儀式開始
腕をへし折られたマリナは肩で息をしながら必死で激痛に耐えている。
「セイラム、お前ェ……!」
「貴方が協力してくれるのなら、これ以上手酷いことはしないわ」
オレの心を折る。
そのためにマリナは攫われたのだ。
こうなることは想定していなかったと言われれば嘘になる。
だけど、
「まだ覚悟は決まらないようね、なら……」
セイラムは短刀を取り出した。
それをマリナの右目の前に突き出した。薄暗い洞窟を照らす松明の炎が、短刀をゆらめき輝かせる。
炎のように燃え盛る憎悪。セイラムに対して、そして、自分に対しての。
「右目を抉るわぁ。可愛い顔に一生の傷をつけてあげる」
「ダ……メ……、リュート……」
動けぬ肢体と今にも飛び出しそうな怒りでどうにかなりそうだ。
オレには束縛の呪いを解く手段があるのだ。もう待てない。これ以上、マリナが傷つくのは見過ごせない。
「リュー……ト……ッ!」
悲痛な声。それは苦痛からくるものではなく、オレの判断に向けてのものだった。
……オレに。
オレに、どうしろっていうんだ!
英雄じゃない、ただの高校生。運命だとか世界の命運だとか、そんな大そうなモノに立ち向かう勇気だってなかったんだ。
「さぁ、答えは?」
「リュートッ!」
セイラムと、マリナの声。
「…………わかった。従う」
「利口ね」
ニィ、と口角が吊り上がる。
【ココに契約を結ぶ。汝、肉体と精神の主導権を我に譲渡セヨ】――
この契約を結んでしまえば、もう魔力を魔道具に込めることさえ叶わなくなる。
それは完全服従と同義だ。
……本当に、いいのか? いや、いいわけがない。
一か八か、ここで戦ったほうがまだマシな結末になるのではないか。
――【汝、我が契約に承諾するのなら答えよ】
【…………承諾する】
そして、契約を呑む。
意識が沈む。たとえるなら麻酔のヨう。
思考ガ、デキナクなル……意識、ハ、ヤミニ…………。
◆
――――例えるなら、傍観者。または、観客。
自分自身を、まるで遠くにいる人のように感じている。セイラムの術は強力だ。オレに解呪などできるはずがないし、マリナだってこの状況では無理だろう。
歩く。歩く。てくてくと。
マリナとセイラムのいるところまで足が動いていく。
勝手に肉体を操作され、魔力までもが自在に操られてしまう。
無様で、気色が悪い。
「さ、計画は整ったわぁ」
思惑通りに事が運び、セイラムは満足気に呟いた。
「貴女はもう用済みよ」
マリナに対して冷酷にセイラムは言い放つ。
しかし何か思い至ったのか、顎に人差し指を当てて考え始める。
「いや……でも、そうねぇ……貴女はまだ有効活用できそうかしら……」
有効活用? オレを陥れる以外に、何をさせる気だ。
「桁違いに魔力量が多いのよね貴女。それこそ、禁呪を発動できるほどの」
決闘のときを思い出す。無尽蔵なまでに火球を生成したマリナには感嘆させられた。禁呪の発動も可能なレベルの魔力量とは思ってもいなかったが。
「そうだわ! 魔法生物の餌にしましょうか!」
パン!と手を打って楽し気に笑うセイラム。
絶望の表情を浮かべるマリナ。
――――違う。違う。違う違う違う違う!!!!
こんな結末、望んじゃいない!!!
ああ、オレは致命的な間違いを犯してしまったのだ。オレは英雄でも何でもなく、哀れな凡人。それを思い知らされる。
あのときマリナの言うとおりにせず、魔道具を使っていれば。いや、そもそもオレが元の世界に戻りたいだなんて言わなければ、あの夜、セイラムと出遭うこともなかった!!
セイラムが指を鳴らすと、抜け穴から無表情の男性が数人現れた。オレと同じように、意思を奪われた人たちだ。
「連れて行きなさい」
必死で手を伸ばそうと思い描いてみるが何も届かない。
狂いそうな思考が虚しく反響するだけだった。
折れた腕を無理な形で掴まれ悲鳴を上げるマリナ。しかしセイラムも、彼らもまったく気にせず連行する。
くるり、とこちらを見て、
「さあ! 待たせたわね。それじゃあ、――異世界の門を開きましょう」
何もかも無駄だった。
ついに、そのときが来てしまった。