わすれもの
荷造りを終えた。とはいっても、異世界に来た自分の持ち物はそう多くはない。必要なものは衣服や書物くらいだ。
あとはソフィアに挨拶をしてここを出るだけだ。
部屋を見渡す。
すっかり見慣れた自室となっていただけに、いざ出るとなると急に寂しさがこみ上げてくる。
それに……オレは……
「何も、恩返しできてない……」
異世界に着いてすぐの出来事を思い返す。今となっては遠い昔のようにも感じる。
ソフィアに命を救われた。
看病してもらった。
言葉を教えてもらった。
体術を教えてもらった。
数え上げればキリがないほどの、恩義がある。
オレは、心の底から彼女に救われていたんだ――。
だっていうのに。
何一つ、返すことが出来ちゃいない。
それだけが心残りだった。悔しかった。
すぐに返せるほど簡単な話でもない。それはわかっている。
必ずこの恩を返すと固く胸に誓って、踵を返して部屋を退去した。
ソフィアに見送られ、家を出る。
「こうしてリュートがいなくなると思うと、少し、寂しいな」
「……ああ」
この家は居心地がよかった。異世界で心細かったオレを優しく迎えてくれた、大切な帰るべき場所だった。
「湿っぽいのはナシにしよう。これが今生の別れというわけではないんだからな」
ソフィアは微笑んだ。だから、オレも笑って返す。
「お世話になりました」
「うん。たまに遊びに来てくれ。私はキミを友人として歓迎しよう」
差し出された手を強く握る。
「オレは……」
最後に、決意を伝えることにした。
「この恩は、必ず返す。だから――」
「うん。期待して待ってる」
そうしてソフィアと別れた。
家がすっかり小さくなったころ、オレは本当に伝えたかったことを言いそびれたのだと気づいた。
――ありがとう、って。
それが一番言いたかったんだ。
けれど今更戻るわけにもいかず、心にシコリを抱えたまま、マリナの家に向かった。
◆
マリナの家は予想通りの豪邸だった。お嬢様っぽい恰好や口調からある程度察していたが実際に見ると驚く。
絢爛な鉄門の前には、この家の執事と見られる初老の男性がいた。
「リュート・アクツ様でしょうか」
「は、はい」
「お待ちしておりました。どうぞ」
門の内側に通される。キチンと整備された庭。色とりどりの花が咲き誇っていて、レイステン魔法学校よりも豪奢な装いだ。
中に入ってすぐ、マリナの家は見えた。
白い壁に青い尖がった屋根。家というより小城のようだ。
豪邸の中に入ると、メイドさんが「いらっしゃいませ」と挨拶をする。本物のメイドさんを目にして感動していたら、
「なーに鼻の下を伸ばしているのよ」
赤い絨毯の敷かれた階段から、マリナが降りてきた。
「それは客人に対する態度か?」
「あら嫌だわ。居候なんだし、家族みたいなものでしょ? 軽いスキンシップじゃない」
決闘が終わっても、このやり取りは相変わらずのようだ。まあ、いきなりナカヨシみたいになっても気持ちが悪いから助かるが。
「ようこそリュート、我が家へ。歓迎するわ」
金色の髪をなびかせながら、彼女は言った。
ここがオレの、新しい住まいだ。