*******************この文書は、最近自分の中で勝手にブームになっている”バランス”の問題の中の一つで、もっとこの問題を自分の中で深く掘っていくために必要だった思考であり、作業でした。
ほとんどの確率で叶いそうもない、夢とか、理想とかを、本気で夢見ることができてしまった人って、やっぱ相当タフな人なんだろう。それか語弊を恐れずに言えば、頭が少し変(土下座)なんだろう。だって、そんなものを目指すのは相当大変なことだし、いくら好き好きと言いながらやっていたって、心の底から求めていることなのに、なんにも返ってこなかったら、本気でやっているからこそ、心がはち切れてバラバラの粉々になるくらい悔しい思いをすること、絶対あるのに、そんなことになるかもしれない道を、わざわざ見つけてくるなんて、お父さん心配だよ。なんていうのかなー、理想を求めなくても十分幸せになれるんなら、私はそんなものは求めたくはないですなあ。のらりくらり生きていきたいですよ。だって、私達はどうせ百年もしないうちに朽ち果てて消えて無くなってしまうんじゃないか。明後日はフレディマーキュリーの命日だけど、フレディマーキュリーでさへ、死んでしまったじゃないか。死ぬっていうことは、永遠に意識が戻らないっていうことで、意識がもう戻らないってことは、自我も世界も無くなるってことで、やけん、どうだってよくないかと思うわけだが、まあ、でもロッキーを見ればそうも言ってられない気もするけど、書くの疲れてきた。何が言いたいかと言えば、思いを馳せ続けることの苦しみは、夢を見る才能をたまたま持ってしまった人しか味わえない苦しみなわけで、だから、そんな人を見てもイタイ人だなあと思ってはいけませんよ。実際にその人はイタイ人だし、そんなことはその人自身が一番わかってることなんですから。でもね、イタイ人っていうのはね、大概強くて優しくてかっこいいくて美しい人なんですよ。
***この文書は、最近自分の中で勝手にブームになっている”バランス”の問題の中の一つで、もっとこの問題を自分の中で深く掘っていくために必要だった思考であり、作業でした。