12.手計量
Chet Baker - Enrico Pieranunzi - Night Bird
を 聴きながら
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糖質制限中には、私は行わなかったのだけれど、この創作の内容を自分で思考にする時に、ぁ、と思った為、この計量方法をここに紹介しようかなと思う。
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11.の項目のページに私が書いた内容のことを、もう少し端的に表現しようと考えたら、私は、こう書こうと思うのだけれど、……それは、結局は、良い塩梅が解らない、という話に繋がってくるのだと思う。
10.の項目のページに私が自ら書いたように
>『文体にはその方の個性が現れ、それはまさにその方自身です』
結局は、日常の、私自身が抱える問題、要するに私自身が、良い塩梅が解らない状態で今まで生きてきている為、表現世界、こんなに閉じられたと思われる創作という頭の中を覗き表出する場ですら、曖昧とエラーと混沌のMIXというカオス状態なのだと言える。
……それは、考えてみれば当たり前の話なのかもしれない。文章で自分の頭の中で描いたものを表出する作業ということは、そのままその方の思考が基になるわけだから、
オーソドックスなその方定番の思考の流れは、そのまま、迷いとなってその方の文章に現れる、ように私は思う。
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……いつものように私の悪い癖で、最初書こうとしたことを書いている最中に忘れてしまいそうになるので、取り合えず、話がずれすぎないうちに、初めの言葉に戻ろう。
つまりは、手計量という方法を何故たとえに出したのかということ。
私は、使わなかったのだけれど、糖質制限では、大まかな目安として、手のひらで量るということを推奨?されていた。
糖質制限では糖質、炭水化物以外は基本とっても良いけれど、その目安が一応ある。
それが、手計量。
これは、単純に簡単に言うと、一食ごとに使う食材量を大まかに目安として手のひらで思い描くというもの
たとえば、お肉などたんぱく質は→手のひらいっぱい
たとえば、お野菜などビタミン類は→両手のひらいっぱい
という風に。
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人は、普段、自分が当たり前にしていることを普通と思って生きているから、それが普通の状態を逸脱していると他者から口だけで指摘を受けてもあまりピンとこないものだと思う。私自身、良い塩梅が解らないという状態で今まで生きてきてしまったのも、もしかしたらそういったことが原因なのかもしれない。
これが、普通の量ですよ。と、解りやすく目の前で示されると、純粋に驚くと思う。それが大きくはみ出していた自分の状態を振り返って
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それが、普通の反応だと、私は思う。
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つまり、8.の項目のページで挙げた私が客観視1をきちんと出来ないという状態を作り上げている根本的な原因は、たとえるならば、手計量となる目安が全く自分の中で解っていないからだ。
……と、いうことになる




