最後通牒
あと一か月くらいは待ってほしいです……卒論が……
暗闇の中に、ぼんやりと灯がともっている。それは壁に掛けられた松明の火なのだと気づいた。
日の当たらない石畳の冷たさが骨に沁みる。
両腕は罪人のように鎖で繋がれていて、満足に身動きが取れない。
セイラムに気絶させられてから、どれくらいの時間が経過しているのだろう。
仕込みがあると言っていたのが気になる。迂闊な一言のせいでマリナに危害が及んでいると思うと怒りでどうにかなりそうだ。
「くそっ……!」
口惜しい。自分の無力さが。
――魔法で脱出できないだろうか。
「風の精に願い奉る。風よ、鎖を断ち切れ」
しかし、いくらイメージしても魔法は発動しない。魔法使いを相手にしたとき、肉体ではなく魔法を封じにかかる。何かの呪具による作用だろう。
繋がれている鎖をよく見れば、青く光る幾何学模様が刻まれていた。
おそらくソイツが原因だろう。
「気分はいかがかしら?」
コッ……と硬い靴音を響かせながら、セイラムがやってきた。
「オマエ――――なんで世界を壊そうとするんだ」
世界を呪う魔女。それがセイラムの正体。
執念の奥には深い憎悪が見えている。
「この世界には〈運命〉というシステムがあるって話はしたわね」
「ああ。それは聞いた」
「少し、私の過去を話しましょう。私には……愛する人がいた」
そう話すセイラムは大切な思い出を手繰るように遠くを眺めていた。その様子は魔女とは程遠く、柔らかい雰囲気をしていた。
「今思えば、彼に憧れて私は魔道を志したのね。
彼との日々は輝かしいものだったわぁ。
……けれどその幸せは長くは続かなかった」
声色に憎悪が宿る。
「運命に殺されたってことか」
「ええ。運命の存在を知ったのは偶然だったけれど、それからは必死だったわ。禁呪に手を染め、自ら異端となり、そして私は根源を突き止めた」
それが魔女の心の奥にあるものだ。
最愛の人を殺されたとなれば、自らをすべて犠牲にしてでも運命を壊す動機としては納得できる。
しかしどんなに納得できようと、世界を壊すその思想は悪以外の何物でもないのだ。
「運命を壊したからって世界が崩壊するとは限らない。それに貴方は元の世界に帰ることが出来る」
セイラムは手を伸ばす。
ツゥ、と頬から顎の先端を撫でた。細い指の感触がくすぐったい。
「どうかしら? 悪い話じゃないと思うのだけれど」
帰ることができるチャンス……
でもオレは、
「悪いが断らせてもらう」
「……そう」
顎先から指が離れていった。
おそらく、これが最後通牒だったのだ。
最大限の譲歩をオレはふいにした。
「それはどうして?」
「この世界が好きだからだ」
いろんな人に助けてもらった。その人たちをオレは裏切りたくない。
「運命が決まっているということは、避けられない未来があるということで間違いはないか」
「そうよ。死が決まっていれば必ず死ぬ。生きると決まっていればどれだけ死に目にあっても生き延びる。世界に殺されるなんて納得いかない」
牢を開け、セイラムは立ち上がるように促す。
「来なさい。従わないのならば、彼女の無事は保証しないわ」
ここで逃げるわけにはいかない。
立ち上がる。
おそらく、最終決戦になるだろう。
ソフィアを裏切ることはしたくないが、たとえこの身を犠牲にしてでもセイラムの策謀は阻止しなくてはならない――。
これから、一人で立ち向かわなくちゃいけない。
そう思った瞬間、これまでこの世界で起きた出来事が想起される。
そしてその記憶の中、ソフィアの笑う顔があった。
「……!」
ハッと我に返る。
いや、何を言ってるんだオレは。
――――違う。信じるって決めたんだ。
この作戦はオレだけが走るわけじゃないはずだ。
だから信じよう。
ソフィアの助けを。
脱力していた両腕に再び力が入る。
希望が湧いた。信じるんだ。