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06 ラブソング

 翌日、昼休みに学校の廊下で中道さんと待ち合わせていた俺は、彼女が差し出してきた淡いピンク色のポーチを慎重に受け取った。

 昨日の今日でいきなり学校で会うことになってドキドキと緊張はしていたが、渡されたのは別に爆発物というわけではない。俺も頼られたからには真面目に作詞に取り組むため、彼女のバンドが実際に演奏した曲を録音してあるデータを持ってきてもらったのだ。

 さすがに一度くらい実際の曲を聴いてみないことには、具体的に作詞をすることもできないから当然である。いや聞かなくても作詞できる人も世間にはいるかもしれないが、俺はそんなに多才じゃない。

 それから余った昼休みの時間を利用して、誰にも目立たぬように教室の隅で小さくなると、こっそりイヤホンを両耳につけて、そのたった一曲をヘビーローテーションした。

 繰り返し繰り返し同じ曲を何度も聴いて、耳で覚えてしまおうと努力した。

 バンドの構成はボーカルが中道さん一人、残りの三人はそれぞれギター、ベース、ドラムというものだった。あまり音楽には詳しいほうではないので、正直なところ上手いのかどうかよくわからなかったが、少なくとも嫌いな曲ではなかったのだけは事実だ。

 やがてチャイムが鳴り、さすがに午後の授業中もイヤホンをつけている度胸はなかったが、昼休みのリピートが功を奏し、俺は黒板に凄まじい勢いでチョークを振るっていく教師に隠れて、ずっと頭の中で一人、歌詞のない歌をハミングし続けていた。

 あまりに一人で繰り返すものだからか、そうやって鼻歌がすっかり上手くなったころには、俺は曲が醸し出す心地よいラブソングのようなリズムに酔いしれるようになったものの、相変わらず作詞の件は全然と言っていいほど進捗しなかった。

 なんというか、歌詞なんて取っ掛かりも見つからなかった。

 そもそも世間のラブソングに共感した経験もない俺である。


「あのさ、さっきの授業中、ずっと頭を上下させてリズム取ってなかった? 言いにくいけど、みんな君のこと見てくすくす笑ってたよ?」


 クラスでも俺と同じく地味なほうに位置する女子である大野さんが、そんなことを面白そうに教えてくるのを聞いて、まぁ、何故か俺はやっぱり喜んでしまったのだ。

 一つには、みんなが俺を見て笑っていたということが、その時の俺には不思議と嬉しくて。

 そしてなにより、いつも一人で過ごすばかりだった教室でも大野さんのように、頻繁にではないけれど、ちゃんと声を掛けてくれるような人間ができたのだということが、寂しかった俺には嬉しくてたまらなかったのだ。相変わらず俺たちは地味同士だったけれど、目立たなければ無駄に攻撃されることもないのだ。

 放課後になると、俺は教室を出て、すぐに部室へと向かった。

 好奇心か単純ないたずら心か、先輩にも曲を聴かせてみようと思ったのだ。

 もちろん、仮にも新聞部の活動を後回しにして中道さんの協力をしている身分なので、馬鹿正直に彼女たちのバンドが準備している新曲であることを教えるわけにはいかない。だが、かといって先輩に対してすべてを隠し続けるのも、自分の中で納得がいかなかったのである。

 人よりカンが鋭い先輩から変にかんぐられてしまわないように、俺は自然に切り出した。


「先輩ってラブソングとか聴いたことありますか? イメージにないですけど」


「あのなー、いくらなんでもそれって馬鹿にしすぎだぞ……」


 新聞ばっかり読んで恋愛小説とか読みそうにないですよねとか言ったら、口をすぼめて先輩が拗ねた。女子高生っぽくみなしてもらえないと不機嫌になるらしい。


「すみません、ちょっと馬鹿にしていました。ラブソングくらい先輩だって聴きますよね」


「いやごめん、逆だよ。本当はお前のイメージ通り全く聴かない。というより私には何がラブソングなのか正直よくわからないし。……なー、たとえば子守唄もラブソングと呼べるのかな? 私は母に愛されていたと思うんだけど!」


「う、うーむ……」


 これは意外にも、先輩にとって深刻なる悩みだったのかもしれない。

 どう答えていいのか見当も付かない。

 言われてみれば確かに、いったい何を基準にしてラブソングであるのかなんて、厳密に考え始めると難しそうだ。色恋沙汰にうつつを抜かしている人間が好んで聴くものだとか、それはちょっと偏見に満ちている。

 とはいえ、逆に考えると、こういう風に既存のラブソングの概念にとらわれていない人の意見が大切だったりするのだ。アイディアは意外なところから降ってくる。探し物だって忘れたころに見つかるように。

 そこで俺はちょっと質問してみたくなった。


「じゃあ、ラブソングの歌詞といえば、先輩なら一体どんなものがいいと思いますか?」


「回りくどく歌詞に乗せたりしないで、相手に向かって好きだーって、そうはっきり言えばいいと思うな。そのほうが言われた相手も嬉しいじゃんか、歌っている場合じゃない」


「先輩、好きだーっ!」


「嬉しくないし、うるさいよ!」


 悲しいかな、先輩にはラブソングもラブシャウトも効果がないようだった。

 しかしながら、それも当然であろう。これくらいで先輩の気持ちが動いてしまうのなら、とっくに俺たちは交際でもなんでもしていたはずだ。なにしろ俺は冗談半分にも先輩へ告白ばかりしていたからな、小さかった小学生のころからもずっと。

 もちろん半分くらいは本気で、冗談でも受けてくれるなら嬉しかったのは間違いない。

 ちなみに今だからこそ本音の部分を白状しておくと、先輩は俺にとって、本気かつ本命の恋愛対象というよりは、子供のころから変わらず馬鹿な俺を支えてくれる、文字通りの頼れる先輩という感じだった。ずっとお姉さんみたいな存在だったのだ。先輩が俺のことをどう思っていたのかは怖くて聞けないままだけど、きっと嫌われてなどいないと信じたい。


「まぁ冗談は置いておいて、ちょっとこの曲を聴いてみてください」


「え? なんでいきなり、そんな怪しげなイヤホンを……まさか催眠術? 洗脳でもする気だったり?」


「できるものなら挑戦しますよ。ですが残念ながら、今はしません。そんな警戒することはないです、これは普通のラブソングですって」


「ふぅん。お前も物好きだよね、わかっていたけど。ほら、貸して」


 先輩から差し出された右の手のひらに、俺はイヤホンの先を乗せる。ラブソングなんてよくわからないとか言いながら、嫌がらない辺り、先輩も興味はあるらしい。

 そういうところは腐らずとも女の子、前のめりになってきて年上だが可愛いと思った。口にしたら先ほどとは別の理由で拗ねられた。年上女子の扱いは難しい。

 機嫌を直すまでさらにちょっと一悶着あったが、そんなに怒ってもいなかったらしい先輩は受け取ったイヤホンを左右の耳に付けると、おとなしく目を閉じて曲を聴き始めた。ほっとした俺もそばを離れず、集中して聞き入っている先輩の表情を眺める。

 先輩が無防備に両目を閉じているからといって、じろじろと観察するわけにはいかない。それがばれてセクハラ事件として新聞に書きつけられたら俺の評判が地に落ちる。


「つまらなくはないけど、これって音楽が流れるだけで歌声が入ってないじゃんか。ラブソングはどうした。なんか騙された気分だし、むしゃくしゃする……」


「そうなんです、俺もむしゃくしゃするんです。先輩ならこれ、どんな詞をつけますか?」


「……えー、私か? さっきも言ったように私はラブソングなんて柄じゃないからなぁ。とにかく伝わりやすいメッセージを歌ってくれたほうが共感しやすいんじゃない?」


「俺は先輩が好き~」


「だから嬉しくないよ、しつこいし!」


 そう言った先輩はやっぱり冷たくて、同じ部活の後輩である俺への容赦はまるでなかった。

 それは難攻不落な要塞に、単身竹やりで突っ込んでいくようなものだった。

 やはり歌詞は自分の力で考え抜くしかないようだと、俺は静かに決意を改めた。







 それからまた数日が過ぎて、確か五月も中ごろに入っていたと思う。

 昼休みになり、別のクラスの中道さんが俺の教室に来た。

 しかもどうやら俺に用事があるようだった。

 まさか連絡もなしに彼女が会いに来るというか、そもそも昼休みに俺が誰かから声を掛けられるとは思ってもみなかったから、中道さんが申し訳なさそうに小さな声で俺の名前を呼びかけてくるまで、俺は彼女の存在にまるで気が付かなかった。

 その時の俺が一体何をしていたかというと、次の校内新聞に載せるための詩を考えることも、バンドの新曲の歌詞を考えることも無理だと努力するのを半ば諦めており、気分転換と称してノートに四コマ漫画を落書きしていたのである。


「面白くないね」


 今でも思う、容赦のない言葉だ。


「でも俺ね、だから描いているのさ。少しでも上手くなるようにって」


 無論、そんな向上心などあるわけがなく、口からでまかせだ。好きな相手に面白くないと言われて、ショックなだけだった。

 適当に出てきた俺の返答に感心したのか、それとも呆れたのか、彼女は少しだけ緊張したように真剣な表情を見せると、話を変えるように切り出した。

 それは俺への質問らしかった。


「ねぇ、どう?」


「可愛いよ、中道さんはとっても可愛い。心配しなくてもいいのに」


「んん、そういうことじゃなくてね、作詞の調子。どう?」


「あーそれか。なかなか上手くいかないよ、難しい」


 なかなかどころか、実際には一文字たりとも作詞は進んでいなかった。

 やっぱり俺なんかじゃ作詞の力になることはできない。彼女との関係が終わってしまうのは非常に残念だけれど、ここはしっかり断ってしまうべきだろう。

 思えば、そんな弱気なことばかりを考えていた。


「あのさ、俺さ……」


 だからたぶん、その言葉の続きを彼女によって邪魔されることがなければ、早くも行き詰まっていた俺は彼女に対して、この辺りで作詞の協力を辞退したいなどと言っていたことだろう。

 そしてきっと、その後の高校生活においても、消極的でネガティブな俺はあらゆる物事に対して逃げ腰を続けていたことだろう。

 なのに彼女は手を横に振り、実にあっさりとこう言った。


「いいよ大丈夫、急がなくても私は平気だから。それより実はバンドのメンバーにね、君のこと言っちゃった。そしたら会わせろって。ねぇ、休みの日って時間あるかな?」


「え、ええ? 他のバンドメンバーって、確かみんな大学生でしょ? あ、会うのはちょっと怖いといいますか……、どうやら彼らは喧嘩もされていたようですし……」


「平気だよ、たぶん大丈夫だよ。だってね、直接会って、君の顔が見たいって言っていただけだもん」


「それはどうして?」


「知らないよ。作詞の調子のことを聞かれてさ、うっかり私が協力者である君のこと話したらね、君が同じ高校の男子だってわかったとたんに会いたいとか言い出したんだもの。すごくびっくりした」


「それきっと怒ってるよね、たぶん俺に敵対心あるよね」


 バンドの大事なボーカルに言い寄った不埒な男とか、おそらく俺はそう思われていたのだろう。

 その辺にいる軽い男と一緒にされているようで、実に不本意なことだったけど、彼女を好きなことだけは間違いない事実なので、俺はとてつもなく反応に困った。

 もしも根掘り葉掘り質問攻めにされてしまったら、バンドメンバーの大学生たちを相手に泣いて謝らなければならないかもしれない。そう考えると不安で仕方なかった。


「まぁいいや。どうせ暇だし、いいよ」


 けれど休日にも彼女に会えるのだと思ったら、自然とそんな言葉が出ていたのである。

 誰かを好きだという感情は、あらゆる恐怖にも打ち勝つんだと、どこか感慨のようなものを胸に抱いた。けれど実際には単なる欲望、結局のところ下心に過ぎない。感動を返そう。


「そっか、ありがとう。また連絡するね、よろしく」


「こちらこそよろしく」


 そして教室を出て行こうとして、その途中で何かを思い出したらしく、髪をたなびかせながら俺のほうを振り返った彼女は、こんなことを聞いてきた。


「……っと、そういえば一つ聞いてもいい?」


「もしかして俺のこと? 大丈夫、今はフリーだから。別に彼女とかいないよ」


「そこは勝手にがんばりなよ。そうじゃなくってね、これからもたまに会いに来ていいかな? 作詞について相談したいし」


「ああ、相談ね。いいよ、もちろん俺は大歓迎。なんならそっちの教室まで出迎えようか?」


「子供じゃないんだから迎えなんていらないよ。でもありがとう、たまに来るね」


 別に毎日休み時間ごとに来てくれてもいいのに、とはさすがに恥知らずの俺も口にはしなかったが、彼女はそう言い残すと今度こそ教室を去った。

 その後というもの、本当にたまに俺の教室へと顔を見せてくれるようになった彼女の態度に、当時の俺の心はかなり浮き足立っていた。

 正直な話をしてしまえば、彼女は脈ありだと思ったのだ。

 ひょっとして彼女は俺に気があるんじゃないかと、単純で自意識過剰な俺は、あのころ本気でそう思っていたのである。

 けれど、それは俺の身勝手な願望であり、ただの勘違いに過ぎなかった。

 バンドメンバーと会った俺は、現実を思い知ったんだ。

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