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<ルカ>

 日が沈む頃、地下の入り口あたりから声が聞こえてきた。


「兄様、足が痛い……」


「久しぶりに長時間、踊ったからだよ」


 イリーナを軽々と抱え上げた婚約者の声が、詰所の方へ近づいてくる。二人はまさしく物語の中のお姫様と王子様と言った感じに見えた。僕にはイリーナを軽々抱き上げることは出来ない。身長がイリーナとあまり変わらないからだ。


「フェオドラ様からお許しが出るまでは、夜の間だけ我慢して、ここで過ごす事になるけれど、もうしばらくの辛抱だから」


婚約者がイリーナを宥めるように、話しているのが聞こえた。イリーナは泣いている様だった。鼻を啜る音が微かに聞こえる。婚約者が彼女の涙を唇で吸い取っているのが見えた。胸が苦しくなった。イリーナは婚約者の首に腕を回し、顔を埋めて、泣いていた。僕だったら、きっともっと上手にイリーナを慰めることが出来る。そんな気がした。


「お願い、今夜も一緒にいて」


「イリーナ、淑女はそういう事を言わないよ」


「兄様がダメと言うなら、ルカに言うから」


僕は、思わず、息を呑んだ。イリーナに言われたら、喜んでそばにいるだろう。婚約者の代わりでも構わない。婚約者の男が言い聞かせる様にイリーナに言っているのが聞こえた。


「イリーナ、そう言うことを言ってはいけないよ。イリーナが望むなら、毎晩でも一緒にいるから」


地下室の扉が軋んで音を立てて閉まった。眠れなかった。



 翌日から、食事を運ぶ必要が無くなった。朝一番に、二人は地下を出て、夕方まで、戻らなくなったからだ。僕の役目は掃除をする事だけとなった。夜になると、二人が仲良く地下に戻ってくる。そして、翌朝、二人揃って、地下を出て行く。



 イリーナは僕を待っていたのではなく、指輪を待っていたのだろうか。

一目だけでも初恋の彼女に会いたくて、ここまで来た。指輪を返すといえば、あわよくばお目通りが叶うと思っていた。彼女は普通であれば、手の届かない世界に住む王女様だから。

しかし、思いもかけず彼女は地下に軟禁されていた。イリーナが地下に閉じ込められていたことで、僕は手が届くかもしれないと、錯覚してしまった。



 翌朝、婚約者の男が来た。


「もう一つの石のありかを教えてくれないか。素直に教えてくれれば、多分、褒美が出るし、無事に城の外に出られる様にしよう」


「教えなければ、拷問か?」


「そういう事になるかもしれないな」


「直接、女王になら伝えてもいい。あの指輪はそんなに大事なものなのか?」


「王家の宝だ。それを城から持ち出したという事だけでも、お前は罪人になる。石のありかを教えれば、無罪放免になるようにしてやろう。女王陛下でなければ駄目なのか?」


「交渉したい」


「何を?」


「お前には言えない」


男は黙って、詰所から出て行った。それから、何日か男は地下に姿を見せなかった。男が来なくなると、イリーナが地上へ行くことは無くなった。イリーナは寂しがっているだろうか? 



 声をかけて、朝食を小さい扉から差し入れ、試しに大きい扉をちょっと押してみた。鍵がかかっていなかった。扉が軋んで音を立てた。


「兄様?」


イリーナの返事にちょっとたじろいだ。しかし、もう扉を開けてしまった。婚約者が一週間程、戻ってこない事は知っていた。


「おはよう、ルカだよ」


遠慮がちに声をかけた。


「入ってこないで!」


イリーナの泣いた後の様な声に、重い扉を押す手を止めた。突然の拒否に、


「食事を持って来たので、ここに置いておくから」


と早々に立ち去ろうとした。


「まだ支度が終わっていないから、少し待っていて」


暫くして、「どうぞ」という声がした。僕は持参した自分の朝食を見せて聞いた。


「一緒に、食べてもいい?」


イリーナの顔には涙の跡が見えた。気になったが、もし婚約者の不在が涙の原因であったらと考えると、聞く事ができなかった。婚約者についての話など聞かされたくなかった。


「随分、質素な食事……」


イリーナの朝食はパン、野菜と腸詰肉のスープ、ミルク、果物。それに比べルト自分の朝食は、パンとチーズと野菜のスープだけだった。イリーナは自分の食事を分けてくれた。



 婚約者が五日ほど顔を見せない為、イリーナは寂しかったのだろう。今日はこの間のような華やかなドレスではなく、くすんだライラック色の地味なドレスを着ていた。けれど、例えボロを纏っていても彼女の輝く様な美しさは変わらない。そんな美しい彼女が、僕の目の前にいて微笑みかけてくれる。僕は賛辞を惜しまなかった。イリーナは恥ずかしそうに俯いた。


彼女は僕にここまで来る旅の話をせがんだ。問われるままに、市場の様子や、街道沿いの宿の話をした。城の外に出たことがないのか、イリーナはまるで御伽噺を聞く子供のように目を輝かせて話を聞いてくれる。

気づくと、昼食を運ぶ時間だった。慌てて、昼食を取りに行き、またイリーナのところへ戻った。引き止められた上に、彼女が聞いてくれる事が嬉しくて、余計に話に熱が入ってしまう。


「私も城の外へ出てみたいな」


 僕はイリーナを城の外へ連れ出そうと、決心した。イリーナは城の中に閉じ込められて、不幸なのかもしれない。イリーナは自由では無い。イリーナを自由にしてあげたら、最初は少し戸惑うかもしれないけれど、きっと喜んでくれるだろう。決められた婚約者からも自由にしてあげよう。

きっと、婚約者なんて親が勝手に決めたものに決まっている。婚約者の方は、イリーナに惹かれているようだが、イリーナは違うに違いない。小さい頃から許婚だと言われ続けている為、彼と一緒に過ごすことは当たり前だと思い込んでいるだけに違いない。離れてみれば、きっと目が覚めるに違いない。


「僕が城の外へ連れ出してあげる」

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