のために命をかけた騎士に、気持ちをお示しください……」
よく読んでもらった物語の中の台詞だった。物語の中の姫は確か……。そっと、恐る恐る口付けすると、キールは、
「有難き幸せ」
と目を開き嬉しそうな笑顔を見せて、仔狼に戻った。
「起きていたのね! キールの馬鹿!」
人型であれば、遠慮なく叩けるけれど、仔狼相手にぼかすか叩く訳にいかず、仕方なく、あげた手を下ろした。
翌朝。
「お姫さんは見ない方がいい」
「こりゃ、ひでぇな……」
「昨日の狼は化け物だな……」
出発の時に、アーダムに言われたが、馬上からしっかり見てしまった。焚き火の周りには木に叩きつけられたり、体半分を食いちぎられたりした十何頭もの無惨な姿の野犬の死骸が転がっていた。
それを行なった当の本人は、可愛らしい小狼の姿で私に抱えられて、気持ちよさそうに寝息を立てている。
キールも人型でなくなれば、どんな残忍なことでも出来てしまうのだと言う事に改めて気がついた。
世界の中で異形で、無意識に人を襲うの生き物は自分一人など考えただけで、心が潰れてしまいそうだった。自分だけが異形のもので、残忍な事をする生き物では無いと、身をもって証明してくれるキールの存在は、暗闇の中の灯火。コントロールできる様になれば、キールのように人を助けることもできるし、人を襲わずに済む。そして、その訓練に付き合えるキールは唯一の仲間だった。
だからこそ、二人は幼い頃からいつも一緒にいるのが当たり前に育てられたのだと、わかる。仲間としての信頼がなければ、生涯を共にすることなどできない。
キールはどう思っているのだろう?




