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09 彼女のために

 六月になって間もないころだったと思う。俺はエミさんと二人で昼休みを迎えた。

 そのころのエミさんといえば、昼休みに俺の教室までやって来て歌詞の相談を始めると、解散寸前で苦境に立つバンドのことを思い出しては泣き出しそうになってしまうので、困った俺たちは周囲の人目を気にして、誰もいない校舎裏で過ごすことにしていた。

 エミさんは校舎の壁に背中から寄りかかり、悲しそうに目を伏せて顔をうつむかせていた。胸元には数枚のプリントを重ね合わせ、それを落としてしまわないように強く抱きしめている。おそらく自分で考えてきた歌詞だろう。

 ちなみに、これまであえて言及していなかったが、彼女はどちらかというと貧乳だ。……しかしこの話は空気が読めていない気がするので置いておこう。つい胸元に目がいってしまった俺の失点である。

 気を取り直した俺は少しだけ照れ隠しに遠慮しつつも、彼女のそばに立って、声も掛けずにそっと見守っていた。それは今にも彼女が崩れ落ちそうで不安だったからであり、真面目に心配していたからであって、決してやましい気持ちなどなかった。

 実際には彼女の隣にいることができて、不謹慎ながら役得だとは思っていたけれど。


「書けないんだ。ちっとも書けないの」


「うん。それは俺もだから安心して」


「あのね、君も書けないからこうして悩んで……。いや、ごめん。本当は君にすごく感謝しているの。ありがたいんだけどね、でもね……」


 その先を彼女がはっきりと口にすることはなく、悩ましげな顔をしたまま壁から背を離して、その場にしゃがみこんでしまう。そんな哀愁漂う姿に俺がどう励ますべきかと声を掛けかねていると、彼女はしゃがみこんだまま、手にした歌詞を一枚ずつ静かに読み返し始め、読み終えるたびにビリビリと破り捨てようとする。


「あ、ゴミ箱……。あれ、ここにはゴミ箱ないや。これ、どうしよう?」


 捨てようとした結果捨てられず、彼女は滅茶苦茶に破ってしまった紙をすべて束ねると、男子と比べれば明らかに小さな手の中に収めようとして、今にも溢れ出して周囲に散らばりそうなゴミの山にあたふたとしていた。


「なんか私バカみたいだ……」


 それは確かに馬鹿っぽい姿だったけど、馬鹿っぽいからこそ無視できなかった。


「いらないなら俺がもらうよ、全部ちょうだい」


「え? いいの?」


「構わないよ、全部渡してくれても。だって、エミさんが書いたものだから」


 そう答えると、俺は彼女がおずおずと差し出した小さな紙切れの束を受け取り、そのままズボンのポケットに突っ込んだ。くしゃくしゃになっていたそれは、すべて入れてしまうと思っていた以上に膨れ上がったのには驚いた。

 彼女は少しだけ不思議そうに俺を眺めていたが、最後には落胆を隠して笑ってくれた。それだけで俺は満足だった。それ以上のことは望まなかった。


「私も。……君が書いてくれたもの、今でも大切にしているよ」


 俺が書いたもの。それは先日書いた歌詞の話ではないと、何かを抱きしめるような彼女の口ぶりからわかった。

 思い出すのはノートの切れ端。つたない字で書いた短いファンレター。

 彼女と再会したあの日のように、今も鞄に入れて持ち歩くくらい大切にしていてくれるのだろうか。


「ああ、あの手紙……」


「うん。あれは私の勇気なんだ」


 そう言って彼女は耳を赤くした。こっちまで恥ずかしくなってきて、負けず劣らず俺は顔を赤くしていたことだろう。でも、それがなんだか心地よかった。こんな俺でも彼女の支えになれているんだと思えたことが嬉しかったのだ。

 その後の彼女はというと、何度も何度も白紙の紙にオリジナルの歌詞を書いては、出来に対して納得がいかず破り捨てる。そしてそれをゴミ箱代わりに俺が一枚の不足なく受け入れる。そんなことを繰り返してばかりだった。

 そんなこんなで大した力になることができず、そばで見守っているだけの俺が気の毒なほど涙を堪えながら数々の歌詞を書き綴っていた彼女は、けれど絶対に諦めなかった。

 あるとき、ついに目尻からこぼれた透き通る涙を一滴だけ頬に伝わらせた彼女は、それが緩やかな速度で首筋まで落ちていくと同時、言葉にならないメロディを消え入りそうな声で口ずさんだ。

 それはもちろん未完成のラブソングだ。

 一文字たりとも言葉のない、ゆえに誰にも伝わることのないラブソングだ。

 そんな彼女に何を言えばいいのかわからず、隣の俺は耳を傾けるしかなかった。

 思えばきっと、涙に頬を濡らす彼女は心の底から思い悩んでいるのだろう。

 バンドの終わりと、大好きな片想い相手との別れを前にして。

 もしも辛いのなら、何かに対して泣き喚いてもいいだろう。

 弱気に負けそうなら、素直に悲しんでしまってもいいだろう。

 けれど俺の心の目は間違いなく、そこに鮮やかな善意の美しい色彩を見た。

 その時の彼女はただ、どこまでも純粋に愛を歌っていたのだ。

 切なさを超えて、悲しみを耐えて、まるで無念さを打ち消すように、彼女は誰に対しても通じる普遍的な幸せを、自身の愛情に乗せて歌っていたのかもしれない。願っていたのかもしれない。

 ところが、その思いを声にならない声で口ずさみ続ける彼女は、それを明確な言葉にすることはできなかった。気持ちばかりが先走って、どうしても意味のある歌詞が思いつかないのだ。何かを懸命に堪えているのだろうか、表立って感情を見せることもない。

 ただその場に居合わせた俺だけが、その秘めた彼女の思いを偶然にも知ることが出来たのだろう。目や耳といった五感ではない心の目を通して、魂全体で感じるように悟ってしまったのだろう。

 やがて彼女の歌にならない歌を最後まで静かに聴き終えると、気が付けば俺はエミさんに真正面から向き合っていて、言葉がこぼれるように感情がまとまらないままで口を開いていた。


「エミさんには、もっと自信を持って楽しそうに歌ってほしい。そんな悲しそうな顔で、つらそうな声で歌っているのを見るのはいやだよ」


「でも、何も思いつかないの。何かいい言葉を思いついたところで、今のみんなが、岸村さんが喜んでくれるような気がしない。もう私のことなんか誰も……」


 彼女がまた泣いてしまいそうになったところで、その悲しみを打ち消したかった。

 だから言葉が口をついて出た。


「俺は好きだよ」


「私たちの歌?」


 それもあるけど、そうじゃないと答える。


「エミさんのことが好きなんだ」


 反応は数秒待っても返ってこなかった。いきなりすぎたのだろう。言ってしまった自分にしても、言ってしまってから恥ずかしさと後悔が次から次へと湧き上がってくるほどだ。エミさんは岸村さんのことが好きなのに。告白したって振られるに決まっている。

 だけど、この気持ちを今彼女に伝えたくて仕方がなかったのだ。


「真剣に答えるなら……」


「待って」


 俺はエミさんの言葉を遮った。ここで明確に拒絶されたら、二度と彼女のそばに立てない気がしてならなかった。

 このタイミングで告白に及んだのは、彼女と交際したいからではない。もっと彼女の支えになりたいと、馬鹿なりに考えた結果だったのだ。


「もともと俺は君の歌のファンで、今ではもう友達だと思ってる。だけど、それだけじゃないんだ。ここに一人、いつも君のことを大切に想っている馬鹿な男がいるってことだけは知っていてほしかった。岸村さんのことが好きなのはわかってるし、そのことについては応援もしてる。作詞の力にもなりたい。でも、俺は、何よりも誰よりもエミさんの笑顔が見たいんだ」


「うん……」


「だから、許してくれるなら、これからも友達として協力させてほしい。今までみたいに、エミさんの隣にいてもいいかな……?」


「私、たぶんちゃんと応えてあげられない。でも……」


 エミさんは、慎重に言葉を選んでいる様子でこう言った。


「大事な友達でいてほしい」


「もちろん!」


 それから、なんだか気まずさにも似た気恥ずかしさを残したまま俺とエミさんは一旦別れて、昼休みに残された時間があとわずかだということもあり、俺は教室に向かって駆け出していた。


 ――彼女の力になりたい。


 やっぱり俺は、そう思わざるを得なかったのだ。

 本気で大好きだからこそ、いつまでも彼女には笑っていて欲しかった。そのためなら何だってやれる気がしたし、無駄なあがきだろうと喜んで東奔西走する気満々だった。

 しかし残念ながら多くのことをする余裕はない。この時点で俺たちに残されたライブまでの時間はとても短かった。悔しいことに才能のない俺にとって、この短期間で満足のいく新曲の歌詞を完成させるのは難しい。苦々しいけれど、自分の実力不足だと正直に判断するしかなかった。

 だからせめてエミさんのバンドが解散してしまわないために、ふさわしい新曲がなくても、どうにか次のライブを成功に導きたいと考えたのである。

 もはやライブの体裁だけでもいい。それが整ってさえくれれば。

 とりあえず彼らが解散を思い直してくれるなら、それが俺にとっての成功だと思えた。


「大道さん! ちょっと俺の話を聞いてくれるかな!」


「あのさ、急いでいるところをごめん。私は大野なんだけど」


 全力で突っ走った俺は教室に舞い戻ると、その姿を見つけるや否や彼女に喋りかけていた。こうして俺の方から話しかけるのは初めてのことだったので、きっと彼女は目を見開いて驚くだろうと思っていたが、どうやら焦っていたのは俺ばかりだったようだ。

 ゆっくりと深呼吸をして息を整え、ひとまず俺は気持ちを落ち着かせた。

 どうして最初に彼女のもとに向かったのかと問われれば、恥ずかしながらクラスメイトで名前を覚えていたのは大野さんだけだったからだ。まぁ、間違えちゃったけども、記憶違いではなく言い間違いだ。先生に向かってお母さんと言っちゃうような奴である。


「あのね、実は大野さんに紹介したいバンドがあって、ああいや、できれば大野さんに来て欲しいライブがあって――」


 そう口を開くと、大野さんは人目を気にして困ったように眉をひそめた。


「……えっと、それってもしかしてデートのお誘い?」


「あ、いや、デートというよりは、できれば大野さんの友達とか知り合いを誘って、みんなで来てほしいというか。さらにごめん、こっちでチケットとか用意できないけど……」


「え、ええ……。ううむ、まぁ、話だけなら聞いてあげるよ?」


「あ、ありがとう!」


 感謝いっぱいに頭を下げると、俺は大野さんにライブの詳細を伝えた。さすがにエミさんの事情を語ることは出来なかったけれど、見た目にはライブなんて縁遠そうな地味系女子ながら、優しくて察しのいい大野さんは俺の一方的な話を理解してくれたらしく、とりあえずは承諾してくれた。

 地味な子にはいい子が多いという俺の導き出した法則は当たっている気がする。


「それにたぶん、そのライブ、私のお兄ちゃんがいるバンドも参加する奴だよ」


「あ、そうなんだ。お兄さんってバンドやってるの?」


「うん。この高校の二年生でね、勉強そっちのけで音楽やってるよ。なんか事情があって、最初のころはバンドと同じくらい熱心だった部活もそっちのけ状態みたいだけど。何部だったかな……」


「ふーん……まぁ、だったら俺もお兄さんのバンド応援しようかな。あ、でも本当にありがとう。いっぱい盛り上げてくれると助かる!」


「そうだね、それは任せてよ」


 そう言って大野さんは頼もしく胸をたたいてくれたので、俺は再び感謝感激で頭を深々と下げた。

 そして放課後になると、教室を飛び出した俺は急いで部室に向かった。


「先輩、お願いがあります!」


「私のお願いは無視し続けといてよく言えるね、少しは自分の行いを反省してよ。寂しいじゃん……」


「あ、はい、ごめんなさい。……で、お願いというのはですね」


「はぁ、もういいや、こうなったら聞いてやるし。で、なんだね?」


 いかにも不服そうに肩をすくめつつも、先輩は部長っぽく腰を据えて穏やかに俺の言葉を促してくれた。そこで俺は面倒な前置きを省き、要点をまとめて簡潔に頼み込むことにした。

 エミさんのバンドによるライブを成功させるため、新聞に広告を打ちたいと。


「馬鹿なの? 掲示物には生徒会の許可がいるんだよ」


「そこをなんとかお願いします。校内新聞の片隅に広告を載せていただくだけでいいんで、本当にちょっとだけで」


「スポンサーでもないのに新聞に広告を載せられるわけないよ。それに勝手にやると生徒会を敵に回すし」


「それはたぶん大丈夫ですって、生徒会は忙しいから校内新聞なんか隅々まで読みません。簡単にチェックして終わりです。絶対に気付きませんって」


「私も危うく同意しちゃいそうになったから怒りはしないけどね、まず私の新聞を馬鹿にするのはひどい。それに誰も気付かない広告に意味はないの」


 などなど、その後も延々とこまごましい理由を見つけては広告を載せることに反対してきた先輩だったが、それでもすがり続けると最終的には俺の頼みを受け入れてくれた。


「どうせなら校内新聞とは別に目立つ広告を張り出しておいたほうがいいね。これは私が簡単なイラストつきで作っておくし。ライブまで時間がないとなれば、明日中にはやっておかないとなー。まぁ任せて、生徒会には知り合いもいるから掲示の許可なんてすぐとれる」


「先輩……!」


 なんだかんだいって先輩は優しい人だ。いつだって俺の味方だ。

 つい嬉しくなって思わず俺の感謝を示そうと、両手を広げて抱きつこうとしたら防犯ブザーを鳴らされた。部室に轟音が鳴り響く中、久しぶりに本気で動揺した俺はその場で土下座して涙した。

 それにしても、確かに先輩が俺に忠告したとおり、校内の掲示板に張り出す広告ぐらいでは気付く人間も少ないだろう。すぐには目に見えるような効果があるとは到底思えない。

 それでも、俺は自分にできることなら、すべて全力でやっておきたかった。

 心の片隅では作詞のことがよぎったけれど、そのときはどうしようもなかった。







 ライブが予定されていたのは、六月の第二日曜日だった。

 俺はエミさんからチケットを受け取って招待されていたので、開演する夕方に合わせて余裕を持ってライブハウスへと向かった。

 そこは思ったよりも小さくて、入り組んでいる場所というわけでもなかったけれど、どちらかといえば表には目立たぬ場所だった。隠れ家的なライブハウスといえばイメージしやすいだろうか。

 時間になって開場されたライブハウスの中に入った俺が目にした光景は、ひとまず安心できるものであった。ずらりと集まった観客の中には、俺が声を掛けてやって来てくれた人の姿も見られたからだ。あまり面識のない人も多かったので挨拶はそこそこに、ひとまずバンドの演奏を楽しんでもらえればと願った。

 手っ取り早く結論から言えば、とりあえずライブは成功したといっていいだろう。

 次から次へとステージに上がったバンドは何組もいて、どうやら出演者はエミさんたちだけではなかったけど、その中でも悪くない出来だったと俺は思う。

 決して悪くはない。集まった観客だって楽しんでいて、会場が盛り上がらなかったこともない。

 本当にそう思った。

 だけど、うまく言葉で表現することは難しいけれど、エミさんに協力するようになってから初めてちゃんと聴いた彼らの演奏は、昔ほど特別な意味を持って俺の胸に響くことはなかった。

 いや、今だからはっきり言おう。正直なところ何か物足りなかったんだ。

 つつがなくライブが終わり、一安心した俺は頼んだとおりに来てくれた部長や大野さんに対して手短に感謝を伝えると、彼女たちと別れて急いでバンドの控え室に直行した。そこに至る通路には警備員なんて大層な人間もいなくて、場違いな気分を味わいつつも俺はなんの障害もなく彼らの元にたどり着いた。


「確かに今回のライブは成功と呼べなくもない。だが、やっぱりこのままじゃ駄目だ。このままじゃいずれ限界が来るに決まっている」


 聞いてみれば、それがバンドメンバーの率直な感想だった。

 ひとしきり盛り上がったライブが結果的には成功したとはいえ、それも解散までの一時しのぎに過ぎないと、彼らはそう言っているのだ。


「だ、大丈夫だよ! このままじゃ駄目なら、もっと練習して、もっといい曲を演奏できるようになれば、ちゃんと結果は付いてくると思うから!」


 そう語るエミさんの前向きな言葉にも、残る三人のメンバーは乗り気ではなかった。よほどメンバー同士の対立が深かったのかもしれない。こんな状態でいい演奏が出来るわけもない。自分の熱心な言葉をまともに聞いてもらえない彼女は悲しそうだった。

 すがるように、俺は彼女にまなざしを向けられていたのかもしれない。

 頼りにされているのだ。何か言わなければ。


「そ、そうですよ。俺、感動しましたもん。このバンド一番のファンですし……」


 相変わらず歯切れの悪い、子供さえ騙せないであろう説得力のない言葉を俺は呟いた。この淀んだ空気の中では意味がないと思った。

 だが、不安に引きつった俺の顔をじっと見つめていた岸村さんは、肩をすくめるとやわらかく笑った。温情かもしれないが、それでも嬉しかった。


「ふふ、わかったよ。今回は認める。ただし、同じメンバーで続ける以上、これまで以上の努力は必要不可欠だろう。……エミ、高校は大丈夫か? 本気で音楽をやっていく覚悟はあるのか?」


「も、もちろん。私はバンドが一番だもん」


 ためらいなくそう答えた彼女を、俺は心強いと思った。

 ああ、思ってしまったんだ。

 それから数日のこと、昼休みにも放課後にも俺の教室に姿を見せないと思ったら、そもそも彼女は学校にすら来ていなかったらしい。バンドメンバーにバンド中心の生活を強要され、しばらく高校へは行くに行けなくなっていたようだった。

 一週間、あるいは二週間が過ぎ、六月最後の連休を前にして、彼女は久しぶりに俺のもとを訪ねてきた。


「あ、あのさぁ……」


 チャイムの音とともに昼休みが始まり、お腹も空いたので一人で弁当を食べようと俺が準備していると、とぼとぼと疲れ果てた様子のエミさんが俺のもとまでやってきて、いきなり机の上に突っ伏してしまったのだ。

 久しぶりに会えて嬉しいというか、行き倒れに遭遇したようで怖かった。嫌われてしまいかねないから口が裂けても言わないが。


「高校にいるの怖いよぅ……。バンドのみんなと会うのも辛いよぅ……」


 そして彼女は突っ伏したまま、涙声で肩を震わせるのだ。

 話が見えず、俺は困惑する一方だった。


「ど、どうしたの? 言いたいことがあるなら聞くよ?」


「……う、うん。ちょっと話したかった」


 それから彼女は、机に突っ伏したまま顔を少しだけ横に向けて、ささやくように語ってくれた。

 この前のライブ以来、ずっと学校を無断欠席してしまったこと。そのせいかクラスで話す相手もいなくなって浮いてしまっていること。すっかり授業にも付いていけなくなってしまったこと。

 バンドのメンバー三人の対立がますます激しくなり、エミさんにも厳しく当たってくること。兄だけでなく、ついには両親とも喧嘩をして、なんだか家にも自分の居場所がなくなっていること。

 どうしたらいいんだろう? 彼女はそう嘆いていたのだ。


「大丈夫だよ、エミさん。勉強なら俺が教えられる。学校で一人ぼっちになるのがいやなら、授業中はともかく弁当くらい俺が一緒に食べるよ。バンドの問題は……そうだね、今までどおり力になりたい」


 俺は本心からそう言った。

 男として頼りなかっただろうけど、なんとかして頼られたかった。

 それを聞いた彼女は少し迷いを見せながらも、ちらりと顔を上げて、すぐそばにいる俺を上目遣いに見ながら言った。


「実はこの週末にね、バンドの合宿をすることになったんだけど、そこで練習だけじゃなく改めて新曲や今後のことを含めた話し合いをしたいとかって話になって」


「うん、それで?」


「……君も来てくれないかな? 一緒にね、その、いきなりで悪いけど」


 どうやらエミさんは、一人でバンドの合宿に参加するのは心細いらしかった。バンドメンバーは女性が一人、相手は大学生の男が三人だ。不安に思うのも無理のない話だろう。しかも内部でもめている時期だけに、気苦労も絶えないはずだった。

 もちろん、しがない男子高校生に過ぎない俺だって、年上の大学生である彼らの中に混じって合宿するなんて考えられない苦行だ。そもそもいきなり泊り込みの合宿の話を聞かされても、準備が間に合わない。


「わかった。俺も行く。うん、必ず行くよ」


 だが俺は即答した。力強く繰り返し、一度ならず二度うなずいた。

 懸命な彼女の頼みを前に悩む理由? 残念だがそんなものは存在しない。

 エミさんも一応は俺の返事に喜んでくれたようだったけど、それから昼休みが終わるまでの間、彼女はずっと机にうつぶせて顔を隠し続けてしまった。こうなると俺はこの状況で一人だけ弁当を食べることなど出来るわけがなく、空腹のまま午後の授業を迎えてしまうこととなった。

 そして家に帰ると、弁当を残した俺は母に怒られることになる。

 ううむ、人生とはままならないものだ。

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