2 メンタル ①
私が尊敬するこちらのサイト様で小説を書かれている方が、下さったアドバイスの中に、(お言葉の引用は許可を頂いていないので出来ない為、ニュアンスだけ失礼します)小説を書き続けることは大きな精神力を必要とするもので、メンタルに問題があれば、それは、難しいかもしれない。だから、そちらの治療に専念されることも視野に入れた上で、退会についても考えてみたらどうかと仰って下さった。(今、光を当てたいのはこの部分のニュアンスだったというだけで他にも多くの励ましやご助言を頂いています)
仰られていることそのものは、私も常々考えていたことで、腑に落ちるものであった上に、私が尊敬するその方は、本当に真剣に創作に向き合われていることも常々その方のご発言や姿勢から感じ取っていた為、お言葉が強く響いて、説得力も強く感じ取って、その上で私は、ずっとそのお言葉を考え続けている。実は、旅行に行っている最中も、気づけば思考していた。
書く、という行為を私は、嫌いになれない。勿論、描くという行為も私は好きだ。旅行先では、現地ガイドさんにまさかのボールペン似顔絵をその場で求められて、流石にその場では描けなかったけれど(紙がなかった)次の日の朝までに描いて渡した時、私は本当に書くことも描くことも好きなのだと実感した。
私は、好きなのだと思う。デジタルだろうが、アナログだろうが、色があろうが、色がなかろうが、私は好きなのだと思う。もし、私が紙と鉛筆のない時代に生まれていたら、私は、何かを書こうと描こうとしなかったかというと、そんなことはないと思う。
古代の壁画を見てみればよい、彼らは、紙や鉛筆が手元になくとも、ナイフで岩壁に文字や絵を描いてみせた。
私もきっとそうするだろうと思う。理屈じゃない。それは心が動けばしてしまう自然な行動の一つだ。それが、もしかしたら、歌や音楽である方もいるかもしれないし、何か、物を作ったりや食に関するものだったり、何かを育てるものだったり、身体を動かす何かしらのスポーツなどに変わる方もいらっしゃるかもしれないけれど、私の場合は、特に強く出るのが、書くこと、描くことであったというそれだけのことなのだと思う。
だから、……というのではないのだけれど、私は、こちらのサイト様を退会したとしても、何かしらを記録しようとする行為はやめられないのではないかと思う。それはもしかしたら、違う趣味に形を変えるかもしれないけれど、でもそれでも、頻度は減るかもしれないが、記録をすることは生涯、やめられないと思う。
それでは、半端とは、私は何を言いたかったのかしら、とそこの疑問に思考が移っていくような気がする。
私は、好きなものを否定しようとした。そこにはどのような感情が潜んでいたのか、それは、すごく汚くて嫌な感情なのかもしれない、けれど、それを少し見つめてみようかと
……思い始めた