<イリーナ>
開けっ放しだった扉の入り口に、お姉様が立っていた。
「イリーナ、こんな場所で……何をしているの? キールと婚約したばかりなのに!」
「お姉様、待って!」
お姉様は身を翻して、走り去った。私はルカを押しのけて、お姉様を追いかけようとした。しかし、地下牢の敷居を跨ぐことが出来なかった。足が、吸い付いた様にそこから一歩も踏み出せない。後ろから来たルカに抱きすくめられた。
「ルカ、離して!」
ルカは私よりほんの少し背が高いだけなのに、もがいてもルカの腕から逃れられなかった。それでも必死でもがいた。何人かの足音が聞こえて来た。母様とお姉様と近衛隊の副隊長のドナートが駆け込んで来た。
後々のことを考えて、キールの従兄弟のドナートだけを呼んだのかもしれない。ルカは呆気なくドナートに組み伏せられた。
「イリーナ姫、お怪我はありませんか? 隊長のいない間に姫に何かあったら、我々はどうしたら良いのか……それより、隊長がどうかなってしまうかも……」
私はホッとして、ヘナヘナと座り込んでしまった。ドナートは優しく、しかし幾分オロオロと問いかけてきたが、ルカには聞いた事もない様な凄みのある声を出した。
「姫に二度と手を触れるな! イリーナ様は隊長のそれはそれは大切な、大切な方だ。姫に万が一のことがあったら……」
それ以上何か言おうとするドナートをお母様が押し留めた。
「イリーナ、何をしていたのです? ソフィアの話とは少し違う様ですが、ソフィアの勘違いですか?」
私が口を開くよりも先に、ルカが口を開いた。
「もう一つの石のありかを話します。これでは話せないから、起き上がらせて下さい」
お母様が、ドナートに目で合図をして起き上がらせた。ルカは立ち上がって、服の埃を払った様に見えた刹那に、お母様の太腿に短剣を突き立てていた。
「父さんの仇!」
「お母様!!」
私とソフィアが同時に叫んだ。
「ドナート、止血するための何か布を。二人とも、急所は外れているから大丈夫です」
刺した本人であるルカは、それ以上動く気配がなかった。ドナートが止血をする布を渡すと、お母様は傷口より上を縛り、自ら刺さっている短剣を引き抜いた。血が飛び散った。血の匂いを嗅いだ瞬間に、私の体の中の血がマグマの様に暴れ出し始めた。
血の匂い……。お姉様や他の者たちがいるここで魔物に変わるわけにはいかない。兄様もいない。
「ルカとやら、何が望みです? 私はボリスを殺していません。捕らえるようには言いましたが、結局、捕える事ができませんでした。もし、ボリスが殺されたのであれば、それは、別の者がやった事」
「嘘だ! 他に父さんを殺す人なんて……」
「ルカ、酷いわ! なぜお母様を……」
ルカは別人の様に冷たい視線をお母様に向けて言い放った。
「その短剣には毒が塗ってある。遅効性だから、すぐには死なないけどね」
弾かれたように、ドナートが侍医を呼びに走って行った。ルカが私の手を掴んだ。お母様は真っ青になったまま、立ちはだかった。
ルカはどこに隠し持っていたのか、もう一本の短剣を私に突きつけた。




